CIEL THERAPY 
 シ エ ル セ ラ ピ ー ウ ェ ブ サ イ ト  

DIARY

5.7
5月31日で、お申し込みの受付を中止させていただきます。
受付けの再開は未定です。再開いたしましたらTOPページにてお知らせいたします。
現在、31日までの間でご予約できますご希望日程は、9月以降です。それ以前の日程はすべて満員です。
どうぞよろしくお願いいたします。

神に「願い」とは?と尋ねました。
神の言葉によると「願いとは、その人の魂が求める声、求める生きかたである。」とのことです。
受講を願うも、願わないも、生徒にとって「これからどうやって生きていくか」という自分への愛を持って考えた先に、「必要だと思うのか、思わないのか」によって変わるものだそう。
まずは自分が、何を望み、どんな生きかたがよくて、どうなっていきたいか…
その「未来図」をぼんやりであろうと描いてあげること。それが大事です。
幸せを心から願わない場合、「受講したい」と思っても、受講できなかったり、受講できなくなったりするのですが、そのような時、人はしばしば「タイミングではなかった」「ご縁がなかった」という言葉で「逃げ」ます。
何から?
「幸せ」から。
自分を正当化します、幸せになれない自分、幸せを望まない自分、幸せを拒む自分を。
ですから、そのような時は心から自分に問いかけます「ねぇ、本当〜に、受講したくなかったの?」。
そうして、心の声が「本当は受講したかったよ。」と涙を流しながら答えたら…
時間に遅いも速いもありません。「願えば叶う」その奇跡を、自らの愛で起こしましょう。「じゃあ、そうなるには自分に今、一体何ができるかな?」と。
これは受講だけに限ったお話ではありません。
人生の、すべての面においてです。
ずっと幸せから逃げ続けて生きるままでいいのでしょうか?
それとも、もう、腹をくくりましょうか、幸せになることへの。

どうするかは、その人生を生きている「自分」にしかできないこと。
今の自分でできる「ほんの小さな一歩」を積み重ねてまいりましょう。今すぐにできること、自分へ思ってあげられることは何でしょうか?

私は「タイミングが合わなかった」「ご縁がなかった」という言葉で逃げる人が昔から嫌いです。それは、自分自身を裏切っているにも関わらず、弁護している生きかただから。 自分に願ってあげたことは、私であれば叶えてあげたい。
なぜなら、いっぱい泣いてきたから。
寂しい思いもしてきた「私」だから。
人から何かをしてもらおう、ですとか言ってもらおうというものは難しいかもしれません。ですが 自分が自分にしてあげることなら、できること。私の場合、ハワイでの勉強も、東京での勉強も、子供がまだ赤ちゃんだと言えるくらいの大きさの頃で、私たちは夫婦で暮らしていましたことや どちらの親もお仕事をしていることから「子供やお家のことを頼める相手ではない」という状況でした。
また、夫は私がすること、好きなこと、全てに理解がなく、けなされたり反対されていました。 それでも。理解を得て笑顔で見送られながら、私が「勉強したい」「行きたい」と願ったすべてのものに海外であろうと長期であろうと行くことができました。
また、金銭的にも「とてもでないけれど出せない」という家計の状態ながら、本当に「有り得ないところからお金が入ってくる」という臨時収入を得て(これはこのお仕事をする前のことですから、 サラリーマン家庭で、臨時収入など絶対に有り得ないという環境・状況でした)50万円が入ったことでそれを全部渡米に使うことができ、無事「夢が叶った」という「過去形」にすることができました。
ですがそれは今日昨日のお話ではなく、半年だったり1年だったりと時間はかかったけれど、願いは叶った。というものばかりでした。
幸せを自分に本当に願ってあげられない人は、とても「あきらめる」のが早かったり、結論を出すのが早すぎています。
それは生徒の皆さんを見ていたり、お話を伺っていても非常に思い、感じます。
「願いは叶わない」というループから脱出するには、いつもと同じことをしていても、思っていても、脱せません。
いつもと違うことをする… 願ったなら、そうそう諦めない。ねばる。ねばねばする。
私たちはネガティブにうじうじ考えるのは得意です。それを、今度はポジティブに利用する。ねばねば幸せをあきらめない。
それが大事だと思っています。

受講された内容は「一生もの」です。食べて消えることもないし、さびることもない。消えてなくなりもしないし、また再び受講時にメモをしたノートを開けば、何度でも「あの日」がその時に返ってくる。
私も何年かに1回、ハワイで学んだ時のノートを見つけては開きます。その時に起こった出来事だけでなく、建物の空気や、居た人の笑顔、昼食にこんな感じのものを食べたなぁ〜と思い出すことや帰り道に見た風景までも帰ってきます。
今なら分かりきっていて書く必要もない内容が、その時の私はノートに一生懸命書いていて、英語と日本語が混じって書いてあるので笑えたり、文字からは不安や戸惑いさえも伺いしることができて、 その頃生きていた自分の生きかたまでも思い出されて「頑張ってたよね」と涙がにじみます。
それは、私が「願った」ことを「叶えた」から思い出せる宝物。
もしも「お金がない、時間もない、赤ちゃんがいる、夫が怖い、自分には無理、私には贅沢なことだ」などと「あきらめるための理由」をあれこれと 一生懸命思い浮かべて自分の幸せから逃げていたなら…
今日ある家族みんなの幸せはなかった。と断言できます。
私はずっと、どんな時の私も「恥」だと思いながら生きていました。けれど、一生懸命「どうにかしたい」と思ってから生きてきた自分という歴史の中にいる私は、おろかな面もありますが、いつも頑張っていたと言ってあげられる。 もう「恥」ではなく、「私は私でよかった」と自分に言ってあげられる一歩一歩を積み重ねてきたと思います。

生まれもって恵まれた家庭に育ち、当たり前のように大学まで行き、就職し、恋愛をして結婚をして、出産をして生きていたのなら、それはそれでよかったのだろうと思います。
けれどそうは生きてこられなかったと自分に思えるから。人が笑っている時、私は泣いたり汗水たらしたりして、違う生きかたをせざるを得なかったと言えるから。 だからこそ、人生はいつも、「この瞬間」からだと誰に対しても言えるようになりました。
動かせない過去、消せない歴史はあろうと、幸せを感じて生きていくことは誰にだってできる… もし、本人がその気になれば。と。
自分が経験してきたからこそ、わかるようになりました。きっとそれはこれからも同じで、だからこそ私と皆さんは共に同じ時代に生きながら幸せになっていく「同志」「ファミリー」だと思っています。
生きかたも、人も違う。けれども、それぞれの生きかた、それぞれの人、それぞれの家族で幸せだと笑って生きているなら、それでいいよね☆それがいいよね☆と。
それぞれの人、それぞれの生きかたにとって何が「幸せ」かは、その人生に関わっている本人にしかわからないこと。だから他人には何もできないこと。それで、その本人が「こうかな?」「あぁかな?」と 手探りで見つけていく。していく。それが大事なことで、同じ神や天使にかかわっていても、それぞれが聞き、それぞれがアイデアを取り入れたりヒントを得たりしながら彩っていく…
それがもっとも大事だと思って「講座」に現在は重点的にお仕事の比重を置いています。「シエルセラピー」や「カウンセリング」もしていますが。
私は皆さん自身で作る「素敵な人生」が見たい。ひとりひとりの幸せは違うから。生まれた環境も。状況も。家族構成も。何を思い、何を感じ、何が好きで何が嫌いかも全部違うから。
けれどそれぞれが、それぞれに笑顔になれる「幸せ」のかたちを、私は皆さんが作ったものを見たいなぁと、そう思って講座を提供しています。

「一生もの」。それが講座。
残念ながら遊びでも、遊園地での体験でも、お祭りでもない。
役立てるか役立てずに捨ててしまう(忘れてしまう)かは、それもひとりひとりが選べること。なかったことにもできるし、そうしている人もいる。
けれど私は、お金も時間も恵まれた環境もなかったから…
勉強をはじめ「願ったこと」は全部、叶えているし、今もずっと役立てています。私は「ないない尽くし」だったからこそ、自分が「どうしてもほしい」というもの(願い)を吟味せざるを得ませんでした。 けれど結果、それがよかったことではないかなぁと思っています。ずっと役立てているから、結局その時に必要だったお金を捨てるような未来はまったく来ていないという結果になりましたから。
それでもずっと使うか捨てるかさえも選べる自由。「一生もの」であっても…☆

私はいつも、受講にいらっしゃった生徒の皆さんに「いいところ」「本来のその人」を見ています。きっとそれは、見せてもらっていること。神に。そのかたの守護天使に。
今その人がどんな状態であれ、希望も輝きも見て、いつも指導にあたっています。
「まずは、自分。」先生として役目を導いてくださったそのかたの守護天使が伝えてくれている、そのかたの本来の姿はとても美しく、綺麗な魂です(^−^)
それを見ながら、そこへと戻していく…
それが、役目をいただいた自分の「特権」でもあるんだなぁと感じています。先生というだけで、先に、皆さんが戻っていく「本来」を理解させていただいていることに…☆
そしてまた、先生だからこそ。それを理解した(見ている)上で指導することが大事なこともわかっています。 そうでなければ、私がきっと受講生より先に(一番に)あなたの幸せをあきらめ、指導することを逃げるのでしょうから。「この人にはムダ。」と。
ムダな人などいません。あなたが幸せを望んでいる限り。天使や神とコミュニケーションしながら生きていくことを願っている限り…☆
それでもきっと。
別の先生から学んだほうがいいというかたもいるのかもしれません。楽しい。嬉しい。そういうかたもいるのだろうとも思います。 ですからご縁は大事にしています。ひとりひとりのご縁も違う。けれども以前も言ったと思います。あなたは私、私はあなた。別の先生からたとえ学んで幸せになろうと、幸せならそれでいい☆
みんなは1つだけれど、それぞれは違う。ですから、どこでどう生きていようと。幸せならそれが何より1番です(^−^)
ただ。
受講を願っているのにあきらめよう、逃げよう「幸せ」から… としているのであれば。
自分の本心を聴いてあげること。受け取ってあげること。それが大事です。
受講すると人生が幸せに変わるからこそ、幸せを恐れて「あぁだこうだ」と受講しないための理由を作り出しているのかもしれないと「まずは自分」を知るところから始めてみることです。
受講した後はどうしたいですか?どう生きていきたいですか?
そこまで考えてあげましょう(^−^)
受講して「はい、終わり。」ではもったいない。更に、夢を。希望を。願いを。
願えば、叶う。
だからこそ、願う。幸せは、どれだけ幸せになってもいい。どんなに幸せになってもいい。
無条件の愛がごとく、無制限に、自分へ幸せを願ってあげましょう☆
ねぇ、私。どんな風に生きていきたい?どんな生きかたがしたい?どんな生きかたがよくて、もっとどんな毎日になれば嬉しいかなぁ?(^−^)
いつも尋ねてあげてください。自分に。幸せを。
具体的なこと、とっても細か〜いことから、ぼんやりとした大きなことまで。いろいろ。混ざっていて構いません。考えるたびに「あ、やっぱりこっち」と変更しても構いません。
私たちが考えること、思うことは、「人生の設計図」です。
マイナスなことばかり頭や心の中でグチっていると、人生もそのとおりに不平不満でいっぱいのものになる。
けれど私たちはマイナスなことだけしか思えない・考えられない人間ではありません(^−^)
ですから考えてあげましょう、自分のために。自分から始まる幸せのために☆
人のことよりも「まずは、自分。」。1番身近な人である自分から、自分の幸せを考え、そして願いましょう。
願えば叶う。
ずっとずっと以前に「願っても叶わないことがある」とも書きました。けれども同じ文章の中で伝えました「叶わない、というかたちで幸せが叶う」と。
もしも一見、人殺しと同レベルに不幸なことだとは思えない願い事も、もし叶ってしまったら結果、人殺しと同レベルなくらい不幸になってしまう人生になっていたとしたら…
それは本当に「叶ってよかった」なのでしょうか。
神や天使はすべてを見渡しています。ですから、私たちにとって「叶うと結果的に不幸になる」かどうかも見ることができます。見て、応援できる願い事かできないものかも分かっています。
私は願ったことを精一杯自分にできる限りを尽くして、そうして叶いませんでした。叶わなかった時、とても落ち込んで泣いて、体重が30Kg代になりました。
この世の全てというくらい嘆きました。けれど今は本当に叶わなかったことに「ありがとう!!」と心から感謝しています。 絶対と言えるくらい、叶っていましたら今頃超不幸です(笑)有り得ないくらい。人生で一番の。
そうしましたら皆さんにお会いすることもなかったでしょうし、顔向けできないくらいだと思います。
その時にはまだ理解力が足りなくて、今の私なら「それはないな、あほだな」と思えますが(笑)、その頃の私にはわかりませんでした。 そんな理解力に乏しい私を、神も天使も「願いが叶わない」というかたちで幸せを叶えてくれたのだと感謝しています。 「理解力に乏しい」「理解力が足りない」とは、愛への理解力。です。
本来の自分からズレていたからこそ。今はその頃より戻れているのだと思います。 それで「今ならそんなことは願わない」と思えるようになったのだと思います。それもまた、「叶わなかった」出来事と「嘆き苦しんだ」という経験を経たからこそ、理解できた自分がいたのだろうとも思います。
私の場合はその順番で、理解することがやっとできたのだと思います。ですから残念ながら今では30Kg代になろうと思ってもなれません(笑)食べ物がおいしいです(^−^)

