CIEL THERAPY 
 シ エ ル セ ラ ピ ー ウ ェ ブ サ イ ト  

DIARY

2018.5.5
こんばんは!今回もお知らせです(^−^)
●課題図書の変更及び追加
まずは課題図書の変更から(^−^)
シエルセラピスト認定コースの6冊目の課題図書を変更いたしました。
同じブッダはブッダなのですが☆

植西聰「いいことがいっぱい起こる!ブッダの言葉」に変更いたしました。

これまで「シエルセラピスト認定コース」を受講されました生徒さんにはもちろん☆
あらゆるかたにもオススメです(^−^)

続きまして、課題図書の追加です。
お金の豊かさワークショップ
植西聰「孤独の磨き方」を追加いたしました。
偶然、上と同じ著者のかたの本ですね(^−^)

【期間限定】心理カウンセリングワークショップ
ジェリー・ミンチントン「うまくいっている人の考え方(完全版)」を追加いたしました。
書店によりましては、表紙が特別バージョンになっているものが数パターンあるみたいです。中身は同じですのでお好みの表紙でどうぞ(^−^)

期間限定心理カウンセリングワークショップは、今月から開催ですので、受講日までに読み終わらない場合もあるかとも思います。ご自分のペースで読み終えてくださいましたら大丈夫ですので、 受講をお申し込みくださいました生徒さんは受講日から2ヶ月以内には購入しておいてくださったらいいかな〜と思います☆

もちろんこちら2冊も、受講する・しないに関係なくとてもいい、オススメの本たちです☆
(^−^)

●新しいブログのお知らせ
まだ何も記事がありませんが(笑)
さやシエルセラピー

スマホから更新できるように作りました。
こちらのDIARYはそのまま置いておきますので、時々でも読み返して、そのタイミングに必要なメッセージを何度でも受け取っていただけるといいな〜と思います…☆
(^−^)

お知らせは以上です☆

【期間限定】心理カウンセリングワークショップに、たくさんの生徒さんからお申し込みをいただきました。ありがとうございます(^−^)
一言で言えば、皆さんが私(さや)と同じ考えかたができるようになるための1日、ですね(^−^)
私は神と共に生きてまいりました。そのメッセージの受け取りかたは「シエルセラピスト認定コース」と「講座 毎日のシエルセラピー」で学んでいただけます(^−^)
私たちには人それぞれ固有の個性があり、おひとりおひとりには、おひとりおひとりのメッセージの受け取りかたというものがあります。
ですから「まったくもって、さやと同じ。というわけではない」ですね(^−^)
そこを。
この心理カウンセリングワークショップでは「同じ」になるよう、極力近いものになる方法を学んでいただけます。
神と出会い、神とずっと片時も離れず生きてきたさやと、同じ考えかた、同じ捉えかた、同じものの見かた… となると、なんだか人生、面白く・楽しくなるような気がしませんか?

(^−^)

私が生徒の立場でしたらとてもわくわくすると思います。
それを。1日で練習しますので、その後も続けてくださったなら嬉しいな〜と思います。神から受け取ってきた愛と、そして様々な心理学や脳神経科学を勉強しましたり、また自分の人生を生きてきました中で つちかいました考えかたや捉えかた、その全部を束ねてお渡しできるものだからです。
「さや」という何でもお話いただける、相談していただけるカウンセラーさんをこの日、連れて帰っていただくようなものだからです(^−^)
私… ドラえもんみたいですね(^−^)笑 ♪
猫型ロボット(^−^)

たくさん豊かになってください☆たくさん笑って生きてください。
たくさん夢を叶え続けながら、たくさん幸せを喜んで生きてください(^−^)
そのためのワークショップです!
当日お会いできますこと、とても楽しみにお待ちいたしております。
お申し込みくださいましてありがとうございます(^−^)

2018.4.24
こんばんは(^−^)
【期間限定】心理カウンセリングワークショップ のお申し込み締め切りまで、残り2日になりました☆
ありがとうございます(^−^)

本日はおしらせです。
12月31日をもちまして、いったん、講座やカウンセリングを含む、全ての「お申し込み」の受付を終了とさせていただこうと思います。

受講したい講座で、まだ残り受講しきれていらっしゃらないものがありましたら、スケジュールが先着順で埋まってまいりますのでお早めに「お申し込み」を送信いただきますといいかなと思います(^−^)
よろしくお願いいたします…☆

私たちは生まれて、そして全ての人は死んでいくという「有限なる時間、世界」の中で生きています。
今この瞬間はたった今にしかない輝かしい一瞬一瞬で、二度と戻って帰ることはない流れの中で平等に命を与えられながら日々を過ごしています。

あなたはこれからを、どう、生きていきたいですか?
(^−^)
あなたの人生、どんな風になっていたら幸せですか…☆
(^−^)

私たちは同じ人間界で生きる者。同じ有限なる時間の中で生きる者。同じ「幸せ・未来・希望」を見つめて生きていく者…☆

最後まで。お手伝いをさせていただけましたらこの上なく嬉しく思います。

私も幸せです。そして更に幸せを願って、生きる者です…☆
限られた時間の中、精一杯の「できること」「思いやり」「愛」「支え」「喜びへの指標」「おもてなし」をさせていただきます(^−^)

講座の日はいろいろ、遠慮なく気になっていることまでお尋ねくださいね(^−^)

ありがとうございます。ご縁に心から感謝いたします。ありがとうございました。

2018.4.16
3月22日のDIARYに「私が心から望み、願ったことは、結果的には叶いませんでした。」と書きました。
そして27日には、神からそのことについて「終わってない。始まってもいない。」とシエルセラピーでメッセージを受け取っていたことも書きました。
そのことには続きがあります。

叶いました。

叶わなくても全力でできる限りのことはしていました。ですから叶わなかったと思いました時に後悔は何もないと笑いました。
ですが神からメッセージを聞いて、混乱しました。もう終わったものと思っている、私の人生にとって一番大事なこと、願い事が終わりどころか始まっていないというのはどういうことなのだろう…と。
「始まり」の日は明らかで、それはそれはひどい連続の「潜在意識の抵抗」ばかりでした。生徒さんもおなじみ、天候、交通、体調不良(肉体への負荷、身体的ストレス)、精神的ストレス。
くじけ、あきらめるには好都合すぎるほどの言い訳にできることの連続です。逃げることも「仕方ないよね」と理解していただけそうな…
けれどもその反面、いつもその「願い事(夢)」に欠かせない愛が常に私を支えてくださっていること、助けてくださっていること、理解されていることを何度も何度も経験し、そのたびに泣きながらそれでも未来を、 その願い事、夢の先にあるものを見、生きていこうと「自分」を立て直すきっかけや機会を与えていただいていました。

夢が叶い、「始まり」を経験した日は心の底からの幸せに溢れていました。
もうすでに。そして「始まり」でさえこんなに幸せで。それですのに、これがまだ始まったばかりの状態、時期…
鳥肌が立つほど、どれだけの幸せがこの先あるのだろうと感じざるを得ない恵みに、愛はもちろん神にも、そして自分が生きていますこと、生きてまいりましたこと、この世に人として誕生してまいりましたことに心から感謝いたしました…☆

悲しみも、苦しみも…すべては「愛」に還るもの。それを、神と出会いましてからひしひしと感じてまいりました人生ですが、私自身のすべての悲しみも、辛さも…全部が愛に浄化していくのだなぁと実感して、喜びの涙でありとあらゆるすべてに感謝しました。
今はとても心も体も穏やかで、自分らしく、マイペースで生き、生活しています。空気までもが平和を奏でてくれているように思えます。 今の状態でもこんなにも幸せで(^−^)
人生で一番、幸せで。静かで、平和です。春の日の海、次々と芽吹いていく幸せ色のお花、澄み渡りますお空のように…

今はさらに。夢が叶ったことから更にそのことを踏まえた目標や未来、夢へと向かって日々生活しています。勉強も、お仕事への取り組みかたも。 幸せは絶えず「いただいている」としか思えず、どのような時も心が乱れることがなくなった自分に少しばかり驚きながら、すべては愛のお陰、神も人も「愛」の存在で、 感謝しながら生きていいからこその今、そしてこれからなんだろうなぁと本当に有難く幸せに笑顔で過ごしています。

幸せになることを含みました愛されることに対して、自分自身を心から許し、受け入れますことでこれほどに人生が変わってしまうものなのだなぁと、輝かしい毎日に感謝しています。 愛されることは理解されること、寄り添っていただけますこと、認めていただけますこと、存在を肯定いただくこと、命や魂さえも…と実感します。
そしてそれは一方通行のものではなく、同時にお互いがお互いに流しあう愛で、響きあう、通いあう、満たしあう、慈しみあう、感謝しあう、愛あう。そのような愛だとも理解いたしました。
お互いがお互いにそう感じあっている。そのような。

「始まり」までに過ごしてまいりました日々と、「始まり」から過ごします日々は事象としては同じもの…
ですが同じとは思いようがない優しさと愛しさで溢れながら、穏やかに、静かに、素顔のまま「自分自身」で生きているこの感覚はまったく違いますことを、私が持っています残りの時間をつうじて、 ご縁をいただいております皆様にもお伝え、お手伝いできましたら嬉しいなと心から思っています。

いいタイミングで「期間限定心理カウンセリングワークショップ」を提供できますことにも心から感謝しています。

お会いできると嬉しいですね。

2018.4.13
こんばんは(^−^)
この11年間を通して、生徒さんにとって「もっとも悩みとしている点」が移り変わったように思います。最初5年辺りは「お仕事」ジャンルのお悩みが多かったのですが、 ここ5年ほどは「恋愛(結婚を含む)」がもっとも多いなぁという印象です。
30歳を過ぎますと、ある程度お仕事( または、主婦としての行動)にも慣れ、ふとご自分の人生を振り返りましたり、将来のことを真剣に考える機会が多くなるからかもしれません。
もちろん、好きなかた、恋人がいるということもおありだと思います。

生徒さんやクライアントがその「恋愛」の面で気になっていらっしゃることで、最も多いのが、「出会い」と「関係性」。
具体的に申しますと「どこで出会えるの?」と「結婚できるの?」。
これですね(^−^)
「特別講座 幸せな恋愛と結婚」ではとても詳しくお伝えしていますが、そちらとも違います別のお話を、今日は(^−^)

まず「どこで出会えるの?」ですが、答えとしては「いつも、どこでも。」です。
いやいやいやいや〜(違うよ、出会わないよ)!と思うかたもいらっしゃるかもしれません。ですが答えはその1つです。
脳神経科学の分野からのお話になりますが、男性は出会いましたすべての女性の中の約90%に対して「好き」になります。非常に許容範囲が広く、もう「ほとんどの女性は対象外ではない」と思っておいていただけますとわかりやすいかと思います。
ですので、ありとあらゆる場所、場面で出会います「男性」の中で、奥様がいらっしゃいましたり、彼女がいらっしゃいますかたを省けば、ほぼ全員が「恋人になる」と言っても過言ではありません。
男性とはそのような性です。
女性はそのまったく逆で、10%が恋人になる(相思相愛になる)可能性のある人数です。雲泥の差です(笑)
しかしながら、それはとてもよく理解できることかと思います。
ですので…
ご自分が女性ですから、世の中にいらっしゃいます男性のほとんどが皆さんの恋人(夫)になり得るなど到底思いつきもしません。同じように10%の目線で他人を捉えていますので「私に好意を持ってくれる人なんてどこにもいてなさそう…(くすん)」な目線で この世界を生きていらっしゃいます。ですが本当はありとあらゆる男性から好意的に思っていただける存在です。そのことを踏まえますと、現在奥様も彼女もいらっしゃらない男性へ片思いをされているのだとしましたら、それは本当に大いに皆さんが彼女や奥様になることができる可能性が高いということを指しています。
何も心配も、不安も、恐れも必要ありません…☆
胸を張って、堂々と「彼が好き(^−^)」という笑顔で人生を生きてください。大丈夫です。

そのようにして、男性とはほとんどの女性をパートナーに選べる「性」であるがゆえに、お付き合いいたします前は、同時に複数の女性へも「この人もよさそう、この人も、あ、この人も」と選んでいることがほとんどです。
この点もまた、女性にはない捉えかた、視点ですので「悲しい…(くすん)」と一見なりがちですが、男性がいろんな女性を「あの人も候補、あのお姉さんも候補、あの女性もいいね」と複数の人数を同時に選んでいらっしゃいます間、皆様ができますことといたしましては、「親友になること」です(^−^)
親しくなる(^−^)
まったく知らないかたに、いきなり「結婚してください」と私たちでさえ言えないですね(笑)怖い。
ですから、そういった基本的なこと。「理解し、思いやる」。これをしていましたら大丈夫です(^−^)
知らない間柄同士ではありません。「大切ね」と自然とお互いに思う間柄になっていきますので、皆さまはいつも皆さまらしく☆
お好きなかた、気になる男性を思いやり、そしてまだ出会っていませんよというかたはご自分が10%の目線で世の中を見ているがために80%もの男性を知らず知らずに「違う」と勝手に思い込んでいる人間なんだ〜と、「まずは、自分。」を理解してあげるところから始めてくださいましたらいいかなと思います。

