CIEL THERAPY 
 シ エ ル セ ラ ピ ー ウ ェ ブ サ イ ト  

DIARY

2018.2.5
私たちは生まれてこのかた「愛」を知りません。

「私たち」と申しますのは私たちのことであり、「私たち」に当てはまらない方々は「私たち」にはあてはまりません。

私たちは生まれてこのかた愛を知りません。ですから「幸せ」もおのずと知りません。
幸せとは愛100%でできているものだからです。
幸せを知らず、愛を知らない。ですから幸せに生きることもできなければ、幸せを選ぶこともできない。幸せが何かも知りませんし教えてももらっていません。
愛がわからないから「自分に愛を」と言われましてもどうしたらいいかさえわかりませんし、「自分に愛か、愛ではないか」の区別もつきません。

すべては「知らない」。それが理由です。

「知らない」には未来があります。それは「知ることができる」という可能性です。
私たちは愛を知り、愛を選び、愛に生き、幸せになるために「天使」と出会ったのでしょう。
私たちがもしも愛をたくさん知り、たくさん選び、幸せに生きていたのなら「この」人生はなかったのでしょう。生きかたもしなかったのでしょう。
「今」の私もいなくて、まったく違う人間で、まったく違う「笑う私」だったのでしょう。

けれども私たちには未来がある。
それは私たちが出会った「天使」と共に、時に相談したり、時にぐちを一方的に言ったり、時に泣き言を聞いていただいたり、時に「どうしたらいいと思う?どんなアイデアがある?」と尋ねることができる。
ヒーリングを施していただいたり、「いつ」「どんな時」も孤独ではないこと、ひとりではないことを実感しながら生きていくことができる…
そんな「愛」を、愛100%である天使から学び、教えてもらい、受け取りながら人生に種のように蒔き、水やりのように注ぎ、太陽のように光を恵ませ、「幸せ」という私たちの人生を花開かせ、味わいながら生きていくことができるからです。

もしもまだ、天使にしょっちゅう尋ねたりしていない「私たち」がいるのなら…
それはいつでも「チャンス」だということです。
幸せになる、愛を知る、愛に生きる、愛を生かす。その。

現実を、いつだって嘆くことは簡単。
誰かのせいにして、現実逃避をすることさえも簡単。
なぜならそれは、これまで「私たち」が生きてきた、慣れた生きかただから。
他の人もしている。身内も、家族もしている。テレビで見る人もしているし、有名人だってしている…

けれどもそれで、「私たち」の人生がうまくいっていると感じていたのならいいけれど、残念ながら「私たち」は泣いたり悲しんだり、辛くなったり苦しくなることの連続で生きてきました。
人を責めるより自分を責め、自分を責めていることさえももうわからないほどに習慣化しながら生きてきた「私たち」。

それなら。
もう人生はずいぶん時間が進み、経過し、30歳も超えてしまったけれど…
自分のために、愛する人のために、関わる人すべての笑顔のために「愛」、愛100%の存在から教えてもらい、習慣化していけるように自分を愛で支えてあげてもいい頃かもしれません。

そんな、私たち。

幸せに生きている人は、そのまま、幸せに。
幸せでない人は、幸せに。
生きてもいいから、私たちは生まれてきた。

「私たち」が生きている、生まれてきた理由、意味は、「幸せに生きること」。
私たち全員の使命、人生の使命は「幸せになるために生まれてきた」「幸せに生きること」。

「私たち」である限り、全員。

ですからもし、「まだ幸せではない」と感じる部分があるのなら、それはご自分がご自分をまだ大切に、「愛」で取り扱っていない部分がありますよと教えてくれているサイン。
それを愛100%から「どうすれば愛に基づいて取り扱えるようになるのか、考えられるようになるのか、行動できるようになるのか」をゆっくりゆっくりと手を取りながら教えてもらい、導いてもらい、そう生きられるようになるための練習、 ステップを日々、一日一日と過ごしていいから命が許されています。


私たちが生きてきて、習慣化したのは「愛ではない方法」。
それを、愛から「愛の方法」を学べる恵みにあずかったからこそ、「私たち」は天使に出会えた。

そうではありませんか?
あなたも、私も。
「私たち」は。

2018.2.2
新しいDIARYですが、携帯電話から更新したいので、3月または4月に新しく作ろうと思います。
(^−^)
よろしくお願いいたします。

スケジュールですが、現在4月まで満員です。
ありがとうございます。
5月以降のご希望日にて、お申し込みからお伝えください☆

2018.1.25
こんにちは。
途中で更新が止まっておりました「さやか前世」。最後まで書き終わりましたのでお知らせいたします。
お知らせが遅くなりまして申し訳ございません。
「さやか前世」
よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。

2018.1.7
開催時間と料金の改定をおこないました。
日曜日にのみお仕事をおこなっております。
月〜土曜日でのご希望の場合は「オプション」を付けていただくことができます。
オプションはプラス12000円になりました。「お申込みフォーム」入力時に、ご希望内容とオプションの両方をご選択いただけるように変更いたしました。
よろしくお願いいたします。