あなたの願うこと、それは結果、不幸になることですか?
それなら「叶わない」というかたちで幸せが叶うでしょう。
けれどあきらめるには早すぎていませんか?
私たちにはエゴがあります。エゴと愛があるから「人間」です。
焦ってあきらめたのではありませんか?待てなくてあきらめようとしているのではありませんか?
(^−^)
願い事は何でも叶います。ですから何でも自分に願ってあげましょう。叶えてあげましょう(^−^)
たくさんのことを。あらゆる。何でも。
幸せは多くていい。幸せはあればあるほど、もっとあっていい☆
幸せな人は、より幸せに(^−^)
幸せには「貪欲」になっていい(^−^)
つまりそれは「あなたには幸せが当たり前」「似合ってる」という意味です…☆
貪欲を超えて、「おごりたかぶる」までいきましょう(^−^)笑
それにはあなたがまず、思ってあげなければ☆
「まずは、自分。」です(^−^)

それでは5月31日までの間、また新たな出会いを願っています(^−^)☆
ありがとうございます。
今日から2日間、黄砂が多いので気をつけてまいりましょう☆(^−^)/ 素敵な日々を☆

5.2
嫌いなものやことが、神と出会ってからはほとんどなくなりましたが、それでもまだ少しはあります。
私は「パナマ文書」に載っている人が嫌いです。後は何かの「反対運動」をしている人も。「反対運動」は、ご自分が持っているトラウマを「鏡に映して」対象物に対して見ています。ですから、反対運動するよりも前にトラウマを隠して生きていることを認め、乗り越えられることが大事だと思っています。「可哀想」としている対象物に対して「可哀想」と思うことそのものが失礼だと感じます。 なぜなら自分のトラウマを鏡に映して「可哀想」と思っているのであって、本心から本当にその対象物に対して可哀想と思っているかどうかはトラウマを持つ以上、疑問だからです。自分可愛さゆえの、「可哀想」である場合がほとんどで、「利用」しているのはどっちもどっち。ですのに、人間だからと上から目線で可哀想と反対運動することや、健常者だからと言って可哀想と反対運動しているその心そのものが「どうなのかな」と感じます。 本当に可哀想と思える心があるのなら、まず自分に対して目をそらしていることそのものが最も可哀想なことなのだと理解できるはずですから、反対運動をしている人は、敵対視している人とその人は同じ。対象物に対してどちらも「利用」しているに過ぎない自己中心的、利己的だと思います。
ですので、私は残念ながらエマ・ワトソンさんも好きではありません。その両方ですから。
タックスヘイブンを利用して、大金持ちが脱税することは「恩をあだで打つ」です。
エマ・ワトソンさんを始め、「大金を稼ぐ」ことができたのもすべて、「誰か」がお金を支払ってくれたことによる恩恵です。女優さんですからつまりは、映画を見てくださった、映画のチケット代を支払ってくださった観客がいる。DVDなどを購入したりレンタルしたり、CMに使われた製品を購入してくださった「人」がいる。
その「誰か」とは、まぎれもない「一般大衆」。つまり、大勢の人たちです。
この世の大勢の人たちは、ほとんどが「大金持ち」とは言えません。一般大衆、一般人です。その人達が応援してくれたことが「お給料」「収入」「利益」であり、大金持ちができることとは、その「先に応援してくれた」一般大衆に対して、恩返しとして「お金をじゃんじゃん使って経済を豊かにすること」と 「一般人が今のように生活に必要なものにさえ課税される消費税を払わなくていいよう(制度そのものが必要なくなるよう)たくさんの税金を払って国や世界を豊かにすること」です。
ですから、大金持ちなのに脱税をして一般大衆に恩返しをするどころか恩をあだで打つのはいかがなものかな、と感じます。
私はお金持ちがじゃんじゃんお金を使っていることに対して、喜ばしく思います。お金持ちがこぞってお金をじゃんじゃか使うことで、経済は潤い、豊かになり、景気がよくなります。景気がよくなることで、税金による収入に国は頼る必要がなくなるため、一般大衆から消費税や地方税、所得税を徴収する必要がなくなります。そうなると、一般大衆が助かり、切り詰めて切り詰めて生活していた人々がほっとできる生活になっていきます。 欲しいものをガマンしたり節約する必要が出てこなくなるかもしれません。旅行に行こうか、おいしいもの食べようかと予定を組めるようになるかもしれません。そうなると、その先にあるホテルやレストラン、交通機関も収益が増え、景気がさらによくなります。そうして企業が儲かることによって、企業で働く人々のお給料も上がります。臨時ボーナスの制度もできるかもしれません。「よく頑張っているね」と景気の悪さに笑えなかった社長が、 社員にねぎらいの言葉を言ってお給料を上げてくださったり、社員旅行に家族ともども連れて行ってもよくなるのかもしれません。おいしいおご馳走をふるまってくださるのかもしれません。そうなると、また更に景気はよくなり…と、「いい」無限ループの体系ができあがります。
大金持ちがお金を使うことで回り回って一般人が恩恵を受けます。けれども大金持ちを大金持ちにしたのは、その人達の努力や思考もありますが、そもそも株や品物などにお金を出してくださった「一般人」がいるから。
大金持ちが脱税、節税、出し渋りをして守銭奴になることは、まったくもって「愛」のないことです。
ですから、大金持ちがバンバン高級品を買っている様子や豪華旅行に行く様子を見ることが、私は大好きです。こうやって大金持ちはあらゆる恩恵を受けた人々へ恩返しをしているのだなぁと愛の深さを感じるからです。
一般人が生活必需品を購入して支払う税金以上に、大金持ちがこぞって大勢で道楽のためにどかーんと使う税金、支払うお金のほうが効率がいいと思います。税収の面において。
一般人が大金持ちのように「それ、なくても生きていけるよね」というものに何千万円、何百万円と支払って毎月生きていくことは賢明ではありません。ですが、大金持ちならできます。むしろ、好んでそうしている人は、自分が好きなようにお金を使いながら、経済の発展に貢献していることで、とてもいいお金の使いかただなぁと思います。
そのことから。私はたとえば高須さんのような、大金持ちがお金でなんでもしてしまうことに対して「素晴らしいな」と見ています。同様に、大金持ちや元貴族たちがディオールやシャネル、ハリーウインストンなどでお買い物をしてはインターネットでご自慢されていることに対してもいいことだなぁと見ています。
大金持ちができる、愛の方法だから。回り回って、私たちが助かります。一般人に「金をよこせ」と税金として消費税を課税している制度よりずっとずっと愛と思いやりがある方法だなぁとにこにこ見ています。
そのことから。嫌いだと申しました。お金持ちにはお金持ちの「お金の使いかた」がある。
恩をあだで打つ人は、一瞬の栄華で終わることはわかってはいますが、利己的、自己中心的よりも私は「愛」がいいなと思っています。
ですからまた、お金持ちをうらやましがったり、妬んだり、あがめたり、憧れるのもまた「違う」ことだとも私は思っています。

4.29
私の悪いところは、このお仕事をしているにも関わらず、何もスピリチュアルらしくないところだと思います。
星の巡りや動きに興味を示さないし、ドレスを着たりパワーストーンを身につけたりして着飾ったりしない。「元天使」ですよとふわふわの長いワンピースを着て「外見からの押し付け」をしたりもしない。 宇宙エネルギーの素晴らしさを説かないし、天使がどうのこうのとも言わない。
逆に「そういうの、怖い。」と、まるで一般人かのような態度。
たぶん「向いてない」と思います。自分で。
ふわふわした文章も、間をたくさん空ける行間の文章も書かない。「天使様がいるから大丈夫」「聖母マリア様が守ってくださっているから大丈夫」とも言わない。 大丈夫と思えないから言わない。もしも本当に大丈夫なら、じゃあなぜ今私はこういう状態になってるの?辛い人がたくさんいるの?と、渦中であれば絶対に思うから。
本当は大丈夫。何が起こっても私たちは大丈夫。けれど、それが悩んだり辛い中だと「理解できない」。
真実はいつも1つで(コナンくんではないけれど)本当に大丈夫。「何が?」と言われたら、「全部が愛だから」としか言えない。辛さも苦しみも、全部。愛。
けれどそれはなかなか理解できない。「ちょっと、お金がなくてとても困ってるのに何が大丈夫なん?全部が愛って、どういうこと!私はお金に困っとけばいいってことなの!?冗談じゃないわよ!」と怒ること間違いなしだから。
それでも天使や神と一緒に生きていくと「全部大丈夫で、全部が愛。」ということがいづれ理解できるようになる。または亡き後でわかるようになる。
だけど私は興味がない。「天使様〜♪ 女神様〜♪」と儀式やダンスや祈りで盛り上がることに。
お願いをすれば、天使も女神も神も、「無条件の愛の存在」は叶えてくれる。それは必ず。人を苦しめたり、殺すようなお願いでない限り。他者のことはその人の同意が必要だし、その人の人生をたとえ親・兄弟であろうと干渉することはできない。 その人の人生は、その人の人生。何とかできる部分や愛の存在も叶えられる範囲は「いつも、自分」。
けれどお祈りだけしていても、空から札束1億円が降ってくるわけじゃない。大金持ちがランダムに銀行口座へ多額の現金を寄付してくれる奇跡も起こらない。
だから「天使様〜♪」と言っているだけじゃ、何も変わらない。明日、払う期限が来ている税金を見逃してもらうことも回避することもできない。
辛さや苦しみ、ピンチや「どうしたらいいの」ということはテコでも動かない。
「じゃあ、なんで。なんでそもそも、そういうことになってるの、私の人生。そんなんばっかりじゃないの、私。もううんざり!なんで!」
講座はそこまで(上級にいけばいくほど)理解力が増えるように「人間」であるさやかからサポートされながら、「天使や神」分野もやってもらおう。
そういう気持ちで講座を開いています。
理由は1つ。「幸せになるのなら、方法は何でもいいと思わない?」という感じ。これだけ!これはだめ!と制限するのではなく「自分も幸せで人も幸せになるのなら、方法にはこだわらなくていいんじゃない?」と思うから。
いわゆる「いいとこ取り」(笑)こだわりたい人もいるのなら、こだわればいいと思います(^−^)ただ私は「いえいえ、幸せになれるのなら何でもオッケーです♪」というゆるゆるさ、なのかもしれません(笑)
こだわってる暇や時間はない!今すぐ幸せになりたい!
そんな切羽詰まった人生でしたから、こだわりのないタイプになったのかもしれません(^−^)
「もうここまで来たら、何でも来いだっ!」と(^−^)

