CIEL THERAPY 
 シ エ ル セ ラ ピ ー ウ ェ ブ サ イ ト  

DIARY

6.2
お申し込み多数のため、5/31にて、お申込み受付を休止させていただきました。
休止中のお問い合わせは「お申し込み」フォームよりご送信いただけます。
ありがとうございます。

普段「勧誘」と思われますのがあまり好きではないため、私のほうからメールや手紙などご連絡をお送りすることはほとんどございません。
ですのでいつも、近況やお申し込み時に後日談やご感想など、ご自身が思われました内容をお伝えくださいますことに心から感謝いたしております…☆
心の底から、好意であっても、それをたとえば「勧誘」など、心ないものとして捉えるかたや心ない人間として思われますことはあります。
みながみな、相手を思いやることはできません。
それはまず最初に、ご自身がご自分を思いやることが足りない、欠けているからという理由がゆえんです。
「まずは、自分。」
人間関係、人生が素晴らしいものとなることのスタートは、いつも、まずはご自身から。です。
ご自身が「誤解されること」のほうではなく、「幸せに生きられてはいないからこそ、他の人のことも思いやることができない、ネガティブに捉えてしまう状況にいる」人のことを受けとめ、その上で 「自分ならどう生きたい?どう生きる?」と問いながら、そのパッションやエモーション、フィーリングに沿って毎日を過ごすことが大事なことだなぁと私自身は感じています。
時に、人や出来事は「鏡」だけれど、すべてがすべてそうではない。
いつも見つめるのは、自分。本来の自分。
そのような芯のある心、いつも天使や神が教えてくれている「初心を忘れない」心で、笑顔に過ごしていきたいと思います。
いつもありがとうございます。

5.17
人生や毎日が「どうなったらいいか、嬉しいか」を考えた時、考えても考えても思い浮かばない時は「思い浮かばない」ということを受け入れてあげる。
自分の人生に夢や希望があるといいし、夢や希望や目標を持たせてあげたい、人生が夢や希望で溢れているキラキラとした幸せな、嬉しいものでありたい… そう思う気持ちが、まず素晴らしいものだから。
ですから、もしもそれでも思い浮かばなければ、無理やりに夢や目標、希望を持たせてあげないこと。
「こうなったらいいな」が思い浮かばないことを否定しないことが大事。なぜならそれは、愛だから。それも、愛だから。

毎日をただ、なんとなく過ごしているのかもしれない。
毎日の中で「しなきゃいけないこと」「やること」をこなしているだけの日々の繰り返しなのかもしれない。
けれどもそれも、立派な愛。
生きることは夢や希望に溢れているものだけれど、そうではない時だってあっていい。
長い間、「そうではない時」のほうを過ごしていたとしても、それはそれでいい。なぜなら、生きることは簡単ではない時もあるから。
簡単ではない中、毎日自分を「生きさせている」。これはもう、これだけで立派な愛。
私はうつ病を3回目に発症していた時、「何もできないくせに生きやがって」と心の中で自分を罵倒していました。
妻なのにご飯も作られなくなった。やる気も出なくなった。お布団から出られなくなった。夫に「行ってらっしゃい」も「お帰りなさい」も言えなくなった。 立ち上がることさえ難しくなった。体は健康なのに、その頃はお家が狭かったのでたった数歩で行けるキッチンが「さだこ」のようにほふく前進しながら2時間経ってもたどりつかなくなった。 途中でいつの間にか気絶したのか疲れ果てたのか眠っていて、結局キッチンにたどりつけない毎日だった。
これを読んでいる人が、たとえそんな状態ではなくとも「生きてるだけで、もう、偉い。」このことだけはいつも自分に言ってあげてくださったら嬉しいなと思っています。 それは、いつも。生徒さんにもクライアントにも、いつも思っているのと同じように。
それぞれの人生や生活は全然違うもので、お話を聞いていると「へぇ〜」と勉強になることばかり。ご本人は毎日を生きている人ですから「フツー」のことしか言ってないし、していないのですが、 私からすれば「すごいなぁ、偉いなぁ」ということが「てんこ盛り」。
皆さんが当たり前にしている、こなしている日々やお仕事、家事や子育て、闘病や生活は、別の人生を生きているさやかからすればたくさんの「素晴らしい」に溢れています。たとえ ご自分が決してそうは思っていなくても。思えなくとも。
だからこそ。「生きてるだけで偉いよ、私。」とご自分を褒めてあげてくださったら嬉しいなと思っています。
なんとなく日々をだらだらと生きている、としか思えない時であろうと。
「生きてる」それだけで、100点満点です(^−^)優等生☆☆☆
それ以上のことを「無理して」「無理やり」「焦らせて」ご自分に望ませてあげなくて、大丈夫。圧力、かけてあげないでほしいなと思います。
日々を生きていることでもう立派。だから、100点満点とっているのに「全国1位にならなきゃ」「世界一にならないと」と思うかのごとく、無理やりに夢や希望をご自分に持たせようと「やっき」にならなくてOKです。 焦らせなくて、いいです。
(^−^)
だらだらしている時は、だらだらする必要がある時☆
ぼーっと毎日をただなんとなくすること、こなすこと、やる必要があることだけの繰り返しで生きている時は、それをする必要があっての人生の時期。
それはとても立派で素晴らしいことだから、それを褒めてあげてほしいなと思います。おしりペンペンするのではなく、ね(^−^)