このお仕事を始めた当初は、講座はいつも日曜日のみの開催でした(^−^)
一度に最大12人の生徒が集まり、せまいながらもお借りしていたマンションで楽しく過ごした毎回をいつでも思い返すことができます(^−^)
さすがに「せますぎるかな」と、6人が最大になるように変更したことも昨日のことのように思い出します。
そうしながら常に「受講する生徒にとって」を考え試行錯誤しながら、今の「マンツーマン」が一番受講生のためになると行きつきました。 もちろん自分自身の集中力など労力の面もあわせて。
生徒は本当におひとりおひとり「まったく」違います(^−^)
生徒と私の2人(もしくは昔なら複数人)のみがお部屋にいるように見えますが、実際は守護天使だの守護霊だの大天使やらマスターたちやら、そして神とも交信、相談しながら 講座の進行を進めていますので、一度に複数の存在が同時に話しているのを聞いている状態です(笑)
それで生徒さんも見、自分も話し、レクチャーとして動きもありますから「聖徳太子」状態(^−^)笑
「ただ座って静かにしている楽な仕事」と世間一般では思われやすいですが、複数の存在が話していることを理解しながら更に相談し、そして同時に目の前にいらっしゃる人(クライアントや生徒)のお話も聞いて、自分も話して。
実際に生きている人間で再現されますとおわかりになるかと思いますが、かなりの体力を消耗します(^−^)
目に見えるか目に見えないかの差なだけで、同時進行でしていることは同じです。ですので、相当、集中力と理解力が必要なお仕事だと再現していただければ理解いただけると思います。
それだけの力量が、プロであればあるほどこのお仕事では必要なもの。「聞く、見る」は簡単です。人間であろうと人間ではなかろうと見たり聞いたりする行為は同じです。
けれどもそれを同時進行してみてください。目の前の人はもちろん、複数の存在が話す、「その人」のための愛のメッセージやアドバイスも一言一句聞き逃すことなく、理解しながら、その上でカウンセリングや講座を進めていく、そのことを。
そこの部分は、「人間」である私が体力を含めた全部の力を使って行っている、「お仕事」の部分です。
簡単なお仕事とはこの世のどこにもありません。ただお仕事を全力を傾けてできていることが、私にとってのこのお仕事。自分にできる限りができるお仕事。それでお給料をいただき、毎日の生活に役立てています。私もひとりの人間として生きています。
それだけのこと。
適当なことも言えなければ言いたくないし、ましてや嘘は苦手でつかれると一気に大嫌いになります。つくと罪悪感にさいなまれ、ひとりで落ち込んで泣いてしまいますのでとてもじゃないですが「つこう」という気にさえなれません。
そもそも嘘とは、人のためにつくものだと思います。私はそれでも嘘はつきませんが、自分のためや保身のためにつくことは嘘ではなく、犯罪の1つだと思います。それぐらい本当の「嘘」というものは、人間が一見考えつく嘘とは違っているものと感じます。
自分を犠牲にしてまでも守りたいと思う、その人への愛… それが嘘というもので、自己犠牲は本当は愛ではありませんから、やはり嘘はつかなくていいものなんだと思います。
嘘をつかないことで不器用だと責められたこともありました。けれど私は嘘をつかない人間で生きてよかったなとも感謝しています。
なぜなら、こんなに信用していただいている。信頼が、お会いする前から本当に多大にいただいていることを、会った初日、その一瞬で感じます(^−^)
こんなにも信頼・信用していただいている人間はなかなかそうそういないよね〜と誇りに思っています(^−^)
自分が、きっと、してきた過去の辛さや苦労が全部、そうやって愛に変わったのだと理解しています。絶対の信用をくださっているという愛。
ですから過去は変えられませんが、この人生を生きて、この「私」という人間で生きてよかったなぁ…とお人に会うたび何度も感謝します☆

お話はそれましたが、自分のためにつく嘘は犯罪ですから、いつか法に裁かれる人間になってしまいます。もしくは因果応報。動機が「愛」ではないのですから、結果も愛でないのは当然、ですね。わかりきったことです。

「ラク」に見えるけれどラクではなく、相当大変(笑)、けれども「楽」しいと最終的な結論思えるお仕事…それが、私にとってはこのお仕事(^−^)
ただずっと立っていることが難しい足と体力になりました身としては、座っているので有難いお仕事と感謝しています。人間はすべてが「体」が資本ですから(体がなくなったら霊ですから、あの世に行かなきゃ☆笑)「無理をしない」。 それが大事ですね(^−^)

お仕事のたびに「聖徳太子」をしていますので、複数人の生徒がいると、私のほうも大変(笑)ひとりひとりに話せる言葉もおのずと短い時間になってしまいます。 それは、「私がしたいこと」ではなかったので、マンツーマンに変更してからは思う存分聖徳太子ができていて満足しています(^−^)
目の前の人に自分にできる限りのすべてをしないで、私は「お仕事をした」とは自分に言えません。みなせません。そこはまだ「自分に厳しい」面が残っているとも思いますが、また反対に「それが私らしい」とも思います。
中途半端が嫌い。いい加減、手抜きが嫌。愛じゃないことが嫌。そんな。
全部、私らしい(^−^)

そのようなことで、私らしく。全力でお仕事をさせていただく環境と状況にこのたび変更いたしました☆
どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