ですが…
願っても叶わなかったこと、あるよ。人生でいっぱい。
それから…
神と最初にお話した時だって「私、頭おかしなったんかな?」と、「疑った」よ。神とお話をしていることに対して。その当時は神だとはわかっていなかったけれど。「なんか、頭の中で、疑問形で話しかけたら答えてくれる便利な人が…、なんか知らんけど、おる。」そう思っただけだけど。
「神と話している、神と話している」なんて実感も自信もない状態で、それでも話していたのは、生徒さんが初めて「エンジェルヒーラー認定コース」という講座に来て「私ほんまに天使と話せてるんかな?」と自信がないことと同じじゃないかな。

生徒さんは全部「自分」。自分自身、または大切な「家族」。
「かつての」自分や「いつかの」自分。
そして、「こうやって教えてくれたり、自分のことをこんなにも思ってくれる人に私も出会えて勉強できたなら、私はどんなに幸せだっただろう」と思うから、そう思うことを私は自分がしているだけ。
きっとそんな人生だったなら、私にはあんなことも、こんなこともなかった。後悔も、自分の愚かさも感じることなしに、私はきっと幸せへ笑って前向きに進めただろう。
そう思うから、みんなは「私」。私が生きることができなかった「生徒」という立場での、私自身。
そう思って、いつもずっと10年前から接しています。
「そう思って」というよりも、そう自然に思う。「他人」という境界線のある立場で見ているのではなく「人間」という単位、「魂」というレベルで見て、接してる。
だから「人が違う」ことにはフォーカスしてない。たとえば「昨日の私」と「今日の私」と、そして「38年前の私」は、みんな同じ「私」。それぞれ考えていることも生きかたも行動も違うかもしれないけれど「私」は私。 そんな感覚と同じ。「他人と自分」という単位ではなく。人間、魂という単位。だから、人のことを思いやらないことは難しい。自分に厳しいなら他者にも厳しいのだろうし、自分に甘く、優しいのならどんな他者にも甘々。それが私。
この「私」を生きているのが今世「さやか」という名前がついた魂で、別の「私」を生きているのが、今世でたとえば「りか」だったり「かおり」だったり「たかこ」だったりするだけ。全部自分。だから、自分に一生懸命なことは人にも一生懸命。自分を笑顔にさせてあげることは、人にも笑顔で生きていけること。
どんな私も、全部私。だから「昨日の私はいいけど、13日前の私はダメ〜」という境界線という区別がない。全部「魂」。生徒さんは全員「幸せになりたい」「天使とお話がしたい」と思う私。自分。

その上で。「こうこうしたら天使とお話ができます」と教えてもらって、やってみても「本当に私、天使とお話できているのかなぁ…。全部勝手な妄想なんじゃないのかな…。不安だなぁ…。」と考えてしまうことも「当然」と思いました。
ただこれは、講座というお仕事をしたはじめの頃は理解できませんでした。
「どうしてハッキリと、しっかりとお話できているのに、なぜ本人は「できてない」と不安になるの?できてるのに。」とサッパリ理解できませんでした。
なぜなら、話せているのだもの。話せているものを「話せていませんよ」とは言えません。話せているのだもの。
一緒にランチの時間にパスタ屋さんに行って、「先生、私、フォークを使えているのか全然自信ないんです。全然使えてないって思うんです!」と不安になりながら、しっかりとお口をモグモグさせているような感じに見えています。私には。
「うーーーん、なぜフォークを使ってパスタをすくい上げて、お口に運んでモグモグ噛みながら「フォークが使えているかどうか自信がない」と言ってくるのだろう…?」と、私はとてもとても悩んでいる状態です(笑)
それ…、食べてるよね。今使ったの、フォークだよね…。手づかみで食べてないよね…。パスタ食べながらなんでフォーク使えないって訴えてくるのだろう…?そっちのほうが、私にはわかんないよ…。
そんな風に思っていました。しばらく。(笑)
今でも「わかりません」「実感がない」とおっしゃる人にはそのように見えています(笑)「えっと…、フォーク使えていますよ。」と。

きっと初めて「先生」の困惑がこのような状態なのだと知ってくださった生徒さんもいると思います。爆笑しながら。「確かに!フォーク使いながら言われても、先生からしたら、そっちのほうがナゾだよね!!」と(笑)
(^−^)
こればかりは「わからない」「自信がない」「不安」と思う気持ちがなくなるまでフォークを使い続けてもらうしかないんですね。きっといつか、「私、フォーク使ってるわ。」と気づいてくださる日が来ると信じて。
(笑)
ただ、私も思い返せば最初「頭おかしなった」と思いました。思ったんですね。自信満々に「わたくしは只今、全知全能なる神と会話をしているぞよ!」と思ったのではありません(笑)
それどころか「頭おかしなった」と、自分をポンコツ扱いしてます。
それが、皆さんでいうところの「わからない」に該当することだと、途中で気づきました(^−^)
気付いたので、目の前でフォークをお使いになりながら「自信がない!!!」と自信満々でおっしゃる生徒さんにも笑顔で「うん、うん(^−^)」と受けとめられる余裕ができるようになりました(笑)
どう見ても、どう考えてもフォークを使っていらっしゃる。しかも、上手に。「100回に1回しかパスタをすくえない」という状態でもなく。毎回お口に運んでいらっしゃる。うまいうまい(^−^)
でもご本人は「自信がない」「わからない」「不安」と思っていらっしゃる。
うん。うん。わかりますよ(^−^)私もそうでした☆と、余裕ができました。
私が「私は神と話している」とわかるようになったのは、「頭 おかしなった」と思いながらもたくさん会話をして、「へぇ☆」と感動したり、勉強になったり、悩みや困ったことを相談して、解決したり乗り越えられたり、いい方向になっていくことで「人生」もいい方向へと向かうようになったから。
「頭おかしなった」と思いながらも、自分をポンコツ扱いし続けながらも、それでも尋ねたり相談する行動は「続けて」いたから。
生徒さんは「私」ですから、生徒さんも、フォークを使い続けていたら、いつか「私はフォークを使える!」と不安が笑顔に変わるのだろうと思います(^−^)
そしてまた…
上級を受講すると受けられるようになる「特別講座」で、「じゃあなぜ、そもそも私は自信がないだとかわからないと思う(思った)んだろう?」という人間としての根本レベルを理解していただけるようにもしました。
私たちは人間ですけれど、人間をしているわりには、人間のことはおろか「自分自身」のことも実はあまりよく理解できていないので「○○ということをした、思った、人生に起こった」ということがあります。
その「人間」についての勉強。知識や理解を得られるようにしました。
これは「脳機能と心理学面からの理論や人体の仕組み」を理解することで「私が○○だったから、わからないと思ってたんだ、自信がないなんて不安だったんだ」とわかっていただき、スッキリさせてもらうためです。そしてスッキリしながら人生もスッキリと気持ちのいいものにしていただけるためのものです(^−^)
それは脳神経科学と心理学を勉強したからということもありますが、小さな頃から「なぜ人間は生きるの?どうして生まれてくるの?」と思いながら学校の図書室にも、図書館や本屋さんで本をかたっぱしから読んでみてもどこにも答えがなくてずっと抱え続けてきた疑問を持っていたから、ということと (これらの疑問は全部「頭おかしなった」と思いながらも神に尋ねて回答をもらいました。笑)、セラピストとしてお悩みを聞いてきた経験と、フォークを持っているのに、使えているのに「わからない、自信がない」と言うのは「心を置き去りにしてきて、頭で生きるようになっている人生を送っているからこそ、 根拠や知識でまず理解したがっているんだ、フォークを握る時にどの関節が何度の角度で曲がっているかや、握る力が何Gかかっているかや、そもそもなぜ指は動くのか、人体はどう手足を動かしているかなど、膨大な「頭」だけで理解することを先にわからないと「うん」とは思えない頭でっかちになってしまっているからなんだ (そしてそれは、元はと言えば学校や社会や家庭でそれを強要され、従って生きてきたから、の「身に付けたくて付けたのではない」クセなんだ、だからそう頭でっかちになって心や自分不在で長年生きてきたのはごく自然なことなんだ、けれどだからこそ、人生うまくいかなくなってると思える状態なんだ)」と理解しているからこそ。
天使とお話することと脳神経科学と心理学と全宇宙の仕組み(スピリチュアル)の全部を1つの講座で一度にすると…
おわかりでしょうが、膨大な量すぎて生徒がついていけません(笑)それは私だったとしても同じ(^−^)
24時間では足りない。何年もかかる内容です。
ですから。一番先に「幸せになりたい」「天使とお話がしたい」というメインディッシュである方法から、お伝えしています。天使に相談しながら人生を幸せにしてくださったら、それはその夢の両方が叶うということですから☆
受講していただいた目的が達成されます(^−^)
上級へと進んでいくかどうかは、また別のお話ですから(^−^)それは人それぞれ。選んでくださったらいいと思います。人生をどう幸せにしていくかの上で、受講したいと思えるのならしたらいいですし、そうやって多角的視野から生きられるようになりますから、どの講座もいいものだなぁ(私もそんな講座を受講したかったなぁ、先生に出会いたかったな)と思います(^−^)
もしもずっとフォークを使っていても使えていることに気付けずにいたとしても…
指が曲がって物がつかめることを特別講座で学んだら「あ、私、フォークずっと持ってたわ☆」と気付くしかないですもんね(笑)
嫌でも上級へいけばいくほど理解できることが増えますから、「なぜ先生がずっと「フォーク持ててますよ☆」と言っていたのか、やっとわかった!あはは〜」と思うと思います(笑)
(^−^)
フォークだけじゃなく。なぜ自分はできていることさえ「できていない」と思いたがっていたのか。思いたがりながら、「持てている、使えている」という事実をふせてまで「わからない!自信がない!!!」と自信満々に不安になって生きていたのか。ということまでがわかるようになります。そして、そんな物の考えかたや捉えかた、思考やクセは、 あらゆる人生の側面に大きな影響を与えてきたことも。だからこそ、たとえばお金がなくて困っていたんだということも。全部がわかるようになります。そして同じように他者へもわかってあげられるようになります。
なりますから、それまで「いい人いない」だとか「この人イヤ」と思っていた人がいなくなったり、視点が変わって「いい人」と理解できる自分に大きく成長していたり、いいことしか起こらない人生になっていったり、受講前より辛さが減っていたり乗り越えるのが簡単になっていたりと、まず「天使からの愛」を受け取るところから始めたからこそ、そこまで受講できたがゆえに 理解することもできるようになった「自分」がいるのだと思います。そしてそれからも幸せに笑いながら生きる「私」で生きていかれるのだと思います。
(^−^)
もしも「私」に境界線があったなら…
もしかしたらもっとスピリチュアル・スピリチュアルしていたのかもしれません(^−^)
「大天使ミカエル様に祈りを捧げましょう〜♪ はい、キャンドル灯して〜♪ 大きなパワーストーンの10万円以上するネックレスを付けて〜♪」と、どっぷり「オタクさん」だったのかもしれません。
けれどたぶん、それは私じゃないなと思えるので、他の人生を生きている「私」が、代わりにしているのだろうなと思います(^−^)
「オタクさん」は不思議なことが大好きで、神や天使も「様」付であがめ、たてまつる雰囲気が大好きですから、それが好きな人は、それをしたらいいのだと思います。ただ私はそういうことに興味が一切なくて、それよりも「人生が幸せになるほうが嬉しいし、好き☆」と思える人間、魂だっただけなのだろうと思います。