うつ病3回目の時… 大好きな本も、文字がページの中でぐるぐる蚊取り線香のように渦巻いて動いているように見えて、「文字、待って」と思っても読めない状態で、とても疲れて読めなくなりました。 「私には楽しみさえもない」となげきました。
けれどある日、思い出しました。まだ元気でした時にたまたまTVで精神科医の先生が「何か1つできたことがあるなら、花丸だよ」と指導しているということを。
それを思い出した時に「今日こそは冷凍している食材を使って、ご飯が作りたい。せめてご飯だけは炊いてあげたい。」と思って、ほふく前進で夫が帰宅する4時間前に晩ごはんの準備をするためキッチンへ向かいました。
4時間あれば、キッチンへたどりつくことができるかも、と。
結果、いつも4時間で「歩いて1歩分」しか進めませんでした。床にびちゃびちゃと泣いてこぼれる「水たまり」になった涙で自分の顔が汚くぬれることしか感じられなかった日々が「今日は1歩進めた」と思うようにとてもとても力と勇気を持って思うようにしました。
そうして10日過ぎた辺りで2歩に、3ヶ月過ぎた辺りで3歩に、と前進している自分の状況を感じて、嬉しくて、「やった」と顔はまだ無表情なままでしたが罵倒する心の言葉の他に増えていきました。
長い月日をかけてキッチンへ「さだこ」はたどり着いた時、とてもとても嬉しくて。
「夫にご飯を作る」という目標は何ヶ月経っても達成されてはいませんでしたが、もうそこではなく「キッチンへ行けた」という嬉しさのほうに心は向くようになっていました。
それからだったと思います。回復まで早かったのは。自信になりました。
「たった数歩で行けるキッチン」に何時間もかけてほふく前進でしか行けない私でも、行けなかった時の私とは全然違う。
それが嬉しくて「私にもできる」という自信が「立つことができる」を後押ししてくれ、それが「立って歩ける」の後押しをし、「お買い物に行ける」へとつながり、「夫にご飯を作れる」という私の夢と希望の実現へと導いてくれました。
その当時の我が家の1日の食費は500円でしたので、500円以内で済むように計算をしながらお買い物をすることは頭のいること。
500円しかかけられない家庭の経済状況でしたが、うつ病になる前よりもずっと、楽しみながら計算できる自分がいました。

「当たり前のことができるって、幸せ。」
自分を罵倒したり、卑下したり、責めたりする「暇人」はいつの間にか卒業していました。いたのは「おぅ、これを買うと3円オーバー!」とゲームのような感覚で節約を楽しむ私の姿でした☆