2018.1.3
新年あけましておめでとうございます。
(^−^)
昨年はありがとうございました。たくさん心から感謝しています。
まだ新しいDIARYができておりませんので、こちらより挨拶をいたしました。
今年もたくさんの方々が「自分」らしく。笑顔で(^−^)たくさんの嬉しさと共に、 おひとりおひとりにとりまして実となる経験と豊かさに溢れる毎日でありますよう、心から願います…☆

「2008年以降、毎年西日本において最多の受講者数を誇る講座になりました
心から感謝しています…☆」
この一文を、もう何年も一番最初のTOPページに掲げておりました。
誇りでもあると同時に、安心してお越しいただく目安や基準になるのでは…との想いから、そのように配慮したつもりでした。

今の。2018年の「私(自分)」には、どこかとても違和感のある文章で、それはつまり「比較対象」があることを表した文章だからだと感じています。
時にビジネスは(笑)、自分(や所属している企業、会社)のアピールポイントを大きく目立つようにし、「私はこれが得意です」 「私にはこのような素晴らしい点があります」とわかってもらう必要があります。
私自身もお金をいただいている以上「ビジネス」です。反対の立場(生徒やクライアント)でしたら、とても緊張しますし不安もたくさんあることを踏まえて、 ほんの1つでも不安よりも期待や希望を胸にお越しいただけたら幸せだなぁと思い、そのようにいたしておりました。

けれども、今。シエルセラピーはもうすぐ11年ですが、そのようなアピールポイント(他との明らかな違い、いい点)がなくとも「大丈夫(^−^)」と 笑って過ごそうと思えるようになりました。
もちろん、アピールをしていたほうが親切な面はあると思います。シエルセラピーはどのようなものか、人かがわかりやすいですから。けれど。 「西日本一」でなくても。私は自分のお仕事を誇りに思います(^−^)
それは、「私」がひとりでしているのではないから。「神」がしていて、私はそれを手伝いながら、お越しになるかたと一緒に幸せになっている、幸せな人間だから。

意外と自分のことを「幸せな人間」と言うことは勇気がいることです(笑)
日本に生まれ、日本で育ちましたから「謙遜(けんそん)こそが美徳」という文化もあります。けれど。
私は必要以上に自分を卑下し、過小評価し、虐げ(しいたげ)、「自分いじめ」をしてきた長い人生でした。ですから。ちょっとやそっと 「私、すごいねーん☆キラーン」と思ったところで、追いつきません(笑)
えへへ(^−^)
「ほめ日記」を、生徒の皆さんには宿題として課すコースがありますが、そのように、意外と自分を褒めることは「慣れていない」人生で生きてきた人間にとっては 難しかったり、恥ずかしかったり、冷や汗だったり(笑)、恐れ多かったりするものです。
そこを(^−^)
皆さんがご自分の幸せ、大切な方々の毎日の幸せを願いながらシエルセラピーへとお越しくださっていた日々を通して、たくさん私自身も学ばせていただいてまいりました。

実のところ、私は何もしておらず。
ただ、皆さんが神や講座を通して、ご自分自身の素晴らしさや美しさ、正直さや希望に気づき、「元の姿」に一歩ずつ一歩ずつ戻っていかれているだけで。
私はそばで、それを感動しながら、一緒に喜びながら、時に目からは流しませんが心の中で泣きながら、「皆さん」という命、存在、心、お人に触れて、お会いして、私自身もまた励まされる想いでした。

私はいつも思います。
一人では何もしていないし、何もできない、と。
それはかつて幼い頃、「誰も助けてくれる人はいない。自分しかいない。だからしっかりしないと。」と孤独の中で泣きながら気づいた人生の生きかたでした。
けれどもそれからずいぶん年月は経ち。こうして大人になってから「本当はいつも助けてもらいながらいつだって生きている」と本当の真実に気づいて有難く生きる日々に「戻られた」私です。
(^−^)
10歳にも満たない自分が「誰も助けてくれない、自分しかいない」と思いながら生きてきたことを、大人の自分が振り返るとずいぶん悲しい気持ちにはなります。 けれどもそれは本当に、誰もいないとしか思えなかった。だから、そう思いながら生きた幼い日々の自分、学生時代の自分、社会人になってからも、大人になってからも頑張って頑張って頑張ってきた自分に 「ありがとう」と思います。
そして「もう、頑張らなくていいよ(^−^)」とも。
いつでも助けてもらっています。ありとあらゆる方向から。それはつまり、自分が想像もしない、思いがけない人や時や方法も含めたものでという意味です。
想像もできない「方向」から助けてもらってきた人生でしたから、私は助けてもらっていることに気づけませんでした(^−^)
真実は、それ。自分が気づいていなかっただけで、いつでもそこここに愛は溢れていて、救いも、道も、光も、希望も、未来もひらけていて、ただ唯一それに自分だけが気づいていない…
そんな、「とんちんかん」な私でした(*^-^*)

そのことに。これまで出会ってきました皆さんが気づかせてくださる「愛」で、私をまた助け、救ってくださっていました(^−^)ただ「幸せになりたい」「天使とお話がしたい」「神と会話をしながら愛に生きたい」 という夢を抱いて訪れてくださった、このシエルセラピーで。

心から感謝しています(^−^)
もちろんプライベートでも、たくさん「助けてもらっている」と感謝を感じることばかりに溢れていて、体調不良でベッドで横になっている数日であろうと「ありがとう〜」「早く元気になろう〜☆」と勇気や励みさえもいただいた気持ちで さらに感謝でいっぱいになりながらグースカ寝ています(^−^)笑☆