中学生の頃に鉛筆でデッサン画や、抽象画を描くのが好きでした頃、座右の銘にしていたのが「好きこそものの上手なれ」。
才能がある人がうらやましかった。画家になりたいと思っていました。
その言葉を心の中でよく繰り返しながら、学校の勉強よりもスケッチブックに描くことの方が熱心でした。
その頃に心に思っていた言葉は、人生のキーワードだな、と今は思います。「好き」「嬉しい」で自分をいっぱいにしてあげると幸せ(上手)になれるんだなぁ☆と(^−^)
答えはいつも「そこ」。身近にありました。いつも才能のある人をうらやましいと思う自分が嫌で唱えていた心の言葉が、人生を幸せにする秘訣だったとは気づいてもいない長年でした。
天使様、神様とスピリチュアルスピリチュアルしているのが好きなかたは、その道で最高に輝くのだと思います。私はそれになりたいとは思わないので、うらやましくも何ともなく、むしろそういうハデでしたり、目立ちたがり、出たがりは「Oh, Noooo...」のほうなので(笑)
目立ちたいかたが目立てる、有名になれることは「夢が叶ってよかったね!」と、別の人生を生きる自分に対して祝福を送っているようなものだと思います(^−^)
人が幸せに生きる。それも、私の幸せ(^−^)
ですから、これからもスピリチュアルらしくない元天使がお仕事していきますが(笑)、「踊れ」と言った時には「何かさやかさんには理由があるんだ」と思って、素直に踊ってください☆
はりきって踊ってください(笑)
私はそれを見て、お腹を抱えて笑っておきます(^−^)☆てへっ

講座で伝えている内容が、もしも本当にできていらっしゃらない時には容赦なく「できてない」と指摘がきます。私から。
ですがもし。一言も「できていない」という言葉もなく、講座が最後まで進んでいたのなら、自覚はなかろうと「私はできている」です。
自分が自分を認められるようになるまで・受け入れてあげる愛を持てるようになるまで・人生が「うまくいかない」から「幸せ」という「本来の自分」に戻っていくことを自分自身に許可できるようになるまで…
繰り返し、人生を幸せにするための相談や悩み事を、講座で習った通りにお家で繰り返してみてください(^−^)
「わからない」「自信がない」と思っていた思考がそういえば気づいたらなくなっていた。という状態になっていることや、もうそういうことさえ考えることもないくらい、人生が幸せになっていっていることが嬉しかったり幸せだったり夢中だったりして笑って生きられるようになっている状態の「私」というお姿で、 愛を知り、愛を学び、愛を経験し、愛に生き、幸せだと笑いながら、天使や神、そして人間と楽しみながら生きている「自分」に戻っているのだろうと思います…☆
そして、わかります(^−^)
「全部大丈夫で、全部が愛。」、その意味が☆
おやすみなさい☆素敵なGWを!(私はお仕事とゲラン♪ 大好きなことづくしです♪♪)(^−^)

4.21
こんばんはー(^−^)
書きかけ途中の状態でご飯を作るために置いていたら、文章が消えてしまったので(笑)あらためて書いています(*^-^*)
毎日お仕事をして、お家のことをして、勉強をして、5月からお伝えしていく特別講座の準備もしています。「忙しい」「時間が足りない」と感じる時もあるけれど、どれも全部好きなこと☆ だからとても充実しています。幸せだなぁ、嬉しいなぁと日々思います。有難いな、と。
悩んだりつらかった頃、時は、こんな風に幸せだとも有難いとも思えないことばかりでしたし、思えるはずもない状況で(笑)死ぬことばかり思い浮かびます。それはもしかしたら今後もかもしれない。何かとてもつらかったり苦しくなったら 「ほら、やっぱり死のう。死んだ方がいいからこんなことになるんだ。」と何度も何度も思ってきたように、また思うのかもしれません。私(^−^)笑
つらい時は「有難い」って絶対思えないし「嬉しい」とも「幸せ」とも思えない。思えるどころか、「私は永遠に幸せになれないんだ」「生まれなきゃよかったんだ、やっぱり」だとか思いながら、自分で自分を追い込んでいる(追いつめている)ところが多々あります。
どう考えても、そうとしか思えなくて。そうでないとおかしいでしょ、こんな状況になった人生や私。と。
自分も「なじる」けれど、人生もぐりぐり踏みにじっている感じ。イメージは靴やハイヒールのかかとで痛めつけている感じ。自分で、自分を。つらい状況にある自分を、更に自分で追いつめて、生きることを選んだ自分を踏みにじる。 人生は最悪で、生きることは地獄で、「私は、自分が生きること、幸せに生きること、幸せになることを決めたが為に、こんなにも不幸に、つらい状態になったんだ。すべては幸せになろうと妄想を抱いてしまった自分が悪いんだ。この世は地獄で、地獄に幸せなんかあるもんか…」と、 自分が決めた決心でさえも「お前が悪い」と責めてもっともっと自分をつらくさせていました。
させてきました。
そんな、私。
出会うお客様や生徒のみんなに「幸せになろう(^−^)」と笑っている私も、落ち込んだり、つらくなったり、苦しかったり、ピンチだと焦ったりすると、そういう「暗黒さやか」(笑)に豹変します。
たぶん、きっと、一緒。言葉は違えど、シエルセラピーに訪れてくださった、ご縁をくださった皆さん、そしてお会いしたことはないけれど、どこかで落ち込んだり、辛かったり、苦しかったり、ピンチだったり、焦っている方々とも。きっと、一緒。自分を責めたり、この世をなげいたり、恨んでみたり。

私は、この世でたった1人だけ、自分だけが不幸だと思っていたなら神とも出会わなかったでしょうし、このお仕事も始めなかったでしょうし、「好き」と感じることもなかったと思います。
「この世で自分だけが不幸だ」と思っていたことも、確かに過去にはありました。どんな人もが幸せに見えて、いいなと憧れたり。でも自分の現実に直面する人生や毎日があまりにも苦しくて、つらくて、「私には幸せに生きる人生なんてないんだ」と思うしかない。そんな、憧れは憧れのままで、自分だけが置いてけぼり… 置き去りにされたようにひとりぼっち、孤独を感じて、1人のお部屋で泣いたり、夜に1つ2つと消えていくお家の灯りを眺めては「あそこには私が経験することのない幸せが存在してるんだ」とうらやましく見ていた日々もありました。
「普通の、生活。普通の、暮らし。普通の生きかた。普通の家族。」それがとてもうらやましくて、手を伸ばしても届きそうに見えるのに永遠につかめない月のように、ただ憧れるだけ… 当事者ではなく第三者、他人として遠くから傍観しているだけ…
幸せとは自分以外の人が手にし、持ち、暮らし、生きていくもの。と、そんな風に捉えながら生きていた頃が長い間、人生の中でありました。
だからこそきっと、今。自分と同じように人の幸せも応援し、できる限りのことはしたいと思えるのだろうなと思います。そんな暗い暗いつらい時期がなかったなら、私はきっと「他人のことは他人のこと。」と、他の人の人生のことを考える時間を持つ「私」は存在しなかったでしょうし、 きっとそんな自分なら、まだまだ(と言っては変かもしれませんが)人に何かできるような自分ではない。と自己卑下して、こういったお仕事もしていないだろうなと思います。
そんな風に振り返ると、過去の私は相当手のかかる、やっかいな人だなぁと感じます(^−^)
「有難い」「嬉しい」「幸せ」と思えない状況を生きている時の私を一言で表すと、「話を聞けない私」だったからです。
それは、人生の中には「つらい」がいっぱい過ぎて、心の中も「つらい」がいっぱい過ぎて、「つらい」以外に余裕がなかったからです。
私の人生も心も全部「つらい」で埋め尽くされていました。それは事実。ですが今、何か1つ違うとしたなら「心の中でつらいとしか思っていない私」を、今の私は変えることを選択すると思います。
「つらい」と思っているところから1歩進む「愛」を、今の私であれば持つという意味です。
「どうしよう、どうしたらいい?」と。
つらいつらい、苦しい、もう嫌だ…死にたい、死んだほうがまし、死ぬべきなんだ。そういった無限ループの思考から「じゃあどうしたらいい?」にステップアップさせてあげます。私自身を(^−^)
「どうしたらいい?どうしたらいい?どうしたらいい?…」
「つらいつらいつらいつらい」から「どうしたらいい?どうしたらいい?どうしたらいい?」の無限ループに変えてあげる(笑)
何も変わっていないように思えますね(^−^)けれど、これは全然違う。
私自身の経験ですが、つらい時は「つらい」としか思えません。ですが「つらい」が延々と続くと「あーもうヤダ!!」がやって来ます(笑)
皆さんはわかりませんが、私の場合はやってくるんです(笑)「あーもうヤダ」が(^−^)
いい加減うんざりします。「つらい」に。言いかたを変えると、「つらい」に飽きる。
(笑)
そうすると、次に「どうしたらいい?」が思える自分になれるようになりました(^−^)
昔は思えませんでした。飽き性なのに、何年も「つらい」と思い続けていた「つらい」のプロでした(笑)
「つらい」と思う練習歴かれこれ15年。とか(笑)素晴らしいアスリート、素晴らしい職人、プロ中のプロです。
「つらい」に長けている私ですから、更につらいと思えることが簡単に人生や心の中に新しくどんどんどんどん溢れていました。それを繰り返してきたからこそ、今はわかります。 「どうしたらいい?」これが私の思考にはなかったこと、思ってあげる余裕がなかったこと、思えるほど自分を幸せにしてあげようという気持ちが本当はなかったこと、ずっと私は不幸なままやつらいままで生きていくのだろうと、そちらのほうを覚悟していたことを。
本気で幸せになりたいだとか笑って生きたいと思ったことがなかったのだと、今の私だからこそ理解することができます。その頃は「あーあー、幸せになれるもんならなってみたいよ、こちとら何年、何十年つらい思いして生きてると思ってるのよ!!!」と、誰にぶつけるでもない恨みのような気持ちを抱き続けていました。 …ということが、今だからわかるという感じで、きっとタイムマシーンに乗って、15年前の私や20年前の私、とにかくどんな年齢の私であろうとインタビューしてみましたら、きっと過去の私は全員「幸せになりたい」と答えると思います。

神や天使とお話していて、いいなぁと思うところは、どんな思いであろうと否定せずに聞いてくれます。たとえグチであろうが、悪口であろうが。 全部あたたかな心、目、表情、愛で受け止めてくれます。そして「神や天使から見た意見」をメッセージとしてお話してくれます。 それを聞いて「でもね!」「そんなこと言っても無理」だとか、神や天使のメッセージを全否定しようとも「ひっどーい!せっかく言ったのに〜!」と答えることもなく(笑)変わらぬ愛で受け止めて聞いてくれます。
その愛にずっとずっと何回も話していくうちに触れ続けて、そうして、「聞く」ということを私は学んだように思います。
本当の意味での「聞く」を。
「創造主の定義における「聞く」とはどのようなことか、私はすでに知っています。」ですね(笑)別の言いかたをすれば。
それはいいとして。
私は生まれてから何十年も、本当の「聞く」を誰かにしてもらったことがなかったので、本当の「聞く」を知らずに生きていたために、自分の本当の気持ちや心の声を「聞く」ことがよくわかっておらず、思い浮かぶ気持ちや言葉が「自分の心の声を聞く」なんだろうと勘違いして生きていたのだろうと思います。 ですから「私のことは私が一番よく知っている」とも思っていました(勘違いしていました)し、そのような私ですから、インタビューされても「幸せになりたいよ!」と答える自分であっただろうなとも思います。幸せになりたいと思っていた。それは確かですから。ただ、本心ではなく、上辺で。というだけで。
天使や神… 私の場合ほとんどが神でしたが、そうやって話を聞いてもらう経験を通して、本当の意味での「聞く」を知り、理解し、それでやっと「自分の本心」がわかるようになりました。
本当に、心の底から「幸せになりたい」と思える自分が、そうやってやっと誕生したのだと思います。それまで「幸せになりたい」と思っていたことはすべて、幸せを諦めた自分がこぼした涙にすぎなかったことを理解しました。
だから、私… 幸せじゃなかったんだなぁ、って。