残念ながら奥様や彼女がいらっしゃいます男性と、そしてその方々は「ベース(根底)」で深いつながりを持っています。表面上はそのように見えなくとも。思えなくても。
ですから、男性は女性よりも性欲が50%以上生まれながらにして強いがため、「奥様」「彼女」がいらっしゃる男性をお好きになったとしても、お近づきになられましても、その強い性欲の欲求を解消されます道具にしかなることはできません。
分子や原子、DNAレベルで夫婦や恋人同士を見ますと、常にお互いにエネルギーや分子などの「行き交い」がほぼひっきりなしに行われています。ですので科学の面から見ましても、男性がもし今いらっしゃいますかたと別れて、別の女性を選ばれます場合、まず最初のかたとお別れをしてから、その後でいらっしゃいます女性に交際なり求婚されます。 順番が違うということはほぼありません。ですので、どれだけ待とうと、「2番目」という立場または3、4、5番目(笑)の立場から動くことは残念ですがありません。
男性は彼女や奥様になるかたにはとても誠実です。ですがその他の女性にはと申しますと、誠実である必要がありませんので、その男性の性格によりますが、「本命はたった1人」「後は時々遊ぶ用の人たち」とハッキリ区別されています。
「お姫様」はたった1人。あとは性欲解消を目的とした「奴隷」。その捉えかたです。
奴隷は奴隷。永遠にお姫様にはなれません。男性にとってそれほど明確に違うものだからです。ですので、奴隷を続けますよりは、他の誠実な男性のたった1人のお姫様になっていただけると嬉しいな…と、見ています。

そのようにして、皆様を「恋人」「伴侶」と選ばれます男性はとても誠実で、また、全力で一生懸命に「僕のお姫様になってください」と明らかな、大げさな態度で猛アタックされます。
それが反して「奴隷」とみなしている場合は、残念ながら女性が男性へアピール、告白、アプローチしていることでも理解いただけると思います。
それほど、男性はたった1人にだけ心底「誠実」です。ですので、お互いによくお話をする間柄になりました際、一生懸命な誠実さがない場合や、情熱的な燃え上がるような猛アプローチが延々と絶えないほどになく「わかりづらい」と思います場合は…
はっきりと見切りをつけて、スパッ!と断絶するように交流を絶たれますことをオススメいたします。
私たち女性は、誰の奴隷でもありませんね(^−^)☆
一緒に生きていきたいのは、心から信頼でき、愛し、愛される、幸せな2人。に当てはまります男性ですね。
(^−^)
ですので、お互いに「理解し、思いやる」間柄になりました後に、残念ながら男性から熱心で、ロマンティックで、「あなたしかいません」という大々的な愛のアピールが、これでもか〜☆というほどのたくさんの、大量の、ものがありませんでしたら。
「男性からの」
ありませんでしたら…
必ず他に、ご縁を待っていてくださっている男性はいます。
それまで楽しみにされながら、お一人の暮らしで。
何よりご自分を一番に。大切にしていただましたら嬉しいと思います。

そして、また。
男性側も「この人が自分の姫だ」と誠実さで選びました場合…
その他の女性すべてを、手放します。

つまり、心からの誠実さで一生生きるため、奴隷も必要としない、「必要なのは姫だけでいいんだ☆」と決断、行動いたします。
ただ女性のお友だちや知人など、「お姫様」が悲しむことのない立場の女性に関しては、一切なにも愛も性欲も思ってらっしゃいませんので、そのままの関係は続きますが、「お姫様」を悲しませずに一生かけてずっと幸せにしてやるぞ☆という大きな心で、 男性も生きますから、心配は必要ありません。
まだ、男性自身がお姫様である皆さまからの信頼を失うことを大変恐れますから、恐れになるようなことは排除したクリアーな、クリーンな、本当に絵を描いたような誠実なお人柄、性格、人物、人生として生きてらっしゃる人として存在しています。
心配はいらないのですが、心配することがないよう努めて努力もしてくださいます。それほどに愛してくださる。
ですので、万事、大丈夫です(^−^)☆

そのようにして〜
今日は恋愛のミニ講座でした(^−^)
おやすみなさい。私も皆さんも。人としても女性としても、幸せなパートナーと幸せにずっとずっと暮らしていきたいですもんね…☆
(^−^)

2018.4.9
おはようございます。
4月4日(国際エンジェル・デー)の日に、シエルセラピーは11年を迎えました(^−^)
お祝いのメッセージまでいただきました、ありがとうございます…☆
とても嬉しい(^−^)
これからも日々、おひとりおひとりの幸せに寄り添いました愛や指導、メッセージを社長であります神と共に(笑)これからも日々、講座やカウンセリングを通じまして お手伝いしてまいりたいと思います。
皆さまおひとりおひとりが「幸せ」「夢、希望、願い」を心にたずさえながらお越しくださいますことに心からの感謝を込めて…☆
ありがとうございます(^−^)

さて、お知らせです☆
「プロフェッショナル・シエルセラピスト認定コース」にて指定いたしております課題図書の1冊をこのたび変更いたしました。
旧)ビジネスマンのためのブレインジム
新)お腹にお肉がある人の究極本ポチャ・ヨガ
です(^−^)
コースの詳細ページに掲載しておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

これまで指定いたしておりましたブレイン・ジムは、アメリカでは「キネシオロジー」という名称で大学での1つの学問、学科内容として存在していますものです。
私たちが手や目を動かしましたり、何かを食べましたり、お話するなど生きる上でいたします「行動、思考」はすべて、脳が各器官に「指令」を出すことから行われています。 ですので、その仕組みを逆利用しましたのが、キネシオロジーおよび、その一部であるブレイン・ジムです。
手や目の動き、呼吸などから脳の状態を調整しましたり、統合、リセット、リラックス、バランスのとれた本来あるべき状態に戻すなどの作用をもたらします 「直接ダイレクトに脳へアプローチするいわばヒーリングや整体やカイロプラクティックのようなもの」がブレインジムでした。また、親から受け継がれましたDNA上、 歪んだ癖のある脳の指令を、正常に戻すという働きでもありますので、特に発達障害や言語、動き、無意識的な体の動きの癖、思考癖によって生活に支障が出ていらっしゃいますお子さまに 大変スムーズに生きることができるようになったと評価がアメリカで高いものとして、有名でしたりします。
私たちにおきましては、とにもかくにも「リラックスできる」(笑)。これですね(^−^)
ほんの5分ほどの指の動きや呼吸のみで、即リラックスできましたり、自律神経を整える、イライラやストレスの解消、人のお話が聴きやすくなる、人に緊張せず楽にお話ができるなど、 脳へアプローチすることによってすぐに短時間で実感できるものとして、「脳神経科学」の分野からオススメいたしておりました(^−^)
ですので、課題図書が「ポチャヨガ」へ変更になりましても、変わらず、私たちの日々の暮らしに、脳神経科学の面から天使のようにサポートしてくださることは間違いありません☆
よければどうぞ、これかも活用くださいね(^−^)

「ポチャヨガ」ですが、とても素晴らしい本で、まったくポチャでなくても「いい本だなぁ」と感じました。
生徒さんの中にはジムに通われていらっしゃいますかたも多く、しかしながら事務職など動きの少ない業種に就いておられます方々かと言えば逆で、体力をよく使う業種のかたがほとんどです。 そして皆さん「運動不足なので」とおっしゃる(笑)
私から見ましたら、普段がもう大変な運動、体育会系かと言えますくらいの運動量ですから「1分でも多く眠っていたほうがいいのに…」と 感じたりもします(^−^)笑
そのような、運動がしたい族の皆さまにも、ダイエットがしたい皆さまにも、瞑想がしたい皆さまにもすべてにオススメできます、しかもどのような体型でも、体がかたくてもスグにできます 「ポチャヨガ」がいいなと思い、変更いたしました。
もちろん、ガリガリで痩せやせのかたにも大丈夫です(笑)
私自身はこのお仕事を始めます前、朝5時に起床後太陽礼拝をおこないまして、その後6時まで「インド人だったかしら?」というような、ひたいを床につけてお祈りをするという、 何ともストイックな生活を送っていました(笑)
ストイックさは私の長所でもあるかなーと今では思いますが、先生がかつてそのように暮らしていたからと言って生徒の皆さんに「同じことをしなさい」とは言いません(笑)
お好きなかたはしていただいていいと思いますが、もちろん毎朝感動で涙が流れます。1日、尊い気持ちで穏やかに暮らす自分にも出会えるかとも思います。本当に、かつては仙人のような人間でしたが 皆さんの毎朝は、出勤などの用意でものすごーーく忙しいです(^−^)1時間もの間、毎朝命と太陽と空気と地球と宇宙に感謝しながらヨガという瞑想をおこない、祈りを捧げます行為はとてもじゃありませんが「非現実的」かと思います☆
私自身ももう何年も行っておりません(^−^)病気がきっかけでできなくなりましたが、それもまたいいタイミングだったと思います。いつまでも浮世離れした仙人のような暮らしで生きるのではなく、人間として生まれてまいりましたので 人間でいられます「生きている間」だからこそできますこと、感じられます感情、できごとの1つ1つを一人の人間として味わい、生きることを通して気づきましたり得られます経験が「里の行(=さとのぎょう=日常における日々の中での修行のこと、意味)」であり、 それは仙人生活という「山の行」よりもずっと高度で得られます経験や気づきも大きく、幸せや充実度も大きいものとして、切り替わったタイミングだとも思います。


ヨガは仏教における修行の1つで、お経を唱えて脳波をアルファー波にし、悟りの境地を目指そうとする方法もあれば、体を動かすことによる瞑想状態で脳波をアルファー波にし、悟りを開こうとする方法、滝に打たれて己の精神を研ぎ澄ましながら脳波をアルファー波にし悟りを目指そうとする方法など 幾つもある中でのごく一部の方法です。
ですが、現代において、特に私たちは天使とお話をしましたりヒーリングをしている状態の時の脳波がアルファー波になりますので、ストイックさも暗記も無理も犠牲もなく、楽に「瞑想をしている状態、脳波」になることができます。
(^−^)
ですので、リフレッシュと、瞑想と、ダイエットと、運動不足解消と、自律神経やホルモンバランスの調整、ストレス解消に役立ってくれますものとして楽しく楽々にヨガを楽しんでいただけたらなぁと思いまして、こちらにいたしました(^−^)
ポチャヨガの著者であります深堀さんの、他のヨガ本も素晴らしいものですので、ポチャヨガをされてみまして、他にもと興味が湧きましたら取り入れられますと楽しみの幅が広がるかとも思います(^−^)
以上、今日はおしらせでした。ウェブサイトの編集ページが、文字を打つ速度がいつもより遅く反映されておりますため、やや変な文章になっているかもしれません(^−^)
期間限定のワークショップも、まだ受付可能な期間ですので、よければどうぞ☆そちらは心理学からのアプローチとして、「特別講座 自信を持つ」と同じ系統の、書きながら変容するワークショップになっています(^−^)
また、ご自身にだけでなく、ご家族や周りのかたにも役立てていただけるといいものだとも思います(^−^)
ありがとうございます。

2018.3.28
連日DIARYを綴っています。
めずらしい(笑)
【期間限定】心理カウンセリングワークショップ をお知らせしています(^−^)
よろしければ。どうぞ。