そのようにして。
本当のところ、私は何もしていません。
ただ横にいて、一日中しゃべっています。



ここだけ読むと、変な人ですね、私(^−^)あはは
でも変な人です。私☆
変なものも好きです(^−^)
だからみんな大好きです(*^-^*)☆

あはは、みんなを変な人扱いしました☆えへへ
きっと画面の向こうで喜んでくださっていることでしょう〜〜☆
(^−^)

心からお話を聞いて、心からおひとりおひとりの心を感じて。心から神に相談しながら、心からおひとりおひとりの幸せを願う。
ただそれに、多大な労力と、全力の精神力と、集中力と、そして理解力と。あとは知識や「あてはまる」言語を選びながらそばにいる…
その誠心誠意の「自分にできる限りのおもてなし(思いやり)」の心で、約11年。泣いたり笑ったり、勉強したり人間としてもたくさんの気づきを得ながら 「お仕事」として向き合わせていただいてまいりました。

それが私( I AM )であり、そこに何の比較対象もいらない…
I AM THAT I AM. ですからね(^−^)
ということで。心からの感謝の言葉に変えて… 11年(2018年)が始まりました(*^-^*)

初心を忘れず。
汝(=いつも)、おごることなかれ。
謙虚。
Be honesty.
それから、「まずは自分」。
これらの言葉は、よくコース(講座)で自分に言い聞かせていることと同じように、お越しくださいました皆さんにも何度もお話をしてきた言葉ですから このうちのどれかは何度も何度も言われたことあるなぁ〜聞いたことあるなぁ〜という言葉かもしれません。
謙虚というのは自分をへりくだりもせず、見下しもせず、卑下もせず。小さき者の扱いもせず、ただあるがままに自分のままにいることを表している言葉です。
戒めでも何でもなく、心から自分にも他者にもまっすぐな心と目で見、扱い、純粋に何にも囚われずに接すること。
時々、人間ですから自分を責めます。そうかと思いきや、さらに時々は天狗にさえなっちゃいます(^−^)
天狗になった後に「何だあれは」と天狗になった自分を責めるのもいつも自分自身なのですが(笑)
そのようなこともせず。ただピュアに… それは意外と難しい!(笑)
のですが(^−^)うふふ
そうであろうと努めることで、努力は必ず報われて、自分だけでなく人と一緒に笑顔で幸せを感じられる日々や自分や毎日、人生の1ピースとして実を結び続けてくれています。
どこでどう報われるのかは「神のみぞ知る」レベルなのですが(^−^)笑

出会えたすべての皆さんに心から感謝しています。
おひとりおひとりが神と天使と共に「ご自分」に気づき、戻る過程を歩み、日々皆さんや大切なかたがたの幸せのために、毎日のためにできる限りをしてくださったこと、してくださっていること…
それを、いつも隣で(ずっとしゃべってはいますが笑)拝見できた11年の有難さという愛をくださったことを。
心から感謝しています。

いつも遠くから、お会いしたあの日のように、あの時のままに皆さんを心から思い、幸せな毎日を過ごしてくださっていること、過ごそうと生きてくださっていることに感謝しながら お会いできない日も末永く笑顔と幸せを祈っています。

ありがとうございました。

新年のご挨拶(*^-^*)☆

ますます笑顔になられる一年にしようね!(^−^)
「笑って生きていい」だから私たちには命が与えられている。
人間や命をそもそも創った、大いなる愛の力、人知を超えた普遍の愛によって。
(^−^)

12.8
こんばんは(^−^)とっても寒いですね。
DIARYを書いていたサイトさんが次々と書きづらくなるたびに(どこを押せばブログを書けるのだろう〜?と画面を見ながら迷子になるぐらいボタンが見当たらなくなった仕様に変更された、 スマートフォンから見ると男性向けのえろえろしい(笑)広告部分が入ってしまうようになった等)この「DIARY」はお引っ越ししてまいりました(^−^)
ですが。
とうとう自分のウェブサイトを作成していますところも「どこを押したらウェブサイトの編集ができるのかな?」状態に更新されました(笑)
ははっ…
そのようなことでどんどんDIARYから遠ざかること、はや…(笑)
神にですね、おしかりを受けまして(うそです。神はいつでも怒りません)。
来年からDIARYを再びお引っ越ししようかと予定しています。
完成しましたら、またこのシエルセラピーのウェブサイトからご覧いただけますようにいたしますので、お楽しみに〜☆です。
(^−^)

初期の頃から割と最近までですが、DIARYを書く上で気をつけていることがありました。それは、「なるべく、わかりやすく書くこと」。
自分の場合は別ですが、原文が英文であるものをどなたかに説明する際もそうしていたのですが、もっとも「ピン」と来ていただけるような文章、言葉、表現にするために 私はよく「国語辞典」を多用しながら文章を綴っていました。
日本語を、日本語の辞書で調べる。(^−^)
読み手側は目に映る文章を読む。その行為がもっともスムーズに済むよう、私なりの心遣い(おもてなし、思いやり)で配慮しながら書いていました。
私は、子供時代から現在まで膨大な数の本を読んでまいりました。ですので「言葉、文字」はとてもよく知っています。ですが。 「伝える側」として、あらゆる「知っている言葉」以上に読んでくださる、受け取ってくださる方々の心に違和感なく、疑問点なく、しっくりと来ながら理解いただけるよう 人間としてもそうですがお仕事の1つとしての気持ちでも、そのようにいたしてまいりました。