子供の頃、幼なじみもお友だちもいました。小さければ小さいほど「お友だち」の数は多かったように思います。けれど私は自分がいつも考え、抱えている悩み「どうして人は生きるの?」「どうしていずれいつかは死ぬのに、生きるの?」「なぜ生きなきゃいけないの?」「どうしていずれは死ぬのに、生まれてくるの?」「どうしてつらくても生きなきゃだめなの?」 たくさん抱えていた疑問もつらさも、お友だちに1つ、ぽつりとお話した時、お友だち2人が無言になりました。それまで「明星」というアイドルさんがたくさん載っている雑誌をみんなで見ながら、キャーキャー、なんとか君カッコイイと言ってはしゃいで、たくさんおしゃべりしていた2人が。
その時、「あぁ、言ってはいけないことを言ったんだ。」と6歳ながら悟りました。私は、自分の考えも思いも、言ってはいけないんだ。と。それで「きょうこちゃん可愛い、みほちゃん可愛い」と話題を変えたことを覚えています。忘れやすい私が覚えているということは相当なショックだったからだと思います。 そうしてまた、「可愛い〜、私あきなちゃん派〜♪」とはしゃぎだすお友だちを見て、少し心の距離を感じながら、自分を納得させていたことも、覚えています。
あまりにも、誰とも考えていることも直面していることも違い過ぎた。だから誰に話しても、答えてもらえるどころか、わかってももらえないし、自分が傷つくだけ。と。
それから上辺のお話しかお友だちとはできなかったので、いつもどこにいても「ひとり」。ひとりぼっちと感じるようになって、実際に話せる人もいませんし、聞いてもらえる人もいませんし、1人で抱え続けてきた「心」で感じている本当の思いでした。
ですから、もう何も遠慮することもなく神にお話することができて、私はとってもよかったなぁと思います。愛する人がいても、頭ごなしに「それはさやかが悪い」と怒られることも多々でしたから、結局話せることと話せないことがあって、「大好きな人なのに思っていることを全部話せないなんて悲しい」とも思っていましたから、私にとって人生初だったのかもしれません。 「人に自分の思っていることを話す」という行為は。何もかも。つらいことも、苦しいことも、疑問も、悩みも、グチも、悲しみも。何も選ばずに話せる…そんなことが。
相手にとって興味のある話、興味があるであろう話、退屈しないであろう話、退屈させないための話…と、いつも相手のことを考えながら話題を考え、そうしていくうちに「人と何を話したらいいかわからない」と感じることも多くなったり、「話す内容が何もなくて困った」と思うことも多々ありました。 そのたびに「あぁ、私って話が下手!」などと勘違いを重ねていたように思います。そうやって自分を責めるのが大好きでした。大好きとは思っていないけれど大好きだという「無自覚」で生きる私でした。
すべては神とお話するようになって、いろんなことが解決され、本当の意味での「理解した」をたくさん積み重ね、それで今の自分がいるようになりました(なれました)。
本当の「聞く」ということを理解できるようになったから、自分に「どうしたらいい?」と思ってあげる愛を与えてあげられるようにもなりました。
「どうしたらいい?」と心の中で思っていると、時間がかかろうと必ず「それに対する答え」が人生の中で起こるようになりました。それはたとえ、神や天使に「どうしたらいい?」と尋ねる余裕が持てない時も、尋ねてメッセージを受け取ろうとしても「あぁ、もう!わからんわっ!」とイライラしていても(笑)、「うぇーん」と泣いている時も(^−^)
神と会話をすることを繰り返し、繰り返しした経験をとおして、「必ず「どうしたらいい?」と思っていると答えや解決策や打開案はやって来る」ということを学びました。
時には「あ!これかな!これが答えかな!」とウキウキしながらやってきた案をやってみて、結果「えーん、違った… どうしたらいいのよ〜〜」という経験を経由して、の、解決。というルートも何度もありました(^−^)
それはすべてムダではなく、「これと思ったけど違った」という経験でさえも必要な行動、行為だったと後からなら分かりました。すぐにはわからないもので、へたすれば「私はメッセージが受け取れていないのよ」と自己卑下するために自分が自分で思おうとしがちな思考さえ、思い浮かぶものですが(笑)

私自身がしてきたからこそ、思います。自分が苦しい時は、どこかの誰かも苦しい。自分がつらかったように、どこかの誰かも今つらいのかもしれない。と。
自分にあることは人にもあること。自分にできることは人にもできること。人にもあることは私にもできること。みんなが望めば、望むようになれること。を。
これからも毎日、神と会話することは楽しんでいくと思います。きっと、亡くなる日まで。私の場合「人」ではなく神でしたが、恩人でもあり、初めてお話を聞いてくれた人でもあり、話せた人でもあり、いつどんな時でも聞いてくれる人であり、有難い存在でもあり、感謝ばかりで、けれど嬉しい時や楽しい時はちょっと忘れられている存在でもあってごめんねなのですが(笑)、 私はそんな幸せを、同じように、誰かも幸せと感じる人がいてくださったら嬉しいなぁ、有難いなぁと思いながら、講座やお仕事をしています。
もしも同じような人がいなくとも、私が受け取った神からの愛を、こうして「私」をつうじて文字や言葉や思いを受け取る人たちもいるのだろうなぁと思うから…☆
明日は久しぶりのお休みで(^−^)楽しくお出かけしてきます♪
行先はナイショ☆ と言っても、お弟子さんや生徒さんたちにはバレバレだと思いますが(笑)(^−^)
るんるんで行くとこ、いつも同じですから(^−^)/

4.16
ご予約のスケジュールが、8月まで満員になりました。
今後のお申し込みの際は9月以降の日付でご希望お願いいたします(^−^)

私は普段TVをほとんど見ない生活をしてきたのですが、最近は少し見ています。主に家族が見ているものを一緒に見ているというかたちなのですが(^−^)
そのため流行なども全然知らず、ですが子供の頃から流行に興味がなかったので特に気にもならないのですが、以前生徒さんから伺いました1曲の流行のお歌のことを思い出しました。 英語のタイトルなのですが、普段よく使う単語ではないため、どういう意味なのかピンとは来ていなかったのですが、あらためて思い出してみて考えましたら、いろいろと思うことがあり、今日はDIARYに書いてみました。

まず。「あらがう(抗う、反抗、反対する。など)」ことと「意見する」ことは同意ではありません。
「意見」というものには「自分」という真っすぐな、一本線の芯がしっかりと立っている。そこから発せられる「思い」であり、「あらがう」は他人が軸になっています。 もうそこから… つまり「源」から異なる。自分の思いなのか、それとも他人の思い(意見)にただ反発しているだけのサルなのか。その。
サルというのは比喩です。「反応するだけならサルでもできる」という言葉がありますね。自分で考えることもなしに、他を批判や否定はたまた逆に真似することなら人間ではなくてもできる、という意味です。
そのお歌を「表面的」に見れば、ただの反抗。若者よ、一緒に頑張ろう!政治や大人やこの社会の言いなりになるな!というメッセージ性があるように思えます。
しかしながら、そのお歌を歌っている人たちがそもそも、大人に選ばれて結成されたグループで、自分たちが考え、思い、作り、歌った曲ではありません。
また、自分たちが考えて作った衣装を身にまとっているのでもなければ、振り付けで踊っているのでもない。歌詞と「真逆」そのものをしていらっしゃる。
ですが「表面」だけ見ていると、「そうだそうだ!」と鵜呑みにするのかもしれません。それで流行の1曲になっているのかもしれません。真相は分かりませんが。
それを鵜呑みにして「頑張ろう!」と思えるのでしたら、それはそれでいい活力ですからいいのかもしれません。ですが、それを聞いて「そうだ!誰かの言いなりになんてならないぞ!」と思うのでしたら 「まんま」と、その曲を作られた「誰か」のいいなり、思い通りになっている。ということ。
つまり「自分軸」がない。
ブレブレ。他人のいいなり、で生きていることの片鱗が見える思考です。

すべてのことにおいて「作り手」には思いや意図があります。この曲にはどんな目的があって、「歌わせている」のでしょう?
そこを考えていくと、自分なりの真実が見えてくると思います。
真実は人によって違うのかもしれませんが、この曲を世に出し、支持する若者たちが増えることによって、大人に利用される若者をより強固に、定着させることができるのだと思います。
なぜなら、本当に歌詞の内容そのものを「自分軸」で生きている人や若者なら、このような歌を聞かずとも、もうすでにそうして生きているので特に聞く必要も、支持する必要も、流行の一端に加担する必要もないからです。 それが「当たり前」で、あらためてそう思う必要もない。
あらためて言われて「そうだ」と思うのは、つまり、結局は振り回されているから。
どんなに言葉が素晴らしくとも、曲が最高でも、その歌詞を書いたのはどんな背景がある人で、この人たちは自発的に歌っているのか、それとも人気者になりたいという欲を持つ個々が集まった集団が、「自分軸」を持たない人達にお金を払わせるためなのか、 「自分軸」がある人ならそこまで疑問に思ったり、考えたり、調べたりすることがとっくにできているからです。
それをせず、鵜呑みにして「そうだそうだ!」と流行に乗って、結局「笑っている」のは誰でしょう?
もしもこのお歌の歌詞を書いた人が、ずっと捕虜となって生きていた人なら。何十年も家族の介護をするという生きかただけで頑張ってきた人だったなら。
それはたとえですが、もしもそうだったなら、私はきっと「いい曲そう☆」とピンと来て、すぐに反応していたと思います。「流行」を知りながら生きる人だったと思います。
「人や親や何かの言いなりにならずに生きる」ことは素晴らしいと思います。けれどそれを勧めている本人が、そもそもどのような生きかたをして、何をして生きている人なのか。
どんな考えを持っていて、どんなことをして生計を立てているのか。その総合から判断するのが賢明で、「目に見えない印象操作、コントロール」を鵜呑みにして「されている」生きかたは、それを聞いて「そうだ!」と思う前と何も変わりなく、 むしろ自分が「他人軸」で生きていると全く自覚していない「重症さ」を表しているのではないでしょうか?
世間で「流行」にするためのコツは、「何も変わらない」こと。
大日本帝国時代に存在していたことと何も変わりがなければ、支持されます。その意味はずっと昔からあって、これからもありそうな会社や組織や学校や社会の在り方を見れば理解できることです。
人間は変化を嫌う生きもの。それを「恒常性(ホメオスタシス)」と脳神経科学では言います。
代表は体温で、人間の体は一定の体温を保とうと、温度が上がれば発汗させて体温を下げようとし、温度が下がれば体を震わせ、寒さから身を守れと信号を送ってきます。私たちが「えい!や!汗を出せ!心臓の鼓動を速めろ!」と思わずとも自動的に汗を出したり、走ると速めたりするように。
流行など人から「好かれる」には、何も変えない。それが一番です。

もしも自分が、何も悩みを解決せず、毎日モヤモヤしたり、人にグチったりしながら生きる「うまくいかない」人生を生き続けることによって、「何も変えない」を利用してグチを言わせてくれる占い師や祈祷師や壺を40万円で買わせる霊媒師やヒーラーや講師やスピリチュアリストやカウンセラーや商売人や、 もっとグチを言いたくなるようなひどい上司や会社や低すぎる給料や話を聞いてくれない夫やママ友達や職場やギャンブルや買い物依存症やアルコール、煙草などの中毒症や精神疾患を引き寄せながら生きていく事になるのかもしれません。自分だけが自覚なく。「変わる(変える、チャンスをつかむ・手に入れる、幸せになる)」ことを応援する人を批判・否定して、 「変わらない」自分をエサにしてむらがる人々を大事にして生きながら。むしろそのような人々の方を称賛、たたえながら。

要点は1つ。
「自分軸」。つまり「自分」で生きていくことの大切さ。
それだけです。
「自分」で生きながら、この社会、この世界で楽しく、幸せに、笑顔で生きていくことは楽々とできます。
なぜなら、どんな社会、どんな世界、どんな親、どんな会社、どんな上司、どんな夫であろうと自分自身は「自分」で生きている生きかたなのですから…☆
では〜(^−^)おやすみなさい☆

4.12
今後のお申込みにつきまして、ご希望日は8月12日以降でお願いいたします。

4.11
全てのお申し込みを再開いたしました☆
また、営業日が土曜日のみに変更いたしました。今後どうぞよろしくお願いいたします。
空きのスケジュールは
7月29日
8月5日、12日、19日、26日です。
7月は29日より前までは全てスケジュールは埋まっています。ご予約できませんのでよろしくお願いいたします。
8月以降、9月なども土曜日での「シエルセラピー」や「講座」の開催になります。
よろしくお願いいたします(^−^)