私の心の中には、「私自身も知らない自分」がいました。それは、「本当の私を知られると嫌われてしまう。」と思っている自分。でした(^−^)
知られれば知られるほど…つまり心の距離が近くなればなるほど、「こんな人だとは思わなかった」と幻滅されて嫌われてしまう。という思い込み。心の奥深くに隠して、 自分自身でさえも見つけられないようにしていた思い。
「心の距離が近い」ということはつまり「愛されると」「親密になると」。
どんなに悲しい時も、人に接する時はつねに笑顔です。それは自分が笑顔で人に接していたいから。どんなに心が苦しくて張り裂けそうな出来事があった時でさえ、 人にはそれを見せず、ポーカーフェイス、何もなかったかのようにいつもどおりでいようと努めています。それは自分がそうしていたいから。なぜなら、 目の前にいる生徒やクライアントを第一に考えていたいから。見ていたいから。
自分の人生は、自分の人生です。けれどもお仕事の際、私は「自分」ではなく目の前にいる人だけを一心に見つめています。シエルセラピスト認定コースやプロフェッショナルのコースで、 私がどのようなスタイルでセッションに臨んでいるのかをお話することも多いのですが、私は目の前にいる人(生徒、クライアント)を「自分の、最愛の人」と見立てて、思いながら接しています。 セッション、講座、シエルセラピー、カウンセリングを行っています。
それは、自分がそうしたいから。目の前にいる人が最愛の人だと思うと、お話を「え?何なに?聞かせて♪(^−^)」ととても熱心に聞くことができます。 愛しい愛の目でその人を見、その人がたとえ今どのような状況であろうと、状態であろうと、表情、発する言葉であろうと、その人の持つ輝き、魂の尊さ、人としての素晴らしさを消えることなく見ながら 接することができるからです。それは決して「そうしたいから」ではなく、私がつねに、目の前にいらっしゃるかたの素晴らしさを見、聞き、感じていたいからそうしていること。
つねに感謝を感じ、つねに可能性を見、つねに「愛しています」の気持ちで接してしまう…それが私にとって「そうしていたいから」。
天使や神が「輝き」であるように、人もまた「輝き」です。人と神や天使とが違うのは、一点の曇りもないところが神や天使という100%の愛でできた存在、というところだけ。
私たちすべての人の中には必ず愛が包括されていて、それはまばゆいほどに、溢れんばかりに放射されている…それを、私は1つでさえ見逃したくなく、見逃してしまうと「なんともったいない」と思いますくらい(笑)の気持ちで、 それほどに魅力的で、心を決して放してはくれない光、美しさで、私はそれに見とれ、恍惚とし、愛してやまない感覚を忘れたくなく、魅了され、ハマっているから。でしたりします。
(^−^)
必死で「この人のいいところはどこだ〜〜!!!」となっているのでもなく(笑)ただ自然に、雲間から射す一条の太陽の光のように、もれては溢れだすそのかたの愛、本来の姿を私は愛しているから。綺麗で目が離せないから。 愛しているから。生まれてくださったことに感謝を感じ、今を生きてくださっていること、これまで生きてきてくださっていることの奇跡にありがとうと感動の波が心の中に押し寄せては退くことのない「満ち潮」のような素晴らしさに身も心も浸っているから…

どれくらい愛し、どれくらい感謝を感じているのかはきっと他人が知るよしもない領域、部分、分野なのだと思います。人にはそれぞれの愛しかたというものがあるのでしょう。私の愛しかたは私にしかできず、また人には人のそれぞれの素晴らしい愛しかたがある。
けれどいつも目の前にいる生徒やクライアントを「あなたを愛しています」という目で心から接していることは紛れもない真実です。

「本当の私を知られると嫌われてしまう」
その由来、その原因、その源は、私の幼少期でした。
母を心から愛し、母が笑っていると私は嬉しく、母が泣いていると心が苦しくていたたまれないほどに辛くなる…そのような幼少期で、私たち親子が大阪に引っ越していとこのお家にいそうろうになっていました時、すでに私は「母を守りたい」と思っていました。心に。強く。
これは子供であればほとんどの人が思っている愛の感覚です。以前も綴りましたかもしれませんが、子供という存在は純粋な、愛100%に近い「愛の人」だと自身では感じています。
ただ親が嬉しそうだと自分もおのずと自然と笑っていて、親が苦しんでいましたり悲しんでいましたら「自分が悪い」「私のせいだ」「こんなに親が辛い状況なのに何もできない自分は、何てひどい人間なんだ、だめな子なんだ」と自分を責めています。そして思うのです、「強くなりたい」「いい子になりたい」と。
私は自分が、母が私を「お前を見ていると腹が立つ」と言ってなぐりましたり、けっていました時、「お前さえいなければ母さんは幸せなのに」とにらみながらたたかれましたり罵倒されていました時、「もしも私が男だったなら、母を守ることができていたかもしれないのに」と、自分が女性に生まれてきたことをひどく嫌い、のろっていました。
どうして男の子じゃなかったんだろう。どうしてこんなにも弱くて何もできない女なんだろう。と。自分が嫌い…それは子供時代「ピンクが嫌い」「水色が好き」という面でも現れていました。
自分が自分でなければ。男であれば。母を守ることができていて、母は笑っていてくれるかもしれないのに。

母はいつも憧れの存在で、近寄るとほのかにふんわりと優しいシャンプーの香りが、その長い髪から心地よく漂っていました。その香りさえも「母の香り」として愛しく、美しく、触れたいけれど触れられない…
母は私が母を触ると「汚い、触るな」と手をバシっとたたき、はらいのけて嫌がりました。
愛しい母に触れることができない… 外出の際「迷子になると面倒だから」という理由で手を繋いでもらうことができました。その長くて美しい指と、優しさが伝わる手の感覚は幼い頃の私に大きな喜びをもたらしていました。一切触れることのできない母に、唯一触ることができる瞬間…
私は外出が大好きで、母のぬくもりをかんじてはとてもとても幸せな気持ちで、母の外出にお供していました。

私はつねに母から嫌われ、決して愛されることのない人生を、「愛されていた」と理解できるようになった30歳の頃まで持ち続けていました。
本気で自分自身が生きていることを憎み、忌み嫌い、つねに罵倒し、自己卑下し、こてんぱんにののしり、否定しながら、「役立たずめ」と決して人には見せない「本当の私」を持ち続けていました。
心や実際の距離で「距離がある(=遠い)」と、私は本当の私を知られることなく、嫌われることもなく安心して「自分」でいられます。けれども近づけば近づくほど、距離が密接に、親密になればなるほど「かつて」母に嫌われていたように私は完全に嫌われてしまう(改善する余地、弁解する余地、考え直してもらう余地さえもないほどに)と、私がもう意識することのできない 心の奥底(潜在意識、無意識)で考えや思考、概念を持つようになっていました。持ちながら大きく育ち、大人として成長しました。
ですから私はひどく「人が自分に近づくこと」を恐れ、ひとりになるように・なるようにと人生の方向性をガードレールで誘導するように構築していました。作り上げていました。もちろん「無意識」に。
起因(原因)が、「私は(母に)嫌われている」と幼少の頃思って生きていたこととも気づかずに。

私は自分に尋ねました、「私は本当に母から嫌われていたの?」。
答えは母のみぞ知る。です。母の恋人がお家を訪れるたびに「これでお外で遊んでてね」と500円玉を渡され、私はいつも、別にお菓子が食べたくなくともその500円玉を持ち、近くの駄菓子屋さんまで歩いては、特に食べたくもない気分の時に無理やりお菓子を選んで、そのあとまたお家の方向へと向かい、 近くの道路で買ったばかりの「ドーナツ」のように真ん中がくりぬかれたキャンディーを口に含みながら、ふーふーとするとかすかに「ピーピー」となる笛のようなキャンディーで口の中で遊びながら、手には石を持ち、路上の「コンクリート」というキャンバスにただ思いつくまま絵を描き、時には「けんけんぱ」という遊びを1人でしながら、母の恋人が帰っていく 長い長い夕暮れまでの数時間を、週末、過ごしていました。
母には私ではない愛する人がいて、私はいつも愛されていない。嫌われ、たたかれ、追い出され…それでも幼い子供である私は「お母さん大好き」という気持ちで(それはどんな子供も同じように。)生きてきました。

母が嫌っていたのは、親から政略結婚をさせられて、好きでもない人との間にできた女の子というお荷物なのではなく、「子供を思うように相手にしてあげられない、愛してあげられない、優しくしてあげられない、大切に扱ってあげられない」母自身でした。
他の子のように父親がいない、寂しい思いをさせている子供、いつもひとりぼっちでぬいぐるみと遊び、おしゃべりし、時には泣きながら毛布にくるまって自分の帰りを待ってくれている小さな愛しいわが子を、抱きしめてあげることもできないほどに「ひどい母親」としてしか生きられていない自分。でした。
母は自分を嫌っていたから、私は自分を「母から嫌われている」と思っていました。
母と子(親と子)は密接に繋がっています。母親や父親が自分を嫌う時、同時にまた子供も自分自身のふがいなさや役立たずぶりを呪い、憎み、自己否定し、忌み嫌っています、「お父さんとお母さんを笑顔にさせてあげられない私、最悪。最低。」と。

本当はどちらも愛に溢れていて、愛し愛される素晴らしい、尊い存在です。ですのにお互いがお互いに自分自身を嫌い、罵倒し、「愛されない私」と太鼓判を押しては生きています。こんなにも愛に溢れた親子の愛、愛の間柄、存在ですのに。
それに気づくことなく(それは自分自身を否定、卑下、自己攻撃していることで忙しく、他に考えられる余地や猶予、心のスペースがないからです)罪悪感を1つ2つとつのらせ、積み重ね(罪重ね)ながら、生きています。子供は「親の理想通りを生きられない私」としてレッテル、ラベル、名札を身につけながら。貼りながら。ゼッケンを貼るように。

自分以外である意味の「他人」の思い、考え、気持ちはわからずとも、自分の気持ちは私たちには知ることができます。仮定として「母(親)から愛されていなかった私」だったとしても、いつの時も、いつどんな時でも(それはたとえ鬼の形相で何度も何度もなぐる親の姿であろうと)「私は母を愛していた」。これだけはわかることができます。

If you hate me, but I love you.

あなたが私を嫌いでも、私はあなたを愛しています。

たとえ相手がどのように自分を思い、考え、捉えていても、私はあなたを愛することができます。
愛しています。
たとえもう二度と会うことがなくとも、永遠に交わることのない人生を歩んでいたとしても、「私はあなたを愛しています」この気持ちは永遠に変わることもない。
なぜならそれは、「私」が思っていることだから。たとえたたかれていようと、なぐられていようと、死ねと言われ、施設に送るとおどされる日々を過ごしていようと、私(子供)が親を愛していたように。
相手がどうであろうと、「私」には私の気持ちがあり、それは相手がどうだから、こうだからという「条件」がないからこその愛。無条件100%の愛です。

子供は愛の存在だと言いました。大人である私たちにとって、小さな子が笑ってこちらを向く、見るだけで無条件に心が笑みでゆるみ、優しい気持ちになり、自然と顔もゆるやかに、唇の両端がふっ…と上がっているように。 子供は生きながら愛を教えてくれる生きた天使、生きた愛100%の存在です。ただ彼らが天使でも神でもないのは、愛してやまない親のために犠牲を自ら喜んで選び、自分を苦しめる方法、方向を身につけて大きくなっていくことだけです。 そしてそんなけなげで、愛に溢れた子供は、今、「あなた」という1人のかけがえのない「大人」として存在しています。たくさんの悲しみや苦しみを通じて、「愛ではないもの」を身につけ、学び、考え、思考し、生きるようになった。ただ、それだけの。

ですから私は、そんな「元 愛100%さん」の、素晴らしいまばゆい光を見つめ、いつも接しています。あなたがかつて光の存在、愛100%であったように、私もまたかつて愛100%で生きていた者として。見過ごすことのないよう、見逃すことのないよう、聞きもれ、感じもれのないよう 「心」という耳を澄ませながら。聞き耳立てながら。

私は母から愛されていました。そして3歳で離れた父からも多大に愛されていました。母が偉大な愛を持っていたように、父もまた自分を責めては苦しむ、愛をたくさん持った尊い一人の素晴らしき命、魂でした。 私は実際に3歳から父とは会いましたことがありません。けれどもシエルセラピーで神に父と会わせていただきました。父と母がまだ結婚をしていて、生活をしていた、私が1歳や2歳の頃の父。その姿に。
人は人にひどいことをしているようで自分を責め、自分をことごとく卑下、否定するようで「かつて自分が愛されていなかったと感じていた頃のように」自分を苦しめ、自分自身に罰を与え続けながら生きています。 「お母さん大好き」「お父さん大好き」と何の条件も課さずに愛していた、その頃のように。その頃のままで。ふがいない自分を激しく責め、罵倒し、落ち込ませています。
それが「私は愛されていない」という現実を作り出しながら。創造しながら。

冒頭に書きました「本当の私を知られると嫌われてしまう」。それは何度も何度も役立たずの子供時代のご自分を反芻、繰り返しながら生きている「幻」幻想、妄想の生きかた、自分自身です。
真実は愛されている。
たとえ愛されている・愛されていたことがわからずとも、「If you hate me, but I love you. 」と無条件の愛に基づいて生きていた子供の頃のご自身の姿を今もなお再現しているに過ぎないだけです。

何の見返りもなく、望まず、ただひたすらに愛する人を喜ばせたい、笑顔にさせたいと願い生きていたことが中枢である「子供」という時代の。

たとえ自分が笑えない心境、状況、危機的状態にあろうと、目の前の人のために笑って、生きることは、相手を思う「100%無条件の愛」に沿った確信なる愛です。愛の行為です。
そこに「笑えない状況でも笑っている」という自己犠牲を払ってはいても、目の前の人を思い、笑っている姿は愛そのものです。
笑えない職場で、泣くことも、叫ぶことも、誰かをののしる言葉で大声を発しておらずに黙々と自分の仕事に打ち込む姿…それも同じように無条件の愛100%を生きてきた、私たちの「真の」姿です。 たとえご自身は自分に愛がないと自己卑下していようと、職場だから仕方がないとかつて親の言うとおり、理想通りに生きようと励んでいた姿をお仕事で再現していようと。私たちはみな、愛でできた、素晴らしい光、愛の存在です。