「できないこと」を見過ぎて、私は3回も「動けない」人間になりました。
できないことよりも「できたこと、できていること」を見るようになったら、どんなに苦しいと言える状況でもゲームかのように「よし♪ もう一回献立考えるのリセット♪」とスーパーで1人で笑っている、あやしいさやかになることができました(笑)
(^−^)
自分が苦労したこと、悲しんだことを「他の人」も悲しんだり苦労しないといいなぁ〜と思います。
けれど、苦しんだり悲しんだことから学んだこと、気づいたこと、有難く得たことはたくさんだったとも思います。
それをお仕事で還元していきたくて、していってはいるのですが、皆さんが講座にいらっしゃらない時も「生きてるだけで、もう、偉い♪」「でもさ、毎日生きてるやん☆偉いんやで、私♪」と応援してくださったなら嬉しいなと思います。
お会いした日、いつでもさやかが応援しているように、お会いできない日も皆さんがご自身で、まるでさやかになりきったかのように応援してくださったら、褒めてくださったなら有難いな。と。

5.15
あと15日ですべての「お申込み」が終了になります。
よろしくお願いいたします。

5.12
人のことを悪く言う時は「自分を守っている時」。
きっと、言っている本人が何か罪悪感があったり後悔してます。だから本当は責めてない。悪口を言っているその人を、責めてない。
責めているのは、自分。
きっと「今の自分ならもっとこうしたのに、できたのに」があるのだと思います。
人は基本、とても優しい。
ですから、悪口を言って「自分の罪」と、その人とをなんとか「同じ高さ、距離」にしたいのだと思います。
そうでないと、その人に申し訳なくて。
本当はとっても大好き。その、悪口の対象となっている人、不満に思っている人のことを。
もっと距離が近かったらいいのにね。笑いあえたらいいのにね。
それが「悪口」でしか表現できないだけ。愛を表現する方法をあまりにも知らなさすぎて。
ですからもしご自分が悪口を言われていたとしたら…
「うらやましい」が根底にはひそんでいるのだということを理解してあげてくださればと思います。
うらやましがられるような人間ではないとご自分が思っていたとしても、他者から見ると素晴らしいのかもしれない。あるいは、 何かとても抜きん出た美貌ですとか性格のよさとかですとか、そういったものがない「ごくごく普通の人」ですのに、ありのまま・自分のままで自由に生きているように見えて、 「特別な人間」「別格な人間」ではないのに、自分と同じような人であるにも関わらず、幸せに生きているように見えて「いいな…」と思われているだけに過ぎないのかもしれません。
シエルセラピーで1番多い相談内容は「人間関係」です。
誰々さんから嫌われている、愛されていない、どこへ行っても一人。
もしかしたらそれは、自分だけが気づいてないからかもしれません。あなたが、あなたらしく素直に生きている素晴らしさに。
それを、周りの人のほうが気づいていて「いいな…」と思われているだけなのかもしれないということに。

「いいな…。私(僕、俺)もあなたみたいに自分らしく生きたい。」
それが、悪口や、愛されていないことの「本当の意味」であることは多いです。

自信を持って。
あなたはいつも、愛されている。

5.11
人生がどうにもならない毎日、大変な毎日でした日々の頃は「楽しい」に興味がありませんでした。
「楽しい」や「好き」をしても、人生の中にあるネガティブなもの(部分)はどうにもならない。とも考えていましたし、 そういうことをする暇もない。とも考えていました。また、あまり「楽しい」も「好き」も感じることや瞬間、ものは存在しませんでしたし、 「楽しい」や「好き」でハジケている人たちが「不真面目」のようにも目に映っていました。そして「おめでたい人たち」とも思っていましたし、 「あぁはなりたくない人たち」とも感じていました。