また、新しく「カウンセリング」というセッションを開始いたしました。詳細はページをご覧ください☆
ありがとうございます☆(*^-^*)☆

4.9
今後の方針とお願い

お仕事をする上で、とても「しんどい。」と思うことがあり、今後の方針とお願いとして書かせていただくことにいたしました。

まず。北本さやかは「グチ」と「人の悪口」がとても苦手です。これは子供の頃からずっとです。
学生時代からお友だちにはグチも人の悪口を言う人も1人もいませんでした。それは私が苦手だったので自然とそのようなかたとご縁を遠慮してきたからだと思います。
お友だちはみんな、一緒に笑いあう。そのような仲でした。
ですので、大人になってからも人の悪口が始まると席を立ち、お手洗いや外でぼーっと立ったまま時間を過ごして「もうそろそろ終わったかな」と思う時間に戻る、ということをしていました。
悪口に付き合わない私は、悪口やグチを話す人からすると愛想悪く、付き合いの悪い人だったかもしれません。ですが、私自身が聞いていると泣きたくなったり、苦しくなったりと胸が痛くなります。
グチや悪口を聞くのはとても苦手です。走って逃げたくなります。
ですが、お仕事では逃げられません。ですので、お願いです。
「グチや人の悪口を言いたくて、シエルセラピーの講座に自分は来たのか?自分は何を目的に、日根野まで来たのか?」というところを今一度、グチや人の悪口を言いたくなられましたら、 ご自身に尋ねていただきたく思います。

グチや人の悪口を言っている際の人間の顔は、決して綺麗でも、可愛いでもありません。美しさや幸福とは正反対にあるものです。
私は、このお仕事を「人も笑って、自分も笑う。そんなお仕事でどうせ生きるのなら生きていきたい。」と思った中学生の頃の私の「果ての姿」だと思っています。
ずっと死にたいと小学生の頃から思っていました。そのような私が「もし生きるのなら」と自分の中では生きることはありえないけれどももしもという形で未来を考えた時、そのように思い、まずホテルマンを目指しました。
「お客様が笑顔になり、私も喜べる。」と。
「人も笑って、自分も笑う。」これはどんな時も失わなかった、職業の選択についての私の生きかたの指針です。

グチや人の悪口を聞くことは、私にはしんどくて、もしも「死ぬこととグチを聞くこと、どちらを選ぶ?」と尋ねられましたら即答で「死にます」と選びます。
笑って生きられなくて、生きることは死ぬこと以上に辛いことだからです。
同じように、目の前の人が笑っていない。自分も笑っていなければ、人も笑っていないことを、私はお仕事の中でしたくはありません。
このお仕事をしていると「何でも聞いてくれる人が北本さやか」と勘違いされます。
全部にYESと答えてくれるとも勘違いされます。
ですが私は、「人も笑って、自分も笑う」を考えてくれた中学生の頃の私を今でも大事にしています。
間違っていることは「それは違う」と言い、正確なヒーリングやリーディングやチャネリングの方法を伝えます。
もしも生徒やお客様だからと言って「人を明日殺そうと思っています」と言われたとしましたら、それはなぜなのか、本当にする必要があるのかなど伺います。
決して「そうですか。素敵ですね!頑張ってくださいね!応援していますよ」と人殺しにYESとは言いません。共感も、賛同もしません。
先生である前に、私は「人」だからです。

中学生の頃の私が、今の私を見て、グチや人の悪口を聞かされている現場を知ったなら、とてもではないけれど生きていることが耐えられなくなることを、私は手に取るようにわかります。
過去は戻れないし、やり直すこともできない。たくさんの辛さを回避するすべが、子供の頃の私にはありませんでした。
けれども。今の私がもしも20年も30年も前にタイムスリップできたなら。
私は蹴られる自分も、殴られる自分も全部「さやかちゃんにそんなことをするのはやめて!」と全力で体を張ってでも助けてあげることは間違いありません。
たった1人ぼっちで誰の助けもなく辛さを生きてきた経験があるからこそ、助けられるものであるのなら、それが助ける必要があるのであれば助けたいと思います。
同じように。
過去にタイムスリップすることはできなくとも「人も笑って、自分も笑う。」そんな生きかたがいいと思った中学生の頃のさやかちゃんを、今でも、これからも、私は全力で助け続けてあげたいと思っています。

ですので。シエルセラピーのセッションの時間以外は、講座でもランチの時間でも、いつであろうと「グチ」と「人の悪口」は聞きません。
きっと、受講にいらっしゃる生徒さんも、グチを言ってまたもう一度その時の嫌だった気分を味わいたくて「講座を申し込む」ボタンを押したのではないと思います。
自分のため、笑顔のため… それは、中学生のさやかちゃんと同じように、「前を向いて」考えた、自分の幸せのためだと私はどの生徒にも思っています。

ここ数年、「ランチ」の時間がとても辛いと感じるようになっていました。
「グチを聞きたくて、私はこのお仕事をしているのか?」と考えると涙が出てくるので、浮かんでくるその考えをかき消しながらお話を聞いていました。
私は神にグチを言って、満足したからこのお仕事を始めたのでも、人の悪口を言って何かを得たからお仕事を始めたのでもありません。
神の愛に触れて、笑ったから。
それは、悩み事を相談してお返事をもらって「へぇ!」や「すごい」と思ったり、そしてその考えかたを取り入れたり行動したりして、1つずつ悩みや問題が解決して行ったり、うまくいったことやピンチを乗り越えられたり、辛さを超えられたり。
そんな「笑顔」が自分にあったから、同じように笑顔になる人がいたらいいなと思い… そうして始めたことでした。
ただ、神の愛。天使の愛が嬉しかったから。
まずは自分が笑いました。それを、人とも共感できたら。と始めたことでした。
神の愛。それを。

生徒全員が全員、グチや人の悪口を言っている。という意味ではありません。
無口な生徒さんも結構います。私も普段は無口なほうです。ランチ中、一緒に何もお話しない時間もあります。けれどもそれは苦痛ではありません。
ただ一緒にいる。それだけで嬉しいのが私です。自分のために、幸せのために、笑顔のために受講に来てくださっている。その「お心」が、私には有難いなぁと思っています。 ですから何も言わなくても、ただ一緒なだけで嬉しい。
まずは自分が無理をしないことで、人も「無理をしなくていい」が分かるようになるのだろうと思っています。一緒にいても何もお話しなくても嬉しそうなさやかか、それとも退屈で 「何か話しなさいよ」と不機嫌そうに話すのを待っているイライラしたさやかがいるのかは、「目の前の人をちゃんと見る」ことができていればどなたでもわかると思っています。
けれどもそれは、エンジェルヒーラー認定コースで天使と話す方法を学んだ生徒が「まずは自分のことをちゃんと見る」(=悩み事を天使に相談する)ができているかどうかで変わってくるものとも、生徒を見ていて理解しています。
天使に相談している人は、無理に何かを話さなきゃとどんな人にもしなくていいことも。グチや悪口を言いながら生きることはどのような人生になるのか、どのような人生を作ってきたのかも。
わかるとも思っています。

ですが。「天使に相談する」という「自分への愛」ができていない人には理解しがたいことだと思いましたので、ここに方針とお願いとして伝えさせていただきました。

私は人を、応援しています。グチや悪口に共感すること、同情することを応援とは思っていません。
心から笑顔になる。そのお姿で生きる皆さん一人一人を応援しています。

ですので。今後グチと人の悪口は「なぜ私は言いたくなるのだろう?」という天使へのご相談に変えていただきますようお願い申し上げます。
そして、開始の時間からランチ、そして終了の時間までお互いが楽しく過ごせますよう、「相手への配慮」も「自分のことを考えるのと同じくらい」持っていただけますと幸いと存じます。
以上、北本さやかからの今後の方針とお願いでした。
ありがとうございます。

4.7
今日のお仕事。
いい言葉でしたので、お客様がとられたメモをシェア用に写させていただきました。
シエルセラピー
神のメッセージ
「お母さんのことが辛いんだね。
お母さんが求めてくることが。
お母さんの価値を認めてあげるんだ。
お母さんが生きてるだけで価値がある、と。
お母さんの希望を叶えようとすることは「お母さんには価値がない」と捉えていること。
価値がない人だから、代わりに私が叶えてあげなきゃ、と。
自分では幸せになる価値がない人のため私が叶えてあげなきゃ、と。
だから任せるんだ。全部お母さんに。
「あなたのことはあなたのこと
私のことは私のこと」と。
できないことは断る。
できることはする。
「できる」とは、「笑顔でできる」という意味。あなたが笑顔でできないことは断る。
「私はあなたのせいで不幸になりました」と人のせいにすることで、自分の責任から逃れようとしているだけ。
自分が自分を幸せにしてあげる責任から。
これ以上罪を重ねたくないから人のせいにしたい。
「あんたが幸せにしてくれないから、私、不幸じゃない!」ということで、自分には何の責任もないと逃げようとしてるだけ。
ひどい罪を重ねてる証拠。
あなたが優しいから罪をかぶってくれるはず、と渡してる。
自分のことしか考えていない。
自分が持っていて辛いものは誰が持っても辛い。それが罪というもの。
自分がこれ以上持つのが辛いからと言って、子供であるあなたに渡すことは愛ではない。
母の罪を子供がかぶる必要はない。
そもそもかぶれない。
罪が2倍となって渡した本人に重くのしかかる。
彼女には彼女の生きかたがある。
本人が気づくしかない。
あなたはあなたを生きること。
たくさん自分を笑わせること。
彼女はあなたではないし、あなたも彼女ではない。」

4.4
こんばんは〜(^−^)
Happy Birthday to Cieltherapy 〜☆
シエルセラピーが10歳になりました☆☆☆
みんなのお陰です。ありがとうございます!(^−^)☆
10周年。
幸せです。ありがとう〜
そしてお知らせなのですが、現在スケジュールがいっぱいの状態で、いったん全ての「お申込み」を一時休止させていただきます!☆
本当〜に、ごめんなさい!!
そしてありがとう☆☆☆
お申し込みの受付を再開いたしましたら、またシエルセラピーのTOPページでお知らせしたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします☆
ありがとう☆
はぴはぴDAY(^−^)これからも過ごしてねん♪

3.26
昨日は花粉症の症状がひどくて1日寝込んでいました。間で時々は目が覚めるのですが、トータルすると本当にまる1日、24時間くらい眠っていたかも。
お陰で元気になりました☆よかった〜
先日、生徒さんであるエミエルちゃんのアロマトリートメント・サロンに伺い、気持ちよくマッサージしていただきました☆
(*^-^*)
プライベートのほうではもうご紹介していたのですが、こちらでも〜☆
「エミエルの笑み得る」で検索していただくと、アメーバブログが出てきます(*^-^*) 見てね☆
何日か前の記事に、私も写真で写ってます(*^-^*)
1時間5千円でとっても良心的☆
京橋駅南口にエミエルちゃんが自転車でお迎えに来てくださるので道も迷いません(*^-^*)
リラックスに、リフレッシュにぜひぜひ☆どうぞ(*^-^*)
綺麗な曼荼羅アートもご覧になってね!私もお2ついただきました☆早速お部屋に飾っています☆癒されます♪
あと〜
ご紹介し忘れが。いつものことですが(*^-^*)えへへ
ココリラ「天空の相談部屋」2017年2月第4回
いろんなことをスッカリ忘れてしまうさやか脳(笑)(*^-^*)
記憶力が全然ないのは子供の頃の後遺症ですが、「へぇ〜」と思いながら、あらためて記事を読みました。今☆
そして思ったのは、働いている生徒ちゃん&クライアント全員に当てはまる内容だな!と(*^-^*)
職場の人間関係で悩んでいる人は多いです。そんなみんなに、この守護天使さんのメッセージは当てはまるなぁ♪と(*^-^*)
うんうん。みんな優しいから、本来社長や部長がするお仕事を、みんながしてる。それが、みんなが抱えている人間関係の悩み。その内容〜
本当は悩まなくていい内容です(*^-^*) 悩まないようにしてあげる。従業員がスムーズに会社に来てお仕事をできるようにしてあげることも、社長や上司の立派なお仕事。
それをしてあげていないから、一従業員である生徒ちゃんやクライアントが悩んでる。
「他人の分までお仕事してる」ってこと。だから、その悩みは解決されていないってことなんですね。
社長や上司の怠慢です。みんなは何も、悪くない〜(*^-^*)
そして、悩まなくていい〜
気にしなくていい〜
自分の生活が楽しくなることだけ考えてあげたら、それでOK!(*^-^*)
だって、社長じゃないもんね!(笑)(*^-^*)
「今日という1日、どうやったら私は私を喜ばせてあげられるかな?」と考えながら行動するんですって☆
毎日。それが大事って(*^-^*)
心のスイッチを切りかえて、過ごしていきたいね!私のために。自分のために。自分の、笑顔のために☆
(*^-^*)