ですから私たちはみな、つねに真の自分自身を表現し、体現し、現し、表し、生きている、表裏のない「ありのまま」の存在です。命です。魂です。
嫌われることを怖がり、避けたがり、気にする必要がないことを、私は神を通じて学びました。とても苦しい経験ののちに。その苦しさは誰かが与えたものでもなく、幼少の、ピーピーと笛が鳴るキャンディーを吹いて、ただ時が流れて 夕方になるのを何時間も待ち続けた、あの頃の私が今の自分に教えていた。受け継がせていた。継続していた。

真実は「いつも、私は愛されている。愛されてきた。これからも愛され続けている」。それは母と父が愛してくれていたように。無条件の愛で母を愛していたがゆえに苦しみや自己犠牲を選んで生きるしかなかったことのように。

嫌われることのない存在。なぜならいつも、自分自身だから。近くにいようと、遠くにいようと。自分が何かをしようと、しないでいようと。行動しようと、せずとも。言おうと、言うまいと。語ろうとも、語らずとも。見せようとも、見せまいとも。
私たちはいつも、愛されている。
それが真実でした。
なぜなら、私たちはいったい誰が「心臓」というとても複雑なものを作り、そしてそれを動かし、「血管」や「小腸大腸」という遥か長いものを作り、蠕動(ぜんどう)運動を起こしているか…それも知ることもなしに「当たり前」のように今日を生き、昨日を生きて、 明日もあるのだろうと当然のように生き続けていることと同じように。私たちの心臓はアルカリ電池で動いているのでも、太陽光ソーラーパネルによってエネルギーを得ているのでもなく、摩訶不思議な力で動いていることと同じように。
誰が私たち人間を作り、動かしているのかもわからずにその恵みに預かりながら様々なことを思い、経験し、喜び、笑い、時に泣き、時に心を痛めながらも「生きている」。そのことのように。

私の人生は一見、複雑です。難解です。困難なようで、苦労のようで、悲惨なようで、辛辣極まりないものです。同情を引き起こし、呼び起こし、時に「あの人より私のほうがまし」「恵まれてる」と比較され、ほくそ笑まれ、見下されるように。
けれども私はこの人生、この生きかた、すべての瞬間に感じてきた、味わってきた喜怒哀楽によって、「理解すること」を多大に学び得られる恵みを受け取りながら生きられてきたと感謝しています。
もし私がこの「私」でなければ。目の前の人を「最愛の人」として見ることができない人間だったかもしれないからです。
たとえ愛されずとも、愛することを選び、その思いが知られることもなく一生を終えたとしても「私は愛しています」と胸を張っていつか帰っていくあの世へと笑って旅立てる…
そのように思っています。

みなさんの人生は、みなさんのものです。それと同時に無条件の愛100%と共有し、協力し、たくさんの愛を受け取りながら幸せに生きられる、尊い命、まぶしい光です。
夢や希望です。
あなたがたとえ、自分をどう思っていようと。人がたとえどのように扱い、どのように言おうとも。
真実はいつも1つ。私たちは皆、愛です。愛そのものです。

2018.3.27
【期間限定】心理カウンセリングワークショップ のページを訂正いたしました。
教えてくださいました生徒さんありがとうございます☆☆☆
金額が1ケタ違っておりました(笑)おもしろい金額でしたね!

それだけではどうかと思いましたので、ついでにの余談で…
先日「叶わなかった、終わった」と書きましたことについて。
翌日はやはり涙が流れました。「寂しい」という気持ちも出るようになりました。
それで神とお話をしたことを思い出しました。
あの日「終わったよー」と笑いながら報告のような会話をしたのですが、神が私の言葉を聞いて返してくださいましたのは「終わってない。始まってもいない。」でした。

いやいや。
本人である私が終わった、叶わなかったと思ったのだから終わったんだよーと思わず思いました。
「どういう意味?」と尋ねまして、神が答えてくださると同時に思わず「聞きたくない」と大きな声を出して、私は神が答えてくださった言葉をかき消してしまいました。

なんだか、自分が聞きたいものが聞こえてきそうで。
自分にとってとても都合のいい、耳触りのいい言葉が聞こえてきそうで…
怖くなりました。

私も、人間です。
過去が過去なだけあり、手放しで「幸せはこの先必ずある」と非現実的な、頭の中がお花畑のようなかたよった楽観視ができるほど、嬉しい人生を送ってきた者ではありません。
どこか幸せはまだ非現実的なところが自分にとってはあり、ストレートに、そのままに受け取ることのできない弱い、ひねくれた部分をお恥ずかしながら持っています。

素直になるには、あまりにも現在起こっている「現実」が真逆すぎる…
どう見てもこの現実は、楽観視できるほどのものでもなく、悲しさや寂しさが漂っている…
そのように思えるから。

「それでも。」と、思います。
それでも、神がお話してくださった「終わってない。始まってもいない。」を信じてみたい…

もしも「続き」があるのなら、私はどれだけ幸せだろうと思うと涙が止まらなくなります。今も。なお。

「幸せ」は、怖いです。
私にとって大切であればあるだけ、過去が悲しみと寂しさで埋め尽くされたものであればあるだけ、「結果が不幸」のほうがお似合いのような、納得できるような気がするから。

私も1人の人間として…
「今」を生きています。みなさんと同じ…
現在進行形で、「始まってもいない」のであれば、もし「続き」があるのであれば、ゆくえを見守っていきたい…そう思いました。

自分の声でかき消すほど、神が言った言葉の意味を知ることを、今でもまだ恐れています。
「先生」なのに(^−^)笑
それでもそんな「人間らしさ」を生きられていることさえ、神が今生で与えてくださった命、生きるという時間の意味ではないかと捉え…
「大切なことであるがゆえに恐れの中一歩一歩幸せへと歩めるようになる私」「恐れを1つ1つ手放していける私」になれましたらいいな、と努めていこうと思います。
決して「自分らしさ」から外れることがなく、ありのまま、あるがまま、恐れも愛し、愛に変え、愛に昇華させながら、涙の一粒一粒でさえも笑顔に変えていけるように。
自分のペースで。自分を励ましながら。

2018.3.26
こんにちは(^−^)☆
2018年4月4日にシエルセラピーは11周年を迎えます。

ありがとうございます(^−^)

感謝の「恩返し」としまして、特別ワークショップを期間限定で開催いたします☆
詳細 【期間限定】心理カウンセリングワークショップ

お申し込みを送っていただけます期間に限りがありますので、どうぞご注意いただけますといいなと思います。

つくづく思います。
自分が学んできた勉強、人生、経験、そして個人的やクライアントさま、生徒さんへお渡しいたします神や天使からのメッセージをふまえた、そのすべてを こうして惜しみなく100%のものとしてお伝えできますことは「愛」そのもので、本当に有難い感謝ばかりだなぁと…☆

出会ってくださいまして、本当にありがとうございます☆
感謝です(^−^)
もちろん、特別ワークショップの内容は私の人生のありとあらゆる面において役に立ってくれています。
そして今もなお。きっとこれからも…輝き、導いてくれるものであり、助けてくれています。

「生きる」「生きている」とは、とてもいいものですね。
(^−^)

当日はランチもご一緒いたします(^−^)楽しみですね!

2018.3.22
こんばんは☆
今日は「とってもいい日だなぁ〜」とつくづく感謝していました…☆

自分が気づかなかった「思い」に気づいてから、とてもとても心がぶんぶんと左右に揺れて、自分自身もまるで船酔いするかのように「辛い、しんどい」と思いますことや、 反面、水面に太陽の光が降り注ぎ、キラキラと反射してはまぶしくて美しいそのさまに「素敵、愛してる」と感動を感じる日々を過ごしました。
この世で生きていて、ご自分にとってとても大事な事柄…
そのジャンルで、私たちは「心」の揺れや痛み、感謝や恵みを感じるようになっています。
今回、この世に生まれてきた意味。それと忠実に沿った内容で、私たちは泣いたり笑ったり苦しんだり喜んだりします。
ご自身の今回の「生」に大事であるからこそ、の経験。
私もきっと、その経験、その日々がなければ気づかなかっただろうことを、心の揺れのさなかに幾つも見つけては、自分自身に与えられた「克服」する点でもあり、同時に「チャレンジ」 「愛」「豊かさ」でもあるなぁと見ていました。

私が心から望み、願ったことは、結果的には叶いませんでした。
けれども。終わってしまった後に、何も後悔はありませんでした。
自分が見つけたとても大切なことのために、知らず知らずに「避けていた」ことがわかりました。
そしてそれは、自分に愛の気持ちを持たなければ乗り越えられないこともわかりました。
他の人であれば簡単なことかもしれない…けれども私にとっては過去に「とても寂しくてとても悲しい思い」をしたという記憶がセットになって共に存在していました。
「本当にいいのか。また寂しくなるのかもしれない。悲しくなったらどうするの?また同じを繰り返すの?」激しく動揺し、逃げようともした自分も発見しました。
向き合いたくないがために、体調不良まで起こしました。それぐらい。私の人生にとって、とても大事な決断と勇気が必要なことでした。
腹をくくりますまでは、散々葛藤しました。あばれました(笑)
ですが、いつも大事な決断や瞬間に「愛」を思い出させてくださいます「尊敬」があり、私は他がためではない自分自身のために「あきらめ」ではなく夢と希望のほうを選ぶという選択をいつもすることができました。

これまでいつも自分の人生で選んでまいりましたのは「誰かのため」。人のために生きてきた…そのような人生を送ってまいりました私でした。いつも自分は一番最後。後回し。時にはまったくなく「犠牲」を選んでまいりました。
今回あらためて、「自分のために」「あきらめではなく希望を選ぶ」ということをクイズの早押し大会のように次々と連続でめまぐるしく選んだ経験でした。今までの人生でかつて経験したことのないくらい。
その結果が、私が望んだものではなく、どちらかと言えば「悲しい」と一見思えますほうだと思います。
そのような結末になりました(^−^)

結果がわかり、終わってしまった時に、心は澄み渡る青空のようにひらけていて、雲1つもない、にごりのない純粋なものでした。
それは自分でも意外でした。
わんわん泣くのかと思いました(笑)

私は全力で、真剣に、誠意を込めて、できる限りのことをしました。
ただひたすらに希望を見つめて、「もう一度!」と、幸せを心から願い、行動することができました。
人間ですから「完璧」ではないとは思います。ですが私なりに…
今までいろんな心や体の痛みを経験してきた人間としては、頑張ったのではないかなと思えるぐらいに、できる限りのことをし尽くしました。
ですので結果はいわゆる「失敗」ですが、「失敗」というものがこの世には存在しないことも十分理解しています(^−^)
「ここはまだ道の途中なんだ」「素晴らしい道しるべを、今、有難く感謝しながら通過したんだ」と、この経験に心からありがとうと思いました。

誰しもが幸せの道を歩いています。分岐点や曲がり角、十字路、トンネルや踏切で「行くのか、行かないのか」「どちらへ行くのか」を選べる私たち。
その時に、「愛」を選び続けることによって、想像もしないほどの幸せへのゴールへとたどりつきます。
途中、ちょっと妥協しましたら、「それなり」のゴールが。
そうして私たちは一瞬一瞬を、常に「愛を選ぶ」決断場面の連続で生きています。

私は、自分が恐れている「幸せ」に気づくこともできました。
「素晴らしい」を心から感じる経験もしました。尊敬も憧れも見つけ、私がどのように生きていけばいいのか、その先を見せてくださる素敵なかたの姿もありました。
先人は本当に有難いと感謝します。自分が恐れてできないことも、「恐れる必要はないんだよ」と教えてくださるかのようにその存在として、命として見せてくださいます。
生きててくださっていてありがとう…と深く深く感謝しました。

そしてまた、更に勉強をしていこうとも思いました。私には必要、と教えていただいた感謝の経験でした。

それは本当に何から何まで「愛」でした。生きていなければ出会えませんでした。

生徒さんからいただいたメールで素敵なお歌を教えていただきました(^−^)
そのお歌には
「誰を好きになってもいいの、一度きりのあなたを好きでいたいよ」
「結ばれることをどこかで怖がり、嘘ついて恋していいの?」
という歌詞がありました。

私は今、「さやか」という一度きりの人生を生きています。
私らしく生きていくのか…それとも何かをあきらめたり、人の顔色や目を気にして遠慮しましたり、やめましたり、大回りして生きていくのか…
幸せを怖がって、妥協やあきらめながら生きてもいいの?と、まるで今回経験した、大切な愛の経験をなぞるかのような歌詞だなぁとほほえましく思っていました。

何十年も生きているけれど、ほとんどしてはこなかった「自分」のために…
選ぶ、選択することができたよ(^−^)と、結果はどうであろうと自分に笑顔で誇らしく思えました。

私は幸せです。
感謝ばかりです。

2018.2.26
こんばんは(^−^)
やはり、久しぶりに書きにきますと、どこを押せば自分のウェブサイトを書くことができるのか、ボタンが見つかりにくく、「うーん?」と困ってしまいます。
(^−^)笑 ♪