「長い」。そのような私にとって「つらい」と感じる心ない言葉を受けたこともありました。
はりあわれる、ライバル視される、DIARYに書きました内容を「元手」にご自身のブログを書かれて「どや顔」というものをしていらっしゃる…
文章を盗む人もいる。
そのような「愛」では生きていない、不思議なかたに遭遇するたびにDIARYを書く気持ちも失せ、書けなくなった頃もぽつりぽつりとありました。

そのような時は「書いて何になるのか。私は必要じゃないからそのようなことが起こっているのだろう」と自暴自棄になり、悲しい気持ちで日々を過ごしたりもしました。

人間ですから(^−^)
嬉しくないことをされて「嬉しくない、悲しい。」と感じることは神と話していることやこのようなお仕事をしていることとは関係ありません。
悲しいものは悲しい。
ドッジボールを故意に顔面に強くぶつけられても「笑っていろ。それがあなたの立場でしょう?」というような、意味不明な(これはたとえですが)批判や要求も過去にはありました。 そうして「がっかりした。」と、勝手に思われることも。

いやいや(笑)
(よかった、そういうかたがいなくなって…と小声でお伝え中です。笑)

神とともに生きることは、理不尽さを含めたありとあらゆるこの世のすべての事柄、存在を100%「YES」で受け入れることではありません。受けとめることでもありません。
けれども昔はよく誤解を受けました(^−^)
私はただの人間です。

ちなみに、この「ただの」という意味は、英語に変換しますと「Just 」。ちょうど、今まさにという意味のほうの「ただの」なんですね(^−^)
ただの人間とだけ書くと、「人間をばかにしてるのか、下に見てるのか」と思うかたもいるわけです。
そこを。なるべく伝える側と受け取る側の双方が同じ意味で捉えられるよう、辞書を活用してきた次第です。

同じことを… 天使もおこなう場合があります。
とてつもなく警戒心が強いかたにメッセージをお伝えする際、私はそのかたが警戒心が強いとは知らないのですが、天使は最初「敬語」で話し始めます。
その後、時間が経過するごとにつれて、言葉がどんどん崩されていく… という流れをちょこちょこと経験してまいりました。
シエルセラピーや講座でお会いするかたはいなかったのですが、イベントやボランティアで参加させていただくことがありますウェブサイト上でのチャネリングなどは 割りと多く、そのように天使たちも「人」の「警戒心」に合わせて柔軟に対応されていました。
(^−^)
天使がね(^−^)「いる」とは思えない気持ちがあるという警戒心、ですね。
懐疑的、懐疑心。天使を疑っていらっしゃる。天使の存在、または私に(笑)
いいんです。人間だもの(^−^)

神はですね、そいうことはないですね。いつも同じです。おじいちゃん(笑)

DIARYを綴ります上で、ただ簡単に「自分がわかっているから」という自分本位、自分のことだけ考えて書いてきましたことは一度もありませんでした。
思うことは簡単。話すことも簡単。それは普段、私たちがごく自然としていることだから。
ですが。「お人に何かをする」というお仕事に就いている身として、いつもそこには自分以外の「誰か」がいます。
その「誰か」に寄り添いたい、と。そう思ってするお仕事の一環であるため、スラスラと、何でも知っていると思われがちな身ですが辞書を引いたり、調べたりとしながら…
これまでお伝え、お話、文章を綴ってまいりました歴史が私の中でありました(^−^)

知らないのなら、知ればいい。
知っているのなら、もっと知ればいい。
それは天使や神との交流、交流している時に生じる疑問、とまどい、悩み、もどかしさはもちろんのこと。 生きていく上でご自身はもちろんあらゆるかたの「幸せ」においても、こと欠かせない大切なことではないかなぁ〜と思っています。
(^−^)

誰かの「マネ」なら簡単。
そこには「自分」がいないから。
実体のない人を誰も愛することはできないし、ご自分のない生きかたをしていても愛されるはずもない。
なぜなら人は「人」を愛し、人を愛したく、人から愛されたくて生きる生きものだから。

そのように書きながら「愛されたい」と思うこともなくなった身ですが(笑)それはもう充分に愛されているという実感や感謝を心から感じ、 それを還元、恩返しできれば嬉しいなぁと思っているからなのかもしれません。

「愛されたい」と思いながら生きていた頃、私は不幸でした。

それではまた(^−^)
お互いに暖かくしながら寒い日々も笑って過ごせると嬉しいですね。
ありがとうございます。

12.2
幸せは、人に勧められてなれるものではありません。
人に背中を押されてなるものでもありません。
幸せは、自分が「幸せになる」と決めてなれるものです。
決意を忘れず、愛を動機に行動してなるものです。
毎日の生活の中で聖なる深呼吸を繰り返しながら。不安や恐れ、心配やあきらめに生きるのではなく。
いつも、愛で。
忘れそうになった時には天使のカードを見、認定証を眺め、受講した時のノートや提出した課題や宿題のノート、課題図書を読み返し。
そうやって1つずつ。
一歩一歩。
ゆっくりと幸せになっていく自分に注意を向けて。気のせいにしたり気づかなかったり見逃さないよう。
愛で生きて叶えていくものです。