ところで〜
4月4日で、シエルセラピーは10周年です☆
10年。「社長、神」「従業員、さやか」の二人三脚でやってまいりました〜(笑)
はじめる前は「不安49%」「やってみたい51%」の割合で始めました(*^-^*) このお仕事(笑)
たった数パーセントの瀬戸際。せめぎ合い?(笑)
本当に、それくらい。たった数パーセントだけ「やってみたい」がちょこっと多かっただけ。
しないまま毎日を過ごしたら、私はきっといつまでも「やってない」や「やらなかった」ことを思い出しながら生きるだろうなぁ。と思ったから。
未来のことは誰にも分からない。うまくいくか、いかないかなんて。
「うまくいくか」そこを考えだすとキリがない。誰にもどこにもない答えだから。それでいつまでも足を止めていても、もちろん何も答えはない。
答えはいつも、何かをした先にあること。
神に出会ってから思うようになったのは「もしもやってみて、うまくいかなかったとしたなら、その先で、じゃあどうしたらいい?どうしたらうまくいくようになる?って、考えたらいい」ってこと。
いつも絶えず毎秒毎秒「人生の分岐点」に私たちはいて、一瞬一瞬の選択で「どんな人生になるか」を選んでる。人生はいつも、あみだくじ。どこに行くのか常に分からない。ただまっすぐ行くのか、曲がるのか。曲がるのも右なのか左なのか。
あみだくじと同じで選べないのは「戻ること」。時間はいつも先へ先へと動いてる。だから「さっきの選択はナシ〜!5分前に戻ろう」が現実的にできないから、また次の選択肢で「何を選ぶか、どうするか」が待ってるだけ。
だから「うまくいかない」にぶつかったら、うまくいってないところで「どうやったら笑顔になれるかな?」という選択を選べばいい…
そんなことを、神に起業する前教えてもらったように感じて、そう思いながらずっとこれまで10年。もうすぐ10年。やってきました。
いつも、自分が選んだ選択肢にケチをつけて、もんくを言って、自分を責めて「ほら、あそこで左に曲がっておけばよかったのに!!バカさやか!」と心の中で言いながら生きてきたような人生。
さかのぼれば「ほら、生まれてきたことそのものが最悪、最低なのよ、悪魔め!」と全部の自分を全否定してきたと思います。生きてきたことも全否定し、生まれてきたことそのものも全否定する。 生きていることは悪で、生まれてきたことそのものが最低。私のすべてはダメで、人生もダメ、だから全部が悪な悪魔そのもの。嫌われて当然。愛されなくて当然。辛い日々で当然。むくわれなくて当然。
日々を頑張る自分もいるけれど、何をやってもうまくいかない。だって、生まれてきたことそのものが最低最悪なんだもの。と。
そんな私も、神に出会えてよかったなぁと思いました。神は一度も私を最低とも最悪とも言わなかった。悪魔ともクズとも言わなかった。いつも話を聞いてくれ、それに普通に答える。 私をおだてたりもせず、見下しもせず。ずーっとずーっと古くからの友人のように、自分と同じような扱いで。ねたみもせず、おべっかも言わず。ただ普通に。
人生たくさんの「困ったこと」「辛いこと」がいっぱいで、どうしようと思うたびに「私は私だからダメなのよ」と自分を責めた。「私だからうまくいかない」と。
そんな私が「どうしよう」「うまくいかない」と直面するたびに神に尋ね、相談し、今日まで生きてこれたのは、神のお陰でもあるし、相談することを選んだ自分のお陰でもあるし、出会ってくださったこれまでの生徒さん、クライアント様、そして家族のお陰だと感謝しています。
「神と会話ができる」それだけで聖人君主だと最初は思われました。さぞかし立派な人なのだろうと。ですから目の当たりにして「何この人」と思った人もいただろうし、反対に「この人でも話せるんだ、それなら私も」と意気込んでくださった人もいたと思います。
たくさんの人と笑った時間もあれば、傷つけた人もいると思います。申し訳なく思うこともあれば、たくさんの感謝もある。私も人だから嫌なこと、できないこと、しんどいな〜と思うこと、苦手なこともある。
けれどたくさんの嬉しいも、ありがとうもあって、ここまでの10年。来たのだと思います。
(^−^)
もう少し「こうだったらよかったな」と思うのは、インストラクターさんをたくさん誕生させたかったこと☆
だけど人生、ここまで生きている時点のさやかが思うのは、「人生うまくいくようになっている」。
インストラクターがいないことも、また、これから先の未来、「それでよかったのだ☆」に繋がることなのだろうと思えるから。
10年。「精一杯頑張ってきた」と胸を張って言えます(^−^)
時に朝、病院で点滴を受けながら。立つこともできない体調な中、なんでもないフリをして1日みなさんの前で立ちっぱなしで講座を開いた日々もありました(^−^)
懐かしい。
自分が「幸せになりたい」「苦しい今からどうにかしたい」と必死で頑張ってきたように、出会う皆さんも同じように前を向いて頑張るその気持ちにこたえたい…と、かなり無理をしました。(笑)
うそ、つきました(^−^)元気なフリというウソ。いっぱいつきました。「うそが大っ嫌い」と言いながら「私はうそをつきません」と言いながら、大うそ、ついてました(笑)
それくらい。自分がやりたかった。一人一人が幸せになっていくことを選択した、その先にあった「講座」に。
私の幸せの選択でもあり、その時の私には、自分の体調よりもそっちを選択することの方が幸せだったから。
お仕事を何度も「やめよう」と思いました。落ち込んだとき、体がもうだめになったとき、いろんなその時々で、「もう無理だ」って。
だけど10年、やってきました。
言えるのは「すごい大変だった!」(笑)(^−^)
だけど人間としてたくさん落ちこぼれでした。他の人ができることも私には「できない」が多くありました。他の人がなんなくできることも、私には難しかったり。
そんな私が10年、このお仕事ができたのは、ひとりぼっちじゃなかったから。神と、みんなと。いたからできたと思います。
出会ってくださって、ありがとう。
生まれてきてくれて、ありがとう。
生まれてきてくださらなかったら、私はあなたに出会うことができませんでした。だから、出会ってくださってありがとう。生まれてきてくださって、ありがとう。
お金では得られないものと、お金で得るもの。その両方を、この10年の間に学んだり、得たり、理解したり、シェアしたり出来たように思います。
自分自身と、出会えたみんなと。
「エンジェルアース」から始まって、その恵みに感謝し「エンジェルマーシィ」という名前に変更、そして現在の「シエルセラピー」にこの10年間で移り変わってきた流れもありました。
いつも言えるのは「ありがとう」。
私はいつもみんなと神に助けられながら生きてきました。いつも助けてくださったこと、ありがとう。
6月には39歳です(^−^)数字だけで見るとまだまだ若いです(笑)「生まれてから、まだ39年かぁ〜」と思います。体感としてはそろそろ80歳くらい。辛くて苦しい時が長くて長くて、「え、まだ39年なの?」という感じ(笑)
だけどこの10年。たくさん泣きながらも、たくさん感謝し、たくさん笑えたのもみんなのお陰です。それまでの人生で笑ったことのない感謝と笑顔と喜びをいつもいただいてまいりました。それはあの日
「でもうまくやっていけなくて困ったり辛くなったら嫌だから、やめておこう。」という方を選択しなかった、10年前の自分の選択のお陰だとも思います。不安がたくさんあっても「やってみたい」を選んでくれた。その先の10年、想像もしないくらいのすごいことが幾つもあったけど(笑) でもそれを知らないから。「やってみたい」を選んでくれた、あの10年前の私に「ありがとう(^−^)」と、自分自身にも感謝したいと思います。
きっとそれからの10年、一体私の身に何が起こって、どんな辛さ、どんな苦しみがあるかも「分かった」なら…
私は何も選ばず、やらず、「怖いよ、恐ろしいよ、無理だよ、絶対無理」と尻込みして逃げたと思います(笑)
これまでの10年を振り返って、これからの10年も生きていきたいなと思います。起業当時、28歳。「もう若くない」「始めるには遅い」「ダメになった後やり直しのきかない歳」とは考えもつかなかった私。
ただ自分が神に感動し、ピンチも切り抜けて「すごいよ神!」と思った。それだけで「自分と同じような人に」と神の教え、神のメッセージ、天使の教え、天使のメッセージをシェアしたくて始めた。それだけのお仕事はじめ。起業。
それだけの私に出会ってくださった皆さんに心から感謝しています。そして、神にも。感謝しています。
これから先も、あみだくじ(^−^)
どう生きて、何を選択するかは自分自身にも分からない。その時その時の自分がその先の未来に笑って幸せに生きる自分がいることを信じて… 一瞬一瞬を選択していくだけ。
このお仕事を始めなければ、一生、皆さんとは出会いませんでした。きっと、私はとっくに生きてなかったから。
出会ってくださって、ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう。
これから先も、みんなが笑って、幸せでいてくださることを願って。
少し早いですが、感謝の気持ちを述べました。ありがとう。

さやか

3.21
特別講座「幸せな恋愛と結婚」
公開したよ(^−^)
シエルセラピスト認定コースを受講した生徒さんならすぐにお申込みいただけます♪(本日〜5/31の間まで)
エンジェルヒーラー認定コースを受講した生徒さんは、5/1〜5/31の間までだよ☆
実際に受講いただく日は、お好きな日程で受講いただけるので、チェックしてみてね!
(^−^)

3.19
歯ぐきを出して笑う人が好き(*^-^*)
心の底から笑ってるって伝わってくるから☆
手で口を隠したりしないで、幸せを心から満喫してる!と感じる素敵さ☆
そんな人、大好き(^−^)
とてもとても美しい☆☆☆

3.17
おはよう〜
世間は明日から3連休らしい。
自営業者はカレンダーがわからん(*^-^*)
あはは、あのね(先に笑う人)
この間あった、土台となる思考パターンでおもしろいものがあったからシェアするね!
「私は、恩をあだで返されます」
(笑)
(笑)
笑いながらお芋掘りして置き換えしたよ☆
神と世間話(笑)してたら出てきたの〜(*^-^*) チェックしてみたら?と言われて、筋肉反射テストしたら入ってた。という〜
見返りは求めてないし、求めるものでもないと思うけど、あだで返されてたら、たまんないよね(*^-^*)笑
あ〜おもしろかった〜☆というシェアでした(*^-^*)
Have a nice weekend and holiday!(^−^)