私は神とお話をしながら生きて、1つ、いいことを理解することができるようになったなぁ〜☆と感じましたことは、「失敗」というものはない。ということ。
(^−^)
私たち…と言いますよりは、「私」かもしれませんが、私は失敗をいつの間にか恐れて生きるようになっていました。
学生時代は、テストの点数が悪いという「失敗」。アルバイト時代は、学校に通いながら居酒屋さんで働いていましたので、お客様の注文を間違うという「失敗」。これは、 お客様が困るといいますよりは、注文の品を作る店長に迷惑や手間をかけてしまうという「人に迷惑をかける」ということが起こるためです。
間違ってしまったお品は、廃棄処分になります。店長が作るお料理はどれも本当においしくて、手間暇がかかっています。元職人さんのため、口よりも手のほうが表現がお上手。
いつもにこにこと笑っています素敵な店長さんを、悲しませるわけにはいかない〜!と思っていました。

それから、日常生活では「遅刻」という失敗、休日だらだらとして結局何もせずに1日が終わってしまうという「失敗」、充実した休日にしようと思いながら結局何もしなかった、できなかったという「失敗」、 あそこへ行こうと思いながらも結局なんとなく体が重くて動けず、だらだら過ごして結果行けなかったという「失敗」、 お外に出かければおいしくないレストランに入ってしまうという「失敗」、 高価なものを購入してしまうという「失敗」、お給料前に預金口座やお財布の中身がスッカラカンになってしまうという「失敗」、 毎日の生活費や食費がいつの間にか少なくなってしまうという「失敗」、後々後悔するという「失敗」、何度教えてもらっても理解が難しいという「失敗」…

書き出せば尽きることのないくらいの「失敗」を経験しながら生き、とうとう私は「失敗」が嫌、失敗を恐れる、失敗を回避したい、失敗を防ぎたいという心の持ち主になっていました。

それが(^−^)
こうして神と出会い、ともに生きるようになり…
「失敗」というものはこの世に存在しないことがわかりました。

「失敗」と一見思えますものは、実は、「成功」つまり私たちが「こうなりたい、こうなっていたい、目標、希望、ゴール」と定めましたり思うもの、事柄への「途中」に過ぎないもので、また、素晴らしいことに 「道しるべ」でも☆

私の大好きなエジソンもおっしゃっています。「失敗は成功の元」(本当は、「失敗ではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ。」です☆)と。
(^−^)

1万通りの失敗が、成功(結果、ゴール、こうなりたいという理想や目標)に導いてくれたのだから、失敗というものはありません。という意味ですね。

私たちは科学者ではないです(笑)ですので1万回も失敗を繰り返すことはないと思います。またエジソンも、わざと大げさに1万という言葉を使ったのだと思います。それくらい失敗すると思っていれば、3回で済んだ場合、 ラッキーと思えるでしょう?という意味も込めて。

もしも私に「失敗」をあてはめるとしましたら…まず、1番最初の就職でホテルマンになったこと。もうそれは「失敗」です。
なぜなら私は今、ホテルマンではありません。ですから失敗になってしまうんですね。ごくごく「人間」的、人間としての思考であてはめますとしたら。
けれども、どうか。実際は。
実際、ホテルマンとして働いて、「より、ひとりひとりのお客様に対して、一対一での心からのおもてなしがしたい」と思いました。
これが、のちのち今の私の職業に繋がっていくことになりました。
ですから「失敗」とは言いきれません。また、ホテルマンになっていませんでしたら、そのように思わなかったかもしれません。心に強く。信念、希望として。

また、私が「咳が止まらない」という原因不明の病気でした時、たくさんの病院に検査に伺いましても結果が「不明」でした。
咳が24時間止まることなく、眠ることもできない。眠っているのはあまりにも睡眠不足になり、ほぼ気絶する場合だけ。
ですがまた、咳で起きます。
その繰り返しで1年近く…
重度のぜんそく患者さん用のお薬を処方していただき、服用するたびに意識を失う。ということも繰り返しました。
お外で服用し、その場で意識を失って倒れた時に「私は、自分の病気で死ぬのが先か、それともお薬で死ぬのが先か」と考え、次にホメオパスにかかることを決意しました。
ここまでのお話で「失敗」に宛てはめましたら、たくさんの病院に行きましたことは「失敗」、お薬を服用したことも「失敗」になります。

ホメオパス(ホメオパシーを専門的に勉強されました専門家、先生です)がいらっしゃるところまではとても遠く、月に1回、電車に乗ってまいりました。
ちょうどそのころ「豚インフルエンザ」が流行していた頃で、私が電車の中でマスクをしながらですが咳をしていましたら、常に、私の周りは誰もおらず、まるでドーナッツのようにぽっかりと空いている状態でした。
乗客ににらまれましたり、おびえられましたり…人々がこれほどに冷たく、冷酷で残酷なものはないと感じ、涙が出ますのをこらえるのに必死でした。
それほどまでしても通いましたのは、治りたい一心で。
また、私はヒプノセラピーを日本の第一人者の先生からも学びましたが(世界一の先生からも学びました。本当にこれらは有難いものばかりです)、 その日本一の先生の、これまた1番弟子のかたのセッションも受けることができる恵みにあずかり、相談させていただきました。

ここまでで「失敗」に当てはめますとしましたら…
ホメオパシーも失敗、ヒプノセラピーも失敗、電車に乗りましたことも失敗、膨大な料金を支払いましたことも「失敗」になります。

私はそれらを経て、それでも治らない。という状況でした。病歴が1年以上経過しています。

もうお外にも出られず、私は神に言いました。「もう死ぬしかないのなら、最後に何か生徒のために残して死にたいです。」と。
泣きました。

そうしましたら、ベッドで横になっている私に、大天使ミカエルがやってきまして、お話をし始めました。
「いきなりやってきて、ずーっとしゃべってるなぁ…(お話を聞く体力もないよー)」と、ただ大天使ミカエルが話している内容をもうろうとしながら聞き流していました。
ですが。
「あれ?」と思いました。私に話している、といいますよりは「何かを教えてくれている」内容だったからです。
私は生徒の皆さんに講座で伝えていますとおり、天使や神との会話はすべてノートに記しています。なぜなら神や天使はその時の自分に対してだけでなく、ノートを開いて目に入った時の自分にも メッセージを託してくれているからです。
「ちょっと待って…」、枕元に置いているノートとボールペンをよろよろとしながら手に取り、寝たままですが、「最初からもう一度」とお願いして書き留めました。
翌日にもまた大天使ミカエルはやってきて、また話し始めました。そうしてまた次の日、今度は大天使ラファエルでしたり、違う日は大天使ジョフィエルでしたりハニエルでしたり…
入れ代わり立ち代わり、大天使が枕元にやってきまして、それぞれに「講義」を始めました。
「もう体力がない」と伝えますと、その時点で大天使は帰っていきます。そうしてまた次の日、書き留めた続きから講義が始まります。
そうしてできあがりましたのが、もう皆さんもおわかりのとおり。「上級エンジェルヒーラー認定コース」の内容です。

神は言いました。それを出版しなさい。と。

最後の。私が大好きなこれまで来てくださいました生徒さんたち…皆さんに残せる最後の愛。
私がいなくなっても、生徒さんが役立ててくださる。いなくなっても、生徒さんにはいつでも天使がいる。
とても感謝しました。
私の遺書。神と天使が協力してくれた…

あとは出版してくださる会社を見つけないと。と思い、パソコンの前に座りました。不思議と立つこともできなくなっていたのですが、人間「さいご」と思うと不思議な力が働くようです。
別室の、パソコンの前で座り、電源をつけ…
そして申し訳ないのですが、出版社を探すはずが、やはり死にたくない思いが浮かび上がり(笑)、どんなに調べても出てこなかった自分の病気が何なのか…
「日本がだめなら、世界がある」と、もうほぼ忘れかけた英語で検索をしてみました。電子辞書を持ちながら。

そうして。簡単に(笑)私は自分の病気を見つけました。原因が「脳」という。
そのアメリカの医師は治療に必要なものまで書いてくださっていましたので、有難いことにアメリカから全てを調達することができました。
そうして届き、飲み始めて3日ほどで、止まることのなかった咳が、少しずつ間隔がせばまっていき、一週間ほどで「咳をしない」という状態になりました。

1年以上咳をしていましたので、胸の痛みやヒューヒュー、ゼーゼーとしていた時の違和感はまだ続いていましたが、こんなにも簡単に、咳が止まるなんて!と泣いて喜びました。

私がここでお伝えしたいのは、ホメオパシーも、日本における現代医療も、催眠療法も、遺書を書いたことも…
すべてが「失敗」なのではなく、「成功(治る)」への道のり、道順、過程だった、ということです。
(^−^)

私たちは、私たちという「人間」の脳で考えつくことの思い通りに行きませんでした場合、すぐに「失敗」と恐れます。
批判、否定し、自分や何か(たとえばこの例で言いましたらホメオパシーや天使など)を責めましたり、なじります。
それはすべて「自分」を責めていること。自己批判、自己卑下、自己虐待です。
そうとも知らず…
私たちはあまりにも簡単に「失敗」を恐れます。回避しようと考えます。防ごうとします。嫌だと思います。

しかし、本当はそうではない(^−^)

そのことを、私は神から学びました。

私も。人から嫌なように言われたこともあります。されたこともあります。知らないところで言われていたり、されていたこともあります。
けれども。
それでさえ、私の「失敗」ではありません。同様に、どなたにとっても「失敗」ではない。
なぜなら、動機が「愛」でしている限り、すべては失敗にならないことが真実だから。

誰かに対して、悪意やねたみなどを持ってすることは、失敗へと繋がります。けれども、悪意もねたみもなく、純粋な、ピュアな、愛の心でしましたり、言いましたり、行動しますことは 結果が「失敗」のように一見その時には思えましても、実のところは「成功」へと繋がる「過程」の1つにしか過ぎない…
それが、「真実」でした(^−^)

受講、したことは「失敗」ですか?

受講することは「失敗」ですか?

大金を失いましたか?失いますか?
何も成果を得られなかったのに、何も人生変わらなかったのに、「(さやかさんと比べて)私だけが不幸」ですか?

その「想い」が自己批判を含んでいる悪意だから、結果も「失敗」だったのです。
ですが、元々「受講しよう、したい」と思った頃のご自身は、自分を悲しませるために受講したいと思ったのではなかったはずです。
「こうなりたい、こうだったらいいな」というご自分への愛を源に、受講を決め、受講をしたはずです。

「経過、過程、途中」が一見幸せそうに見えないから、成果が出ていないように思えるからと言って、ご自分や誰かや何かを責めたり「失敗」と認定する必要がどこにもないことを、 今日のDIARYから学び得ていただけますと幸いと思います。
かつて、私が神から学んだ時と同じように。

そして。
シェア(分かち合い)も「愛」です(^−^)
私たちは膨大な、たくさんの愛と幸せに恵まれながら生きている「生まれながらにして幸せ」な人たちです。

2018.2.5
私たちは生まれてこのかた「愛」を知りません。

「私たち」と申しますのは私たちのことであり、「私たち」に当てはまらない方々は「私たち」にはあてはまりません。

私たちは生まれてこのかた愛を知りません。ですから「幸せ」もおのずと知りません。
幸せとは愛100%でできているものだからです。
幸せを知らず、愛を知らない。ですから幸せに生きることもできなければ、幸せを選ぶこともできない。幸せが何かも知りませんし教えてももらっていません。
愛がわからないから「自分に愛を」と言われましてもどうしたらいいかさえわかりませんし、「自分に愛か、愛ではないか」の区別もつきません。

すべては「知らない」。それが理由です。

「知らない」には未来があります。それは「知ることができる」という可能性です。
私たちは愛を知り、愛を選び、愛に生き、幸せになるために「天使」と出会ったのでしょう。
私たちがもしも愛をたくさん知り、たくさん選び、幸せに生きていたのなら「この」人生はなかったのでしょう。生きかたもしなかったのでしょう。
「今」の私もいなくて、まったく違う人間で、まったく違う「笑う私」だったのでしょう。

けれども私たちには未来がある。
それは私たちが出会った「天使」と共に、時に相談したり、時にぐちを一方的に言ったり、時に泣き言を聞いていただいたり、時に「どうしたらいいと思う?どんなアイデアがある?」と尋ねることができる。
ヒーリングを施していただいたり、「いつ」「どんな時」も孤独ではないこと、ひとりではないことを実感しながら生きていくことができる…
そんな「愛」を、愛100%である天使から学び、教えてもらい、受け取りながら人生に種のように蒔き、水やりのように注ぎ、太陽のように光を恵ませ、「幸せ」という私たちの人生を花開かせ、味わいながら生きていくことができるからです。

もしもまだ、天使にしょっちゅう尋ねたりしていない「私たち」がいるのなら…
それはいつでも「チャンス」だということです。
幸せになる、愛を知る、愛に生きる、愛を生かす。その。

現実を、いつだって嘆くことは簡単。
誰かのせいにして、現実逃避をすることさえも簡単。
なぜならそれは、これまで「私たち」が生きてきた、慣れた生きかただから。
他の人もしている。身内も、家族もしている。テレビで見る人もしているし、有名人だってしている…