いつも幸せはすぐそばに。あなたの心の中に。

11.10
プロフィールのページを更新しました。
好きなもの、苦手なもの欄を作りました(^−^)
意外とみなさん、実は私のことを知らないので(うふふ☆)掲載してみました。

10.20
困った時、悩んだ時、悲しい時、「どうしよう?」と思った時。
エンジェルヒーラーなら天使に尋ね、
シエルセラピストなら神に相談し、
シータヒーラーなら創造主と会話する。
または複数であるなら、そのどれかや複数に尋ねたり相談したり会話する。
それが「練習」であり「お金を大切にすること(未来お金持ちになる方法)」でもあり「自分を大切にすること」です。
つまりは「自分を愛すること」です。

相談した後、どうしたいか。それを自分にも尋ねてあげる。
どう生きていきたいか。そのために今すぐできるほんの小さなことやアクションは何ができるか。
思うだけで行動しないのなら愛ではない。すぐにする。ほんの小さな今すぐできることに今この瞬間取りかかる。決して明日にしない。1時間後にもしない。「今」は今であり、今とは「現実」。
現実とは「自分」だから。

相談できる存在が自分にはいるのに相談せず、これまでどおり今までどおり自分一人で、孤独に、不安と恐れ、心配に基づいて思うだけだったり、行動したり。
それでは「愛」という何億、何兆ものお金をゴミ箱や「ドブ」に捨てていることと全く同じ。
自らの「愛を持とうとしない心」が、ご自身を不幸にしている。ただそれだけのこと。
そんな何億も何兆ものお金を捨てるような非情な人が愛されるはずもないし、お金持ちになるわけもないし、不幸にしかなれないのは当然。 みなが一生懸命に生き、稼ぎ、励む中で、「お金をドブに次々と捨てる人」のことを、反対の立場ならあなたはとても優しい目でにこにこと親しみを感じながら尊敬し、愛せるだろうか?
腹が立ったり、悲しくなったり「なんでそんなことするの?」と理解できなかったり「ひどいよ」と思ったりしないだろうか?
そう。だから。幸せではない。それだけ。
他人も、環境も、状況も関係ない。いつも「自分」。

自分に愛を。

まずは、自分。

これまでと変わりない「愛の心で自分を見てあげていない、接していない、思ってあげていない」部分があること(部分に気づかず放置してしまっている結果になっていること)が、出会う悲しみ、辛さ、理不尽さ、苦しみの正体だから。

10.9
シエルセラピー

質問・相談内容>
「スピリチュアルで言われるところの「ワクワクする」に対して、どうしても違和感がぬぐいきれません。
どうしたらいいでしょうか?」

神:
やぁ。質問をありがとう。
そうだね。
そこには「努力することなしに」が含まれているから、違和感を感じるのだろうね(^−^)

ワクワクすることも、ワクワク想像することも、楽しいことをすることも、楽しいことを追求することもいいこと。
けれど、それだけしていても、何も現実は変わらない。
ただ白昼、妄想、妄想ごっこしているだけだ。
それなら、3歳の子供がよくしていることだよね(^−^)
3歳の子供は、夢や希望のすべてを「すでに」手に入れているパーフェクトな存在ではない。
にもかかわらず、大の大人が3歳児の真似をして白昼夢にふける…
それはとても「非現実的」であるがゆえに、違和感を大いに感じることなのであろう。

スピリチュアルとは「バカになれ」と教え、伝えるものじゃない。
宗教でもない。
先人やあらゆる愛に基づいた魂からの知恵や勇気、アイデアを広めて伝えるものだ。
であるからして、現実に役立たないものはないと言える。
けれども人間には「欲」がある。その欲に反応して応えるものもあるということだね、限りなく「人間」が。
先人を含めた愛に基づく魂は「白昼夢のススメ」「非現実的なもののアドバイス」はしない。
そのようなものは、寝ている間に見る夢でしていればいいことだからだ。

「欲」には「欲」が反応する。呼応する。共鳴する。おびき寄せられ、だまされる。
夢と欲を混同することから、その結果が変わってくる。
夢なのか欲なのかは、その者の生きかた、心の在り方でよくわかる。
誰かをだまして生きているか。搾取しているか。
お金を儲けることは素晴らしいことだが、金、金、金の亡者になってはいないか。
そのことからよくわかる。
間違いを犯すことは人間ならよくあることだ。しかしながらそれを反省し、その後の人生に「善き行い」として還元、貢献、奉仕しているかはその者の有りかたにある。
人をだましながらワクワクしていても、その未来にあるのは破滅。それだけだ。

もしワクワクすることができるのなら、「努力」を自然としているであろう。
その夢を叶えるために、できること。それの。
3歳の子供が「お姫様になりたい」という夢のために、テーブルマナーや敬語を勉強し、身につける習慣を一日の大半ついやしているだろうか?
世界に通用するお姫様になるために、他言語を自ら身につけようと学んでいるだろうか。

オリンピックに出るアスリートでさえ、3歳の頃からみっちり練習してきた、という者のほうが多い。
それはオリンピックが「夢」だからだ。
白昼夢(妄想)ではないからだ。
「ただワクワクしてました。ワクワク想像してました。楽しいことをしてました。練習はまったくしませんでした。」というアスリートは1人でもいただろうか?