自分のことを「幸せではない」と感じている人に共通していることは「楽しい」をあまり知らない。ということ。
これは10年以上クライアントと生徒に接して来た統計結果です。不安や不満がある人ほど「楽しい」が人生にほとんどない。
これといった趣味がない、好きなものが少ない。
人生の中に「楽しい」がほとんどないため、人生の中の「嫌なもの」に否応がなく目が行く。気になる。集中してしまう。考え込んでしまう。
ですから「楽しみ」「楽しい」「好き」「趣味」を増やしてあげればいいのですが、それがなかなかうまくいかない。 楽しいと感じるものが見当たらないし、出会わない。それで引き続き「嫌なこと」について考え「嫌な人」について腹を立て、「嫌なもの」に怖がる。
それはなぜか。
それは自分自身もそうだったからですが、「とてつもなく重い荷物を抱えて生活している」から。
その荷物とは、「トラウマ」のことです。
トラウマと聞くと「私はそのような、ひどいものは持っていないし、抱えてもいないし、人生なんとなく過ごしてきたから思い当たらない」と簡単に誤解しがちですが、 トラウマがないなら「楽しい」がたくさんある充実した笑顔の人生を毎日過ごせています。
ですからそうではない場合、自覚できていない「トラウマ」という名の、乗り越えていない「心の傷」をたくさん持っている。という証拠です。無自覚の。
とてつもなくたくさんの荷物をリュックにつめて、それは1トンくらいあるとします。それを背中に背負ったら…
どうなると思いますか?
もし ご自分がそんな1トンもの重さのリュックを毎日背負って生活しているとしたら…?
「楽しい」を感じる余裕さえないと思いませんか?
それどころか「つらい」「苦しい」しかないとは思いませんか?「もう嫌だ」と。
それが「幸せではない人生の真の姿」です。
私たちは無自覚に重い荷物を毎日背負って生きているから、楽しみも感じられなくなっているし、楽しいこともないし、とにかくつらい。それだけで生きています。
それを、天使や神と相談しながら、お話しながら、1つ1つ荷物を降ろしていく…
そうすると、「重たい」と感じなくなる個数になった時点で「楽しい」が感じられる自分、「好き」が見つかる自分になれます。なぜなら余裕がやっとできてきたから。
背中のリュックが重たい日々では、親切にしてくださる人の愛もありがとうと思える余裕はありません。気づけません。それどころじゃないから。
本当はとてもとても愛されて生きていることにも気付けません。なぜならつらいから。重いから。
重たいリュックを背負って生きている間は、「うらやましい」「ねたましい」「私には無理」「信じられない」が多い生きかたでしょう。ですがリュックが軽くなると、自然と 前向きに、ポジティブに物事をとらえることができるようになり、「あれが欲しい、でもお金がない」などではなく「あれが欲しい、じゃあそれを楽しみにして貯金しよう♪」と、 同じものがほしい場合であれ、まったく違った考えかたでまた1つ「楽しい」を自ら増やしていきます。ごく自然と。
そうやって次々と人生に「楽しい」「好き」を生み出していく。見つけ出していく。
今となっては「お仕事が終わってから、ビールを仲間と一緒に飲んで騒ぐパーリーピーポー(Party people)」は楽しくストレス発散をする方法を知っている人たちなんだな、 それで翌日もまた頑張ろう〜と活力が湧くのだな。と、理解できるようになりました。
ずっと「それをして一体何になるのだろう」と理解不能だったことです。ただの酔っ払い、ですとか人生や自分を直視することから逃げている人たちという認識でしたが (もちろんそういう人たちのほうが多い。ということも理解しています)。
私自身は飲めや騒げやには興味がありません。おいしいプロテインと豆乳をわんさか紹介してもらえるパーリーなのでしたら、るんるんで伺うこと間違いなしなのですが。
人にはそれぞれ、ストレス発散といいますか、「楽しい」が星の数ほどあると理解することができるようになりました。本当の意味で。以前はそういう人たちはいる、と理解できても それをすることの意義、意味は見いだせないとしか思えませんでした。
リュックの中身が減ると、自分だけでなく他者に対しても理解度が増すのだともわかりました。「嫌いな人」や「苦手な人」を作っているのは自らなんだとも。 神と天使のお陰だなぁと感謝しています。



O L D




トップ
シエルセラピー
カウンセリング
講座
認定シエルセラピスト
プロフィール
営業日・アクセス
お申し込み
課題図書
シエルオイル
DIARY