けれどもそれで、「私たち」の人生がうまくいっていると感じていたのならいいけれど、残念ながら「私たち」は泣いたり悲しんだり、辛くなったり苦しくなることの連続で生きてきました。
人を責めるより自分を責め、自分を責めていることさえももうわからないほどに習慣化しながら生きてきた「私たち」。

それなら。
もう人生はずいぶん時間が進み、経過し、30歳も超えてしまったけれど…
自分のために、愛する人のために、関わる人すべての笑顔のために「愛」、愛100%の存在から教えてもらい、習慣化していけるように自分を愛で支えてあげてもいい頃かもしれません。

そんな、私たち。

幸せに生きている人は、そのまま、幸せに。
幸せでない人は、幸せに。
生きてもいいから、私たちは生まれてきた。

「私たち」が生きている、生まれてきた理由、意味は、「幸せに生きること」。
私たち全員の使命、人生の使命は「幸せになるために生まれてきた」「幸せに生きること」。

「私たち」である限り、全員。

ですからもし、「まだ幸せではない」と感じる部分があるのなら、それはご自分がご自分をまだ大切に、「愛」で取り扱っていない部分がありますよと教えてくれているサイン。
それを愛100%から「どうすれば愛に基づいて取り扱えるようになるのか、考えられるようになるのか、行動できるようになるのか」をゆっくりゆっくりと手を取りながら教えてもらい、導いてもらい、そう生きられるようになるための練習、 ステップを日々、一日一日と過ごしていいから命が許されています。


私たちが生きてきて、習慣化したのは「愛ではない方法」。
それを、愛から「愛の方法」を学べる恵みにあずかったからこそ、「私たち」は天使に出会えた。

そうではありませんか?
あなたも、私も。
「私たち」は。

2018.2.2
新しいDIARYですが、携帯電話から更新したいので、3月または4月に新しく作ろうと思います。
(^−^)
よろしくお願いいたします。

スケジュールですが、現在4月まで満員です。
ありがとうございます。
5月以降のご希望日にて、お申し込みからお伝えください☆

2018.1.25
こんにちは。
途中で更新が止まっておりました「さやか前世」。最後まで書き終わりましたのでお知らせいたします。
お知らせが遅くなりまして申し訳ございません。
「さやか前世」
よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。

2018.1.7
開催時間と料金の改定をおこないました。
日曜日にのみお仕事をおこなっております。
月〜土曜日でのご希望の場合は「オプション」を付けていただくことができます。
オプションはプラス12000円になりました。「お申込みフォーム」入力時に、ご希望内容とオプションの両方をご選択いただけるように変更いたしました。
よろしくお願いいたします。

このお仕事を始めた当初は、講座はいつも日曜日のみの開催でした(^−^)
一度に最大12人の生徒が集まり、せまいながらもお借りしていたマンションで楽しく過ごした毎回をいつでも思い返すことができます(^−^)
さすがに「せますぎるかな」と、6人が最大になるように変更したことも昨日のことのように思い出します。
そうしながら常に「受講する生徒にとって」を考え試行錯誤しながら、今の「マンツーマン」が一番受講生のためになると行きつきました。 もちろん自分自身の集中力など労力の面もあわせて。
生徒は本当におひとりおひとり「まったく」違います(^−^)
生徒と私の2人(もしくは昔なら複数人)のみがお部屋にいるように見えますが、実際は守護天使だの守護霊だの大天使やらマスターたちやら、そして神とも交信、相談しながら 講座の進行を進めていますので、一度に複数の存在が同時に話しているのを聞いている状態です(笑)
それで生徒さんも見、自分も話し、レクチャーとして動きもありますから「聖徳太子」状態(^−^)笑
「ただ座って静かにしている楽な仕事」と世間一般では思われやすいですが、複数の存在が話していることを理解しながら更に相談し、そして同時に目の前にいらっしゃる人(クライアントや生徒)のお話も聞いて、自分も話して。
実際に生きている人間で再現されますとおわかりになるかと思いますが、かなりの体力を消耗します(^−^)
目に見えるか目に見えないかの差なだけで、同時進行でしていることは同じです。ですので、相当、集中力と理解力が必要なお仕事だと再現していただければ理解いただけると思います。
それだけの力量が、プロであればあるほどこのお仕事では必要なもの。「聞く、見る」は簡単です。人間であろうと人間ではなかろうと見たり聞いたりする行為は同じです。
けれどもそれを同時進行してみてください。目の前の人はもちろん、複数の存在が話す、「その人」のための愛のメッセージやアドバイスも一言一句聞き逃すことなく、理解しながら、その上でカウンセリングや講座を進めていく、そのことを。
そこの部分は、「人間」である私が体力を含めた全部の力を使って行っている、「お仕事」の部分です。
簡単なお仕事とはこの世のどこにもありません。ただお仕事を全力を傾けてできていることが、私にとってのこのお仕事。自分にできる限りができるお仕事。それでお給料をいただき、毎日の生活に役立てています。私もひとりの人間として生きています。
それだけのこと。
適当なことも言えなければ言いたくないし、ましてや嘘は苦手でつかれると一気に大嫌いになります。つくと罪悪感にさいなまれ、ひとりで落ち込んで泣いてしまいますのでとてもじゃないですが「つこう」という気にさえなれません。
そもそも嘘とは、人のためにつくものだと思います。私はそれでも嘘はつきませんが、自分のためや保身のためにつくことは嘘ではなく、犯罪の1つだと思います。それぐらい本当の「嘘」というものは、人間が一見考えつく嘘とは違っているものと感じます。
自分を犠牲にしてまでも守りたいと思う、その人への愛… それが嘘というもので、自己犠牲は本当は愛ではありませんから、やはり嘘はつかなくていいものなんだと思います。
嘘をつかないことで不器用だと責められたこともありました。けれど私は嘘をつかない人間で生きてよかったなとも感謝しています。
なぜなら、こんなに信用していただいている。信頼が、お会いする前から本当に多大にいただいていることを、会った初日、その一瞬で感じます(^−^)
こんなにも信頼・信用していただいている人間はなかなかそうそういないよね〜と誇りに思っています(^−^)
自分が、きっと、してきた過去の辛さや苦労が全部、そうやって愛に変わったのだと理解しています。絶対の信用をくださっているという愛。
ですから過去は変えられませんが、この人生を生きて、この「私」という人間で生きてよかったなぁ…とお人に会うたび何度も感謝します☆

お話はそれましたが、自分のためにつく嘘は犯罪ですから、いつか法に裁かれる人間になってしまいます。もしくは因果応報。動機が「愛」ではないのですから、結果も愛でないのは当然、ですね。わかりきったことです。

「ラク」に見えるけれどラクではなく、相当大変(笑)、けれども「楽」しいと最終的な結論思えるお仕事…それが、私にとってはこのお仕事(^−^)
ただずっと立っていることが難しい足と体力になりました身としては、座っているので有難いお仕事と感謝しています。人間はすべてが「体」が資本ですから(体がなくなったら霊ですから、あの世に行かなきゃ☆笑)「無理をしない」。 それが大事ですね(^−^)

お仕事のたびに「聖徳太子」をしていますので、複数人の生徒がいると、私のほうも大変(笑)ひとりひとりに話せる言葉もおのずと短い時間になってしまいます。 それは、「私がしたいこと」ではなかったので、マンツーマンに変更してからは思う存分聖徳太子ができていて満足しています(^−^)
目の前の人に自分にできる限りのすべてをしないで、私は「お仕事をした」とは自分に言えません。みなせません。そこはまだ「自分に厳しい」面が残っているとも思いますが、また反対に「それが私らしい」とも思います。
中途半端が嫌い。いい加減、手抜きが嫌。愛じゃないことが嫌。そんな。
全部、私らしい(^−^)

そのようなことで、私らしく。全力でお仕事をさせていただく環境と状況にこのたび変更いたしました☆
どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

2018.1.3
新年あけましておめでとうございます。
(^−^)
昨年はありがとうございました。たくさん心から感謝しています。
まだ新しいDIARYができておりませんので、こちらより挨拶をいたしました。
今年もたくさんの方々が「自分」らしく。笑顔で(^−^)たくさんの嬉しさと共に、 おひとりおひとりにとりまして実となる経験と豊かさに溢れる毎日でありますよう、心から願います…☆

「2008年以降、毎年西日本において最多の受講者数を誇る講座になりました
心から感謝しています…☆」
この一文を、もう何年も一番最初のTOPページに掲げておりました。
誇りでもあると同時に、安心してお越しいただく目安や基準になるのでは…との想いから、そのように配慮したつもりでした。

今の。2018年の「私(自分)」には、どこかとても違和感のある文章で、それはつまり「比較対象」があることを表した文章だからだと感じています。
時にビジネスは(笑)、自分(や所属している企業、会社)のアピールポイントを大きく目立つようにし、「私はこれが得意です」 「私にはこのような素晴らしい点があります」とわかってもらう必要があります。
私自身もお金をいただいている以上「ビジネス」です。反対の立場(生徒やクライアント)でしたら、とても緊張しますし不安もたくさんあることを踏まえて、 ほんの1つでも不安よりも期待や希望を胸にお越しいただけたら幸せだなぁと思い、そのようにいたしておりました。

けれども、今。シエルセラピーはもうすぐ11年ですが、そのようなアピールポイント(他との明らかな違い、いい点)がなくとも「大丈夫(^−^)」と 笑って過ごそうと思えるようになりました。
もちろん、アピールをしていたほうが親切な面はあると思います。シエルセラピーはどのようなものか、人かがわかりやすいですから。けれど。 「西日本一」でなくても。私は自分のお仕事を誇りに思います(^−^)
それは、「私」がひとりでしているのではないから。「神」がしていて、私はそれを手伝いながら、お越しになるかたと一緒に幸せになっている、幸せな人間だから。

意外と自分のことを「幸せな人間」と言うことは勇気がいることです(笑)
日本に生まれ、日本で育ちましたから「謙遜(けんそん)こそが美徳」という文化もあります。けれど。
私は必要以上に自分を卑下し、過小評価し、虐げ(しいたげ)、「自分いじめ」をしてきた長い人生でした。ですから。ちょっとやそっと 「私、すごいねーん☆キラーン」と思ったところで、追いつきません(笑)
えへへ(^−^)
「ほめ日記」を、生徒の皆さんには宿題として課すコースがありますが、そのように、意外と自分を褒めることは「慣れていない」人生で生きてきた人間にとっては 難しかったり、恥ずかしかったり、冷や汗だったり(笑)、恐れ多かったりするものです。
そこを(^−^)
皆さんがご自分の幸せ、大切な方々の毎日の幸せを願いながらシエルセラピーへとお越しくださっていた日々を通して、たくさん私自身も学ばせていただいてまいりました。

実のところ、私は何もしておらず。
ただ、皆さんが神や講座を通して、ご自分自身の素晴らしさや美しさ、正直さや希望に気づき、「元の姿」に一歩ずつ一歩ずつ戻っていかれているだけで。
私はそばで、それを感動しながら、一緒に喜びながら、時に目からは流しませんが心の中で泣きながら、「皆さん」という命、存在、心、お人に触れて、お会いして、私自身もまた励まされる想いでした。

私はいつも思います。
一人では何もしていないし、何もできない、と。
それはかつて幼い頃、「誰も助けてくれる人はいない。自分しかいない。だからしっかりしないと。」と孤独の中で泣きながら気づいた人生の生きかたでした。
けれどもそれからずいぶん年月は経ち。こうして大人になってから「本当はいつも助けてもらいながらいつだって生きている」と本当の真実に気づいて有難く生きる日々に「戻られた」私です。
(^−^)
10歳にも満たない自分が「誰も助けてくれない、自分しかいない」と思いながら生きてきたことを、大人の自分が振り返るとずいぶん悲しい気持ちにはなります。 けれどもそれは本当に、誰もいないとしか思えなかった。だから、そう思いながら生きた幼い日々の自分、学生時代の自分、社会人になってからも、大人になってからも頑張って頑張って頑張ってきた自分に 「ありがとう」と思います。
そして「もう、頑張らなくていいよ(^−^)」とも。
いつでも助けてもらっています。ありとあらゆる方向から。それはつまり、自分が想像もしない、思いがけない人や時や方法も含めたものでという意味です。
想像もできない「方向」から助けてもらってきた人生でしたから、私は助けてもらっていることに気づけませんでした(^−^)
真実は、それ。自分が気づいていなかっただけで、いつでもそこここに愛は溢れていて、救いも、道も、光も、希望も、未来もひらけていて、ただ唯一それに自分だけが気づいていない…
そんな、「とんちんかん」な私でした(*^-^*)

そのことに。これまで出会ってきました皆さんが気づかせてくださる「愛」で、私をまた助け、救ってくださっていました(^−^)ただ「幸せになりたい」「天使とお話がしたい」「神と会話をしながら愛に生きたい」 という夢を抱いて訪れてくださった、このシエルセラピーで。