そのように言われないと「欲」と「夢」の違いが理解できない者もいる。
いるから「欲」を「夢」という言葉に置き換え、「怠ける」を「楽しい」に置き換える者がいる。

「楽しい」と「ラクをする(怠ける)」は同じではない。
ここで言う「ラクをする」とは、怠惰のことだ。決して「自分に対して厳しい者が、かつて親に「楽をするな!怠けるな!しっかりやれ!ちゃんとしろ!立派になれ!いい子になりなさい!●●ちゃんみたいになりなさい!あなた本当だめな子ね!」と 言われて育った方法と同じように、自分に対してダメ出しばかりをし、卑下し、自分を責めることをする」ではないということだ。

欲にまみれた者は「楽しい」「ワクワク」をはき違える。どれだけずるい方法で自分ばかりが「いい目にあう」や「利益を得られる」かの手段だと理解し、何も努力しない。
「夢」を持つ者は、誰かや何かのせいにすることなく、夢を叶えるために勉強をする。練習をする。日々、長い年月をかけて地道にコツコツと繰り返していく。その未来に夢を叶えた自分がいることをワクワクしながら想像して。
努力さえも楽しいと感じながら。

「欲」もいいものである。けれども、欲にまみれて自分を見失うことは現実を生きていないことだ。
いつまでも3歳の子供と同じである。夢は一切叶わない。
本当の「夢」を抱く者は、嫌がることなく「自分自身が克服する点」を見つめる。それはとても「痛い」。心の古傷がうずくからだ。
けれどもそれを見捨てたりはしない。もう自分を「愛さない」ことをやめて生きる覚悟や決心ができたからだ。
欲を「夢」とはき違えている者は、あらゆることに気づけない。
この文章も、どの文章も読もうとかえりみることなく、自分だけの利益を追求することをしてやまない、よだれをたらしながら、飢えた野良犬のように。

飢えた野良犬は平気でゴミ箱をあさる。腐敗したものも食らう。
欲が自分を苦しめ、破滅へ導いたことにも気づけずに。その欲を思いついた自らの心がすでに腐敗しきっていることも理解できずに。
平気で「おいしい目をみる」ことに夢中になる。
類は友を呼ぶ。腐った者には腐った未来と、あるのは破滅や破壊。それだけだ。

9.18
●疑う


天使と話せるようになりたくて、天使が見たくて、見られるような自分になりたくて。
講座を受けに行った自分が「わからない」「見えない」「話せない」と思ったことを、まず疑います。

「わからない」と思った時は「本当に私、わかってないのかなぁ?」
「見えない」と思った時「本当に私、見えてない?」
「話せない」と思った時「本当に私、話せてない?」

それ… 本当は…
「わかると思える自分になったら困るから、わからないと思い込んでいる私」
「見えるようになったら困るから、私なんかが見えるはずないじゃない、あんな素晴らしい天使なんて、この私が」
「話せるようになったら困るから、話せないと思い込んでいる私」

これが真実だからです。

「エンジェルヒーラー認定コース」は、小学校でたとえましたら、小学一年生が学ぶ内容です。
あいうえおの書きかたを先生から学びました。
1たす2は、3。それを先生から学びました。
それを、小学校1年生である子供ではなく、大人である生徒さんが。
理解力も知識も、子供ではなく。現在の年齢である大人の皆さんが、です。

本当は楽しい内容です。
ディズニーランドのようにウキウキする内容です。

なぜなら、大人が学ぶから。

わからないと思うことには意味があります。
できないと思うのなら、意味があります。

まずは、自分の「わからない」「できない」を疑う。

その「わからない」「できない」と思っている考え。それが、そもそも間違っているから。
違っているから。

あなたは6歳ではない。
たくさんの悲しい日、辛い日、苦しい日、泣いた日、怒った日、怒られた日、しかられた日、イライラした日、 落ち込んだ日、情けなさを感じた日、理不尽だと思った日、苦手だと感じた日、困った日、どうしたらいいかわからなかった日…
それらを過ごしてきた、人生を自分なりに過ごしてきた、頑張ってきた人だから。

条件付きの人生の中で生きてきた私たちです。
それを、まっさらの状態に戻って愛だけの中で愛や天使と交流し、愛に溢れた自分や人生や幸せや、家族や周りの人たちとともに生きていく人生を「作っていく」。
それが天使と話すこと、見ること、わかること、理解すること。

何も難しいことも、できないことも、わからないこともなく。ただあるのは、愛。それだけ。

けれども私たちは条件付きの中で生きてきたがために、条件が何もないまっさらな清らかな愛だけ、が初体験、初経験に近いんです。
(^−^)
それで。
慣れていくために、講座で教えてもらったことをお家でも繰り返していく…

これが。
「わからない私」が幻想だったと知る方法、「できない」と思ったことが幻想だったと理解できるようになる方法です。

それはお家で、ノートを広げて「あああああああああ」と何回も書いて練習することと、同じ。
あを練習した分だけ、「あ」が上手になりましたね(^−^)