心から感謝しています(^−^)
もちろんプライベートでも、たくさん「助けてもらっている」と感謝を感じることばかりに溢れていて、体調不良でベッドで横になっている数日であろうと「ありがとう〜」「早く元気になろう〜☆」と勇気や励みさえもいただいた気持ちで さらに感謝でいっぱいになりながらグースカ寝ています(^−^)笑☆

そのようにして。
本当のところ、私は何もしていません。
ただ横にいて、一日中しゃべっています。



ここだけ読むと、変な人ですね、私(^−^)あはは
でも変な人です。私☆
変なものも好きです(^−^)
だからみんな大好きです(*^-^*)☆

あはは、みんなを変な人扱いしました☆えへへ
きっと画面の向こうで喜んでくださっていることでしょう〜〜☆
(^−^)

心からお話を聞いて、心からおひとりおひとりの心を感じて。心から神に相談しながら、心からおひとりおひとりの幸せを願う。
ただそれに、多大な労力と、全力の精神力と、集中力と、そして理解力と。あとは知識や「あてはまる」言語を選びながらそばにいる…
その誠心誠意の「自分にできる限りのおもてなし(思いやり)」の心で、約11年。泣いたり笑ったり、勉強したり人間としてもたくさんの気づきを得ながら 「お仕事」として向き合わせていただいてまいりました。

それが私( I AM )であり、そこに何の比較対象もいらない…
I AM THAT I AM. ですからね(^−^)
ということで。心からの感謝の言葉に変えて… 11年(2018年)が始まりました(*^-^*)

初心を忘れず。
汝(=いつも)、おごることなかれ。
謙虚。
Be honesty.
それから、「まずは自分」。
これらの言葉は、よくコース(講座)で自分に言い聞かせていることと同じように、お越しくださいました皆さんにも何度もお話をしてきた言葉ですから このうちのどれかは何度も何度も言われたことあるなぁ〜聞いたことあるなぁ〜という言葉かもしれません。
謙虚というのは自分をへりくだりもせず、見下しもせず、卑下もせず。小さき者の扱いもせず、ただあるがままに自分のままにいることを表している言葉です。
戒めでも何でもなく、心から自分にも他者にもまっすぐな心と目で見、扱い、純粋に何にも囚われずに接すること。
時々、人間ですから自分を責めます。そうかと思いきや、さらに時々は天狗にさえなっちゃいます(^−^)
天狗になった後に「何だあれは」と天狗になった自分を責めるのもいつも自分自身なのですが(笑)
そのようなこともせず。ただピュアに… それは意外と難しい!(笑)
のですが(^−^)うふふ
そうであろうと努めることで、努力は必ず報われて、自分だけでなく人と一緒に笑顔で幸せを感じられる日々や自分や毎日、人生の1ピースとして実を結び続けてくれています。
どこでどう報われるのかは「神のみぞ知る」レベルなのですが(^−^)笑

出会えたすべての皆さんに心から感謝しています。
おひとりおひとりが神と天使と共に「ご自分」に気づき、戻る過程を歩み、日々皆さんや大切なかたがたの幸せのために、毎日のためにできる限りをしてくださったこと、してくださっていること…
それを、いつも隣で(ずっとしゃべってはいますが笑)拝見できた11年の有難さという愛をくださったことを。
心から感謝しています。

いつも遠くから、お会いしたあの日のように、あの時のままに皆さんを心から思い、幸せな毎日を過ごしてくださっていること、過ごそうと生きてくださっていることに感謝しながら お会いできない日も末永く笑顔と幸せを祈っています。

ありがとうございました。

新年のご挨拶(*^-^*)☆

ますます笑顔になられる一年にしようね!(^−^)
「笑って生きていい」だから私たちには命が与えられている。
人間や命をそもそも創った、大いなる愛の力、人知を超えた普遍の愛によって。
(^−^)

12.8
こんばんは(^−^)とっても寒いですね。
DIARYを書いていたサイトさんが次々と書きづらくなるたびに(どこを押せばブログを書けるのだろう〜?と画面を見ながら迷子になるぐらいボタンが見当たらなくなった仕様に変更された、 スマートフォンから見ると男性向けのえろえろしい(笑)広告部分が入ってしまうようになった等)この「DIARY」はお引っ越ししてまいりました(^−^)
ですが。
とうとう自分のウェブサイトを作成していますところも「どこを押したらウェブサイトの編集ができるのかな?」状態に更新されました(笑)
ははっ…
そのようなことでどんどんDIARYから遠ざかること、はや…(笑)
神にですね、おしかりを受けまして(うそです。神はいつでも怒りません)。
来年からDIARYを再びお引っ越ししようかと予定しています。
完成しましたら、またこのシエルセラピーのウェブサイトからご覧いただけますようにいたしますので、お楽しみに〜☆です。
(^−^)

初期の頃から割と最近までですが、DIARYを書く上で気をつけていることがありました。それは、「なるべく、わかりやすく書くこと」。
自分の場合は別ですが、原文が英文であるものをどなたかに説明する際もそうしていたのですが、もっとも「ピン」と来ていただけるような文章、言葉、表現にするために 私はよく「国語辞典」を多用しながら文章を綴っていました。
日本語を、日本語の辞書で調べる。(^−^)
読み手側は目に映る文章を読む。その行為がもっともスムーズに済むよう、私なりの心遣い(おもてなし、思いやり)で配慮しながら書いていました。
私は、子供時代から現在まで膨大な数の本を読んでまいりました。ですので「言葉、文字」はとてもよく知っています。ですが。 「伝える側」として、あらゆる「知っている言葉」以上に読んでくださる、受け取ってくださる方々の心に違和感なく、疑問点なく、しっくりと来ながら理解いただけるよう 人間としてもそうですがお仕事の1つとしての気持ちでも、そのようにいたしてまいりました。

「長い」。そのような私にとって「つらい」と感じる心ない言葉を受けたこともありました。
はりあわれる、ライバル視される、DIARYに書きました内容を「元手」にご自身のブログを書かれて「どや顔」というものをしていらっしゃる…
文章を盗む人もいる。
そのような「愛」では生きていない、不思議なかたに遭遇するたびにDIARYを書く気持ちも失せ、書けなくなった頃もぽつりぽつりとありました。

そのような時は「書いて何になるのか。私は必要じゃないからそのようなことが起こっているのだろう」と自暴自棄になり、悲しい気持ちで日々を過ごしたりもしました。

人間ですから(^−^)
嬉しくないことをされて「嬉しくない、悲しい。」と感じることは神と話していることやこのようなお仕事をしていることとは関係ありません。
悲しいものは悲しい。
ドッジボールを故意に顔面に強くぶつけられても「笑っていろ。それがあなたの立場でしょう?」というような、意味不明な(これはたとえですが)批判や要求も過去にはありました。 そうして「がっかりした。」と、勝手に思われることも。

いやいや(笑)
(よかった、そういうかたがいなくなって…と小声でお伝え中です。笑)

神とともに生きることは、理不尽さを含めたありとあらゆるこの世のすべての事柄、存在を100%「YES」で受け入れることではありません。受けとめることでもありません。
けれども昔はよく誤解を受けました(^−^)
私はただの人間です。

ちなみに、この「ただの」という意味は、英語に変換しますと「Just 」。ちょうど、今まさにという意味のほうの「ただの」なんですね(^−^)
ただの人間とだけ書くと、「人間をばかにしてるのか、下に見てるのか」と思うかたもいるわけです。
そこを。なるべく伝える側と受け取る側の双方が同じ意味で捉えられるよう、辞書を活用してきた次第です。

同じことを… 天使もおこなう場合があります。
とてつもなく警戒心が強いかたにメッセージをお伝えする際、私はそのかたが警戒心が強いとは知らないのですが、天使は最初「敬語」で話し始めます。
その後、時間が経過するごとにつれて、言葉がどんどん崩されていく… という流れをちょこちょこと経験してまいりました。
シエルセラピーや講座でお会いするかたはいなかったのですが、イベントやボランティアで参加させていただくことがありますウェブサイト上でのチャネリングなどは 割りと多く、そのように天使たちも「人」の「警戒心」に合わせて柔軟に対応されていました。
(^−^)
天使がね(^−^)「いる」とは思えない気持ちがあるという警戒心、ですね。
懐疑的、懐疑心。天使を疑っていらっしゃる。天使の存在、または私に(笑)
いいんです。人間だもの(^−^)

神はですね、そいうことはないですね。いつも同じです。おじいちゃん(笑)

DIARYを綴ります上で、ただ簡単に「自分がわかっているから」という自分本位、自分のことだけ考えて書いてきましたことは一度もありませんでした。
思うことは簡単。話すことも簡単。それは普段、私たちがごく自然としていることだから。
ですが。「お人に何かをする」というお仕事に就いている身として、いつもそこには自分以外の「誰か」がいます。
その「誰か」に寄り添いたい、と。そう思ってするお仕事の一環であるため、スラスラと、何でも知っていると思われがちな身ですが辞書を引いたり、調べたりとしながら…
これまでお伝え、お話、文章を綴ってまいりました歴史が私の中でありました(^−^)

知らないのなら、知ればいい。
知っているのなら、もっと知ればいい。
それは天使や神との交流、交流している時に生じる疑問、とまどい、悩み、もどかしさはもちろんのこと。 生きていく上でご自身はもちろんあらゆるかたの「幸せ」においても、こと欠かせない大切なことではないかなぁ〜と思っています。
(^−^)

誰かの「マネ」なら簡単。
そこには「自分」がいないから。
実体のない人を誰も愛することはできないし、ご自分のない生きかたをしていても愛されるはずもない。
なぜなら人は「人」を愛し、人を愛したく、人から愛されたくて生きる生きものだから。

そのように書きながら「愛されたい」と思うこともなくなった身ですが(笑)それはもう充分に愛されているという実感や感謝を心から感じ、 それを還元、恩返しできれば嬉しいなぁと思っているからなのかもしれません。

「愛されたい」と思いながら生きていた頃、私は不幸でした。

それではまた(^−^)
お互いに暖かくしながら寒い日々も笑って過ごせると嬉しいですね。
ありがとうございます。

12.2
幸せは、人に勧められてなれるものではありません。
人に背中を押されてなるものでもありません。
幸せは、自分が「幸せになる」と決めてなれるものです。
決意を忘れず、愛を動機に行動してなるものです。
毎日の生活の中で聖なる深呼吸を繰り返しながら。不安や恐れ、心配やあきらめに生きるのではなく。
いつも、愛で。
忘れそうになった時には天使のカードを見、認定証を眺め、受講した時のノートや提出した課題や宿題のノート、課題図書を読み返し。
そうやって1つずつ。
一歩一歩。
ゆっくりと幸せになっていく自分に注意を向けて。気のせいにしたり気づかなかったり見逃さないよう。
愛で生きて叶えていくものです。

いつも幸せはすぐそばに。あなたの心の中に。

11.10
プロフィールのページを更新しました。
好きなもの、苦手なもの欄を作りました(^−^)
意外とみなさん、実は私のことを知らないので(うふふ☆)掲載してみました。

10.20
困った時、悩んだ時、悲しい時、「どうしよう?」と思った時。
エンジェルヒーラーなら天使に尋ね、
シエルセラピストなら神に相談し、
シータヒーラーなら創造主と会話する。
または複数であるなら、そのどれかや複数に尋ねたり相談したり会話する。
それが「練習」であり「お金を大切にすること(未来お金持ちになる方法)」でもあり「自分を大切にすること」です。
つまりは「自分を愛すること」です。

相談した後、どうしたいか。それを自分にも尋ねてあげる。
どう生きていきたいか。そのために今すぐできるほんの小さなことやアクションは何ができるか。
思うだけで行動しないのなら愛ではない。すぐにする。ほんの小さな今すぐできることに今この瞬間取りかかる。決して明日にしない。1時間後にもしない。「今」は今であり、今とは「現実」。
現実とは「自分」だから。

相談できる存在が自分にはいるのに相談せず、これまでどおり今までどおり自分一人で、孤独に、不安と恐れ、心配に基づいて思うだけだったり、行動したり。
それでは「愛」という何億、何兆ものお金をゴミ箱や「ドブ」に捨てていることと全く同じ。
自らの「愛を持とうとしない心」が、ご自身を不幸にしている。ただそれだけのこと。
そんな何億も何兆ものお金を捨てるような非情な人が愛されるはずもないし、お金持ちになるわけもないし、不幸にしかなれないのは当然。 みなが一生懸命に生き、稼ぎ、励む中で、「お金をドブに次々と捨てる人」のことを、反対の立場ならあなたはとても優しい目でにこにこと親しみを感じながら尊敬し、愛せるだろうか?
腹が立ったり、悲しくなったり「なんでそんなことするの?」と理解できなかったり「ひどいよ」と思ったりしないだろうか?
そう。だから。幸せではない。それだけ。
他人も、環境も、状況も関係ない。いつも「自分」。

自分に愛を。

まずは、自分。

これまでと変わりない「愛の心で自分を見てあげていない、接していない、思ってあげていない」部分があること(部分に気づかず放置してしまっている結果になっていること)が、出会う悲しみ、辛さ、理不尽さ、苦しみの正体だから。

10.9
シエルセラピー

質問・相談内容>
「スピリチュアルで言われるところの「ワクワクする」に対して、どうしても違和感がぬぐいきれません。
どうしたらいいでしょうか?」

神:
やぁ。質問をありがとう。
そうだね。
そこには「努力することなしに」が含まれているから、違和感を感じるのだろうね(^−^)

ワクワクすることも、ワクワク想像することも、楽しいことをすることも、楽しいことを追求することもいいこと。
けれど、それだけしていても、何も現実は変わらない。
ただ白昼、妄想、妄想ごっこしているだけだ。
それなら、3歳の子供がよくしていることだよね(^−^)
3歳の子供は、夢や希望のすべてを「すでに」手に入れているパーフェクトな存在ではない。
にもかかわらず、大の大人が3歳児の真似をして白昼夢にふける…
それはとても「非現実的」であるがゆえに、違和感を大いに感じることなのであろう。

スピリチュアルとは「バカになれ」と教え、伝えるものじゃない。
宗教でもない。
先人やあらゆる愛に基づいた魂からの知恵や勇気、アイデアを広めて伝えるものだ。
であるからして、現実に役立たないものはないと言える。
けれども人間には「欲」がある。その欲に反応して応えるものもあるということだね、限りなく「人間」が。
先人を含めた愛に基づく魂は「白昼夢のススメ」「非現実的なもののアドバイス」はしない。
そのようなものは、寝ている間に見る夢でしていればいいことだからだ。

「欲」には「欲」が反応する。呼応する。共鳴する。おびき寄せられ、だまされる。
夢と欲を混同することから、その結果が変わってくる。
夢なのか欲なのかは、その者の生きかた、心の在り方でよくわかる。
誰かをだまして生きているか。搾取しているか。
お金を儲けることは素晴らしいことだが、金、金、金の亡者になってはいないか。
そのことからよくわかる。
間違いを犯すことは人間ならよくあることだ。しかしながらそれを反省し、その後の人生に「善き行い」として還元、貢献、奉仕しているかはその者の有りかたにある。
人をだましながらワクワクしていても、その未来にあるのは破滅。それだけだ。

もしワクワクすることができるのなら、「努力」を自然としているであろう。
その夢を叶えるために、できること。それの。
3歳の子供が「お姫様になりたい」という夢のために、テーブルマナーや敬語を勉強し、身につける習慣を一日の大半ついやしているだろうか?
世界に通用するお姫様になるために、他言語を自ら身につけようと学んでいるだろうか。

オリンピックに出るアスリートでさえ、3歳の頃からみっちり練習してきた、という者のほうが多い。
それはオリンピックが「夢」だからだ。
白昼夢(妄想)ではないからだ。
「ただワクワクしてました。ワクワク想像してました。楽しいことをしてました。練習はまったくしませんでした。」というアスリートは1人でもいただろうか?

そのように言われないと「欲」と「夢」の違いが理解できない者もいる。
いるから「欲」を「夢」という言葉に置き換え、「怠ける」を「楽しい」に置き換える者がいる。

「楽しい」と「ラクをする(怠ける)」は同じではない。
ここで言う「ラクをする」とは、怠惰のことだ。決して「自分に対して厳しい者が、かつて親に「楽をするな!怠けるな!しっかりやれ!ちゃんとしろ!立派になれ!いい子になりなさい!●●ちゃんみたいになりなさい!あなた本当だめな子ね!」と 言われて育った方法と同じように、自分に対してダメ出しばかりをし、卑下し、自分を責めることをする」ではないということだ。

欲にまみれた者は「楽しい」「ワクワク」をはき違える。どれだけずるい方法で自分ばかりが「いい目にあう」や「利益を得られる」かの手段だと理解し、何も努力しない。
「夢」を持つ者は、誰かや何かのせいにすることなく、夢を叶えるために勉強をする。練習をする。日々、長い年月をかけて地道にコツコツと繰り返していく。その未来に夢を叶えた自分がいることをワクワクしながら想像して。
努力さえも楽しいと感じながら。

「欲」もいいものである。けれども、欲にまみれて自分を見失うことは現実を生きていないことだ。
いつまでも3歳の子供と同じである。夢は一切叶わない。
本当の「夢」を抱く者は、嫌がることなく「自分自身が克服する点」を見つめる。それはとても「痛い」。心の古傷がうずくからだ。
けれどもそれを見捨てたりはしない。もう自分を「愛さない」ことをやめて生きる覚悟や決心ができたからだ。
欲を「夢」とはき違えている者は、あらゆることに気づけない。
この文章も、どの文章も読もうとかえりみることなく、自分だけの利益を追求することをしてやまない、よだれをたらしながら、飢えた野良犬のように。

飢えた野良犬は平気でゴミ箱をあさる。腐敗したものも食らう。
欲が自分を苦しめ、破滅へ導いたことにも気づけずに。その欲を思いついた自らの心がすでに腐敗しきっていることも理解できずに。
平気で「おいしい目をみる」ことに夢中になる。
類は友を呼ぶ。腐った者には腐った未来と、あるのは破滅や破壊。それだけだ。

9.18
●疑う


天使と話せるようになりたくて、天使が見たくて、見られるような自分になりたくて。
講座を受けに行った自分が「わからない」「見えない」「話せない」と思ったことを、まず疑います。

「わからない」と思った時は「本当に私、わかってないのかなぁ?」
「見えない」と思った時「本当に私、見えてない?」
「話せない」と思った時「本当に私、話せてない?」

それ… 本当は…
「わかると思える自分になったら困るから、わからないと思い込んでいる私」
「見えるようになったら困るから、私なんかが見えるはずないじゃない、あんな素晴らしい天使なんて、この私が」
「話せるようになったら困るから、話せないと思い込んでいる私」

これが真実だからです。

「エンジェルヒーラー認定コース」は、小学校でたとえましたら、小学一年生が学ぶ内容です。
あいうえおの書きかたを先生から学びました。
1たす2は、3。それを先生から学びました。
それを、小学校1年生である子供ではなく、大人である生徒さんが。
理解力も知識も、子供ではなく。現在の年齢である大人の皆さんが、です。

本当は楽しい内容です。
ディズニーランドのようにウキウキする内容です。

なぜなら、大人が学ぶから。

わからないと思うことには意味があります。
できないと思うのなら、意味があります。

まずは、自分の「わからない」「できない」を疑う。

その「わからない」「できない」と思っている考え。それが、そもそも間違っているから。
違っているから。

あなたは6歳ではない。
たくさんの悲しい日、辛い日、苦しい日、泣いた日、怒った日、怒られた日、しかられた日、イライラした日、 落ち込んだ日、情けなさを感じた日、理不尽だと思った日、苦手だと感じた日、困った日、どうしたらいいかわからなかった日…
それらを過ごしてきた、人生を自分なりに過ごしてきた、頑張ってきた人だから。

条件付きの人生の中で生きてきた私たちです。
それを、まっさらの状態に戻って愛だけの中で愛や天使と交流し、愛に溢れた自分や人生や幸せや、家族や周りの人たちとともに生きていく人生を「作っていく」。
それが天使と話すこと、見ること、わかること、理解すること。

何も難しいことも、できないことも、わからないこともなく。ただあるのは、愛。それだけ。

けれども私たちは条件付きの中で生きてきたがために、条件が何もないまっさらな清らかな愛だけ、が初体験、初経験に近いんです。
(^−^)
それで。
慣れていくために、講座で教えてもらったことをお家でも繰り返していく…

これが。
「わからない私」が幻想だったと知る方法、「できない」と思ったことが幻想だったと理解できるようになる方法です。

それはお家で、ノートを広げて「あああああああああ」と何回も書いて練習することと、同じ。
あを練習した分だけ、「あ」が上手になりましたね(^−^)

講座で「あいうえお」を習った。
書いてみた。
先生から「できてますよ(^−^)」と言われた。
でも、私は「わからない」と思った!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

(笑)

だから、お家で練習をした。


たったそれだけのこと。

それをしないから。しようとしないから。ノートに書かないから。「私はわからない」に変にこだわるから(笑)

だから、いつまで経っても「わからない」が結果として残っているだけ。

もしも授業中に先生から「できてますよ」と言われた時…
「わぁーい☆そうなんだ♪ 嬉しいな」と思ったかどうかはさておき、「自分を認めること」ができていたなら。


「わからない私」で生きている必要もなく、「見えない私」「話せない私」で生きている必要もなく。
「わかる私」で生きても、なんら支障も問題も困ることもなく、むしろ幸せに生きられるようになった喜びのほうを味わいながら生きる人生が 自分にはあるんだということが理解できるようになっています。

それが困るから。幸せがイヤだから。自分を認めたくないから。あるいは自分を認めるともっと悲惨なことになるという妄想が無意識にあるから。

「わからない」を選び、「見えない私」を肯定し、「話せない私」を受け入れ、認め、 これまでどおり自分や何かや誰かを敵かバイ菌か嫌な人扱いしながら、不幸な人生を送り続けます。

不幸。それがあなたにとって一番安心する生きかただから。


私は不幸に「うんざり」しました。
お金がない、心が苦しい、泣いてばかり、しんどい、孤独…

もういやだ。と思いました。


イヤなことがたくさん起こらないと理解できないくらい、私は自分を「ありのままに認める」ことができずに生きていました。
もしも私が、何もできなくても、体が弱くても、あれがほしいなこれがほしいなと感じてしまう自分に「そうだね(^−^)」と共感してあげられていたなら、 親は私を全否定したけれど私自身は私を受け入れてあげられていれば、いい娘やいい嫁になろうとさえしてなかったら、 頑張らなきゃいけないと思うことなく生きていたら、自分がただ息をしていてただ息を吐いているだけで生きていても「それでいい」と思ってあげられる本当の意味の優しさを持っていたなら。
私は神にも天使にも出会うことなく…
笑って生きているのだろうと思います。どんな時代、どんな瞬間の私でも。

そうではなかったから。
私は神に出会い、天使と話し、神や天使を理解することをとおして自分を知り、人を知り、どれくらい自分が自分を痛めつけてきたのかに気づき、 それがごくごく自然とおこなわれてきた自己虐待であったことを知り、いつ、どんな時も、今もなお、これからも、 神や天使と話しながら幸せを教えてもらいながら幸せが理解できる自分になりたいといつまでも初心を忘れることなく生きていきたいと日々繰り返し、努力しています。

それは昔、自分には何かをしていなければ価値がないからと自己卑下する生きかたをしてきた人生と同じ方法ではなく、 ただ私がそうしたいから、努力が楽しくて好きだから。そのような理由で。
幸せになるためにできることを、したい。自分にできる限りのことで。そんな努力。
「人の笑顔が好き。」
そんな私に、出会えた人の笑顔が見られる瞬間が訪れる時間や、幸せに生きてますとお手紙で教えていただける有難さに触れる人生もまた、私の幸せ。


私は、私の生きかたは「自分のため」にすることよりも「人のため」にすることのほうがとても簡単で、とても考えやすく、とてもすんなりとできる。という生きかたでした。
「自分のため」を考えたことがなく、したこともなく、未知なることだったから。
それくらい、私は自分のために生きたこともなく、動いたこともなく、思ったこともありませんでした。
自分のためにいい点数をテストで取ることもありませんでした。読書感想文や作文や国語のテストの解答欄でさえ、「自分のため」に書いたこともありませんでした。
それでたくさんの賞をもらい、絵でももらい、学校に何十年も飾られ、校舎の一部として現在も残っていましたり。
どんなに華々しい賞や経歴、出来事があろうと、何1つとして。「私のため」にしたことはありませんでした。

ですから「自分さえよければ」がわからないし、理解できません。「お給料のためにガマンする」もわからない。
何か辛いこと、苦しいこと、悲しいことがあれば「全部、私が悪い。私のせい。」
私だからダメなんだ。私はやっぱり生きていてはいけない人間なんだ。生きる価値がないからこんな状態になるんだ。

いつも責めるのも、自分。
いつも、誰か、人のため。そのために私は生きてきて、結果、苦しんできました。
それが私が生きてきた人生、送ってきた「自分なりの方法」でした。

それが私には簡単なこと。常に自分は価値がなくて自分は悪い。それにあてはめて物事を考えて「なるほどそうか」「あぁ!」と合点、納得できていました。

まさか、それが。
その、自分の捉えかたが「違っている(間違っている)」ことに気づくこともなく。

ですからもちろん、「疑い」もしませんでした。そもそもそのような自分の発想に疑うことすら、思いつかない。しない。

それが、出会えた生徒さんからの「わからない」だと思います(^−^)
かつての自分。いつかの自分。
自分を責めるか、人を責めるか、何かを責めるか、自己価値がないと思うか、実際とはかけ離れた巨大な自己価値があると誇大妄想するか…
そういった違いは人それぞれですが。
きっと基本は同じ。なぜなら私たちはみな、人間。
それだからです。(^−^)



O L D




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