講座で「あいうえお」を習った。
書いてみた。
先生から「できてますよ(^−^)」と言われた。
でも、私は「わからない」と思った!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

(笑)

だから、お家で練習をした。


たったそれだけのこと。

それをしないから。しようとしないから。ノートに書かないから。「私はわからない」に変にこだわるから(笑)

だから、いつまで経っても「わからない」が結果として残っているだけ。

もしも授業中に先生から「できてますよ」と言われた時…
「わぁーい☆そうなんだ♪ 嬉しいな」と思ったかどうかはさておき、「自分を認めること」ができていたなら。


「わからない私」で生きている必要もなく、「見えない私」「話せない私」で生きている必要もなく。
「わかる私」で生きても、なんら支障も問題も困ることもなく、むしろ幸せに生きられるようになった喜びのほうを味わいながら生きる人生が 自分にはあるんだということが理解できるようになっています。

それが困るから。幸せがイヤだから。自分を認めたくないから。あるいは自分を認めるともっと悲惨なことになるという妄想が無意識にあるから。

「わからない」を選び、「見えない私」を肯定し、「話せない私」を受け入れ、認め、 これまでどおり自分や何かや誰かを敵かバイ菌か嫌な人扱いしながら、不幸な人生を送り続けます。

不幸。それがあなたにとって一番安心する生きかただから。


私は不幸に「うんざり」しました。
お金がない、心が苦しい、泣いてばかり、しんどい、孤独…

もういやだ。と思いました。


イヤなことがたくさん起こらないと理解できないくらい、私は自分を「ありのままに認める」ことができずに生きていました。
もしも私が、何もできなくても、体が弱くても、あれがほしいなこれがほしいなと感じてしまう自分に「そうだね(^−^)」と共感してあげられていたなら、 親は私を全否定したけれど私自身は私を受け入れてあげられていれば、いい娘やいい嫁になろうとさえしてなかったら、 頑張らなきゃいけないと思うことなく生きていたら、自分がただ息をしていてただ息を吐いているだけで生きていても「それでいい」と思ってあげられる本当の意味の優しさを持っていたなら。
私は神にも天使にも出会うことなく…
笑って生きているのだろうと思います。どんな時代、どんな瞬間の私でも。

そうではなかったから。
私は神に出会い、天使と話し、神や天使を理解することをとおして自分を知り、人を知り、どれくらい自分が自分を痛めつけてきたのかに気づき、 それがごくごく自然とおこなわれてきた自己虐待であったことを知り、いつ、どんな時も、今もなお、これからも、 神や天使と話しながら幸せを教えてもらいながら幸せが理解できる自分になりたいといつまでも初心を忘れることなく生きていきたいと日々繰り返し、努力しています。

それは昔、自分には何かをしていなければ価値がないからと自己卑下する生きかたをしてきた人生と同じ方法ではなく、 ただ私がそうしたいから、努力が楽しくて好きだから。そのような理由で。
幸せになるためにできることを、したい。自分にできる限りのことで。そんな努力。
「人の笑顔が好き。」
そんな私に、出会えた人の笑顔が見られる瞬間が訪れる時間や、幸せに生きてますとお手紙で教えていただける有難さに触れる人生もまた、私の幸せ。


私は、私の生きかたは「自分のため」にすることよりも「人のため」にすることのほうがとても簡単で、とても考えやすく、とてもすんなりとできる。という生きかたでした。
「自分のため」を考えたことがなく、したこともなく、未知なることだったから。
それくらい、私は自分のために生きたこともなく、動いたこともなく、思ったこともありませんでした。
自分のためにいい点数をテストで取ることもありませんでした。読書感想文や作文や国語のテストの解答欄でさえ、「自分のため」に書いたこともありませんでした。
それでたくさんの賞をもらい、絵でももらい、学校に何十年も飾られ、校舎の一部として現在も残っていましたり。
どんなに華々しい賞や経歴、出来事があろうと、何1つとして。「私のため」にしたことはありませんでした。

ですから「自分さえよければ」がわからないし、理解できません。「お給料のためにガマンする」もわからない。
何か辛いこと、苦しいこと、悲しいことがあれば「全部、私が悪い。私のせい。」
私だからダメなんだ。私はやっぱり生きていてはいけない人間なんだ。生きる価値がないからこんな状態になるんだ。

いつも責めるのも、自分。
いつも、誰か、人のため。そのために私は生きてきて、結果、苦しんできました。
それが私が生きてきた人生、送ってきた「自分なりの方法」でした。

それが私には簡単なこと。常に自分は価値がなくて自分は悪い。それにあてはめて物事を考えて「なるほどそうか」「あぁ!」と合点、納得できていました。

まさか、それが。
その、自分の捉えかたが「違っている(間違っている)」ことに気づくこともなく。

ですからもちろん、「疑い」もしませんでした。そもそもそのような自分の発想に疑うことすら、思いつかない。しない。

それが、出会えた生徒さんからの「わからない」だと思います(^−^)
かつての自分。いつかの自分。
自分を責めるか、人を責めるか、何かを責めるか、自己価値がないと思うか、実際とはかけ離れた巨大な自己価値があると誇大妄想するか…
そういった違いは人それぞれですが。
きっと基本は同じ。なぜなら私たちはみな、人間。
それだからです。(^−^)



O L D




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