3.13
りかちゃん、お誕生日おめでとう(*^-^*)
生まれてくれて、ありがとう☆
出会ってくれて、ありがとう☆

3.11
東日本大震災から6年。
黙祷を捧げます。

3.7
ライトワークスwebサイト「ココリラ」天空の相談部屋2017年2月第3回「お金の使い方が下手くそです」
です(*^-^*)
守護天使さんが答えてくださったこと以外に、今読み返していて「自分もかつて、自分にそう思っては責めてたなぁ〜」と思い出しました。大切なお金なのに、食料品を買いにジャスコに行っては、食料品だけじゃなく可愛い雑貨屋さんに「つい」寄ってしまっては、ちょこ。ちょこ。と買ってしまう…
それで、家計簿を見ては「どうして買っちゃったんだろう」と末頃後悔する。後悔するのに、またふらりと寄ってしまっては季節ごとに変わるディスプレイに「素敵!」とときめいて、また「つい」買っちゃう…
そんなことを繰り返していたなぁ〜と。買う時も繰り返してますから、やっぱり思い出すんですね。何度も後悔してきたことを。だから「なるべく金額の低いものを」と思うようになっていましたり、また、金額が低ければ「いいよね、これくらい…」とうしろめたい気持ちもありながら買ってしまいましたり。
結局、何度か引っ越しをしていますので今現在それらはあるのか?今でも持っているのか?と考えましたら、答えは「ない」です。持ってない。つまりは結局、なくてもいいものを、その場では「すごく欲しい」と思って買ってるんですね。
そういうことが自分にもありました。その時に、同じように思っていたなぁ、と。「私はお金の使い方がいいほうではない」と。
それで。
その上で。
「じゃあ、お金の使い方がいいって何?」と思いました。一体どんな使い方が「いい」に該当するのか?
そうして考えましたら、「そもそも、いいとか悪いとか、何の基準?判断?」と次に思いました。何か判断する基準がある一定あり、それを定義だとすれば、そのラインからはみださないのが=いい。で、はみ出すと=悪い。になるよね?と。 じゃあ、そのラインって、何よ?と思いました。
思いながら、あぁ、これ、「親が喜ぶ使い方」が「いい」。で、「親が怒ってくる、叱ってくる、ダメな子!って認定してくる、そんな使い方」が「悪い」。なんだなぁとわかりました(*^-^*)
お金の使い方さえも、私たちっていまだに「お母さんに怒られたらどうしよう…。親を喜ばせなきゃ。親の言うとおりにしなきゃ。」と生きてるんだなぁとわかりました。
「親が「いい」と言う」がいい。で、「親がダメと言う」が、悪い。
つまり基準は「親」。なんでもかんでも「親」。「あなた、またこんな物に無駄づかいして!」と怒られそう(絶対怒るであろう)な使い方をすると「私ってお金の使い方が悪い」とジャッジ(判断、審判)するんですね。
ですから、私たちのほとんどの「正しい」か「正しくない」かは、全部「親」基準、親目線、親の思考、親の判断によるものです。それが、一生。おばあちゃんになっても。自分が親の立場になっても。幾つになっても。
「自分が合ってるのか、間違ってるのか、できてるのか、できてないのか、分かってるのか、分かってないのか、いいのか、悪いのか」を私たちは時々… それ以上に、頻繁に、よく、悩みます。「いい」や「正しい」になろうとする。あろうとする。「いい」や「正しい」状態の自分でない場合ダメだと決めつける。
けれどそれは全部、「親」。親が基準、親がジャッジしてどう思うかが基本になっていること。

「自分」を生きていませんね。
自分=今。
現実を生きていない。
だから、人生、うまくいってないのかもしれません。
自分の人生を生きているのは「自分」なのに、自分以外の人を基準にして生きているから。

だから、「自分」を信じられない。
当然ですね。
「自分」がいない、自分不在の人生を生きているのだから。

人間として、さやかがもしこの相談者さんに講座中のように言えることがあるのだとしたら、答えは1つ。
「お金の使い方、下手でもいいんじゃない?(^−^)」。

お金の使い方を上手にしよう、つまり、親が喜ぶような使い方、親が「いい子ね、●●ちゃん」と褒めてくれるような使い方ができても、できなくても、使っているのは「私」。
「欲しかったんだよね。とっても可愛い☆って、思ったんだよね(*^-^*)」って、自分が後々ゴミになる雑貨にお金を支払って買ってしまったとしても、いつも自分だけは自分の味方でいてあげてほしい。分かってあげていてほしい。理解、してあげていてほしい。
だって、あなたが自分を責めたら、あなたはこの世でたった1人ぼっちになる。理解者が。誰もいなくなってしまう。
前回の守護天使さんがお話してくださったように、私たちは20歳が0歳なんですって。だから、私なら、私はまだ20歳にもなってないわけだ(*^-^*)笑
まだ成人もしてない〜
だから、買って後悔するようなことがあってもいいと思うのね(*^-^*)
そうやって「お金の使い方」を学んでいくものなんじゃあないのかしら☆いつまで経っても☆
「自分基準」というお金の使い方を(*^-^*)
だから、私なら言う〜「下手でもいいんじゃない?(*^-^*)」って。

みんな、厳しい。
自分に厳しい。
かつてのさやかもそうだったけど(笑)てへへ
もっと優しく。もっとゆるゆるに。「許して(赦して)」あげればいいんだと思う〜
私がこの人の先生なら、そう言うナ(*^-^*)
だって、大切な人だから。
生徒は私のファミリー。私の家族。
優しくしない意味も理由もない(*^-^*)
偉いでしょ、「こうなりたい」という夢があるなんて。私はそう思うよ。もうそれが愛だって。夢や希望、こうなりたいという、たとえ漠然であろうと思うことは「愛」だって☆
「なら、もっとユルユルしてあげてぇ〜♪♪」って、わき腹あたりをこちょこちょしちゃう!(笑)
(*^-^*)
無理やり笑わせるの(笑)えへへ!
みんなシリアス。みんな真面目。私もだったけど、「ど真面目」(*^-^*) で、厳しい〜〜!(笑)
笑お♪ いっぱい(*^-^*)
認めてあげよ♪ 自分だけは、自分を。
いろんなことがあったけど、これまで生きてきたの。「偉い」もん☆
ほんとにいっぱい、いろんなこと、あったよ☆だけど、それでも精一杯生きてきたの。時には逃げながら〜 時には隠れながら。
時には誰かを傷つけたかもしれない。けど、いっぱい自分も傷ついて、それでも何とか。のほほんとした時もあったし、ぼーっと生きてた時もあったけど、それでも今日。ここまで。生きてきたよ(*^-^*)
もう、それだけで「立派」じゃない♪(*^-^*)
誰も褒めてくれないけど、天使は「偉いよ〜」って、言ってるよ(*^-^*)
さやかも「偉いよ〜」って、言ってるよ♪(*^-^*)♪
褒められながら生きたって、もう、いいじゃない?(*^-^*) だって、ほんとにそれってスゴイことだから(*^-^*)
よく思う。生徒さんやクライアントの人生を聞いて「偉いな、私だったら絶対生きてないな。」って。
生徒さんやクライアントは逆で、「さやかさんこそすごい」と思ってくださってる。でもそれは、私からするとほんと逆。両親がいて、お家もあって。お金もあったのに、どうして 「つらい」って分かってもらえなかったんだろうって。「つらい」って言えずに1人で抱えちゃったんだろうって。1人ぼっちで頑張ってたんだろうって。 私にはなんにもなかったから、言えなかったし、分かってもらえなかったし、抱え込んだけど、どうして雨風しのげるお家が生まれもってこのかた、大きくなるまであったようなお家に生まれてこれたのに、 それなのにどうして、そんなにつらい想い、悲しい想い、寂しい想い、してきたんだろうって。
私なら、無理。私なら耐え切れずに、生きられない。って。
それなのに…
生きてくれてたよ。
今日もほら、生きてくれてるよ。って。
ありがとうって。
すごいじゃん!って。
思うよ(^−^)
だから「幸せになろうね!」って、思うよ☆
さやかにできること、あなたが幸せになるために…
できる限り、させてね!って、思うよ(*^-^*)
だからね、きっとね、お互いに、お互いのことを「すごい〜☆☆☆」って、思ってるんだと思う(笑)
「さやかさんすごい」「●●ちゃん、すごい」って(*^-^*)笑
一緒だよね☆
一緒だよ(^−^)
だから私があなたを愛するように、あなたもあなたを愛してあげてね(はーとまぁく♪)って、思うの〜
(*^-^*)
1つ1つの講座でその「練習」をして、そして最後のインストラクター・コースで「練習」を「卒業」するのかもしれないね!
(*^-^*)
きっと、もう、大丈夫になって。
だからたくさんのインストラクターさんがいるといいなぁ☆卒業生さんがいるといいなぁって思う(*^-^*)
いっぱい書き過ぎて12時過ぎちゃった!(笑)
(^−^)
じゃあ、おやすみ☆

3.3
今日はひな祭り☆女の子の日(*^-^*)
こんな日は特別ディナーやご褒美DAY に設定して、おいしいものを食べる日にすると楽しいよね!
そんなさやかはただ今ダイエット中〜♪(笑)えへへ
今回はハードな方法なのでシェアすることはできないかな。いつも何でもシェアするのにごめんね☆みんな倒れちゃうと困るから〜☆
ダイエットの理由は「素敵なお洋服が着たい」と思ったから(笑)
いつも素敵と褒めてもらえますが、そんな私でも「こうなったらいいな」な理想像はあります(*^-^*)
とりえあず学生時代くらいの細さには戻りたいかな☆(*^-^*)
20代前半の頃はびっくりするほど細くて、間違ってモデル事務所に所属できたくらい(笑)
ホテルマンを辞めて、アルバイトをしようと思って「接客の派遣」だと勝手に思って面接を受けに行った先が事務所で、実際にお仕事をした初日に「なんか違う?」と気づいて、わかりました(笑)
背が低いからまさかだよねと思いますけれど、それが実際そうで。
事務所の社長さんが面接をしてくださったのですが、女性なんですけど面接時に上から下までジロジロ見られて。女性にそんなにまじまじと長い時間全身を見られた経験がなかったので内心ひきつっていましたけれど アルバイトとは言え働きたいので笑顔で。その後「よっしゃ!気に入った!」と言われて、いきなりたくさん撮影されました。外で(笑)
何事かさっぱりわからないのですが、社員証や登録時に必要な写真なのだろうと思いながら言われるままでしたが、かなりのミニスカートをはいていたので「宣材写真」だと後からわかりました。
ですので私は接客のお仕事がどうしてもしたいと辞める時に話し合いの場を持っていただいた際、私の、接客への情熱、お人に対するおもてなしの情熱に、社長は感動して泣いてくださいました(*^-^*)優しい人〜
女社長さんも元モデルから立ち上げた事務所だったので、どれくらい仕事に対する心があるかをわかってくださったよう。「私もね…」と女社長さんヒストリーを語ってくださいました☆
「他の事務所に行ったら許さん!」と最後捨てゼリフのように言われて、応援してくださいました(*^-^*)
そんな20代前半☆20代。かな(*^-^*) その頃くらいまで細くはならなくてもいいかな〜と思うのですが、「着たい」と思ったお洋服があって、それに似合う自分になりたいな☆と思ったのが今回のきっかけでした☆
女性らしい理由でしょう?(笑)
私もやっとこの年齢で女性らしい考えかたができるようになってまいりました(*^-^*)笑♪
ですので、お仕事の際のランチが苦しい(笑)
すぐにお腹がいっぱいになります。おいしいのに〜
(*^-^*)
20代の頃がとても細かった理由は、本当にただ1つ。食事が摂られるような職業に就いていなかったから。ホテルマンは休憩10分です。フレグランスのお仕事の時は休憩なしです。あっても立ち食い(笑)こそっとバックヤードで。 マネージャーとして自分の店舗以外に移動する時くらいでした、ご飯を食べる時間が持てたのは。それで開店から閉店までなので、食べずに鍛えているのと同じですから痩せていて当然でした。
少しだけOLさんをしたことがあった、と以前言いましたが、カルチャーショックと言いますか、お昼ご飯を食べないと周りのかたから「食べて!」と言われるんですね。それがビックリでした。ずっと 「お仕事=食べない(食べられない)」で生きていましたので、世間の、多くのかたはご飯食べるんだ。と。
自分がそんな感じでしたから、部下にはお昼も午後も休憩時間は確保して、差し入れまで用意して… と、「自分とは同じにならないように」していました。
接客業、立ち仕事で「ご飯が食べられない、休憩が実際はない」は当たり前なので、せめて自分の部下はそんなことがないように〜と。 けれどなかなか、「おもてなし」の気持ち、心を理解される従業員がいなかったので、今阪急でゲランに伺っていると「私もここで働きたかったなぁ」と思うこと多々です(*^-^*)
「時間から時間」で、お給料をもらえたらそれでいい。そういうかたが多かった。だから通じなかったです。人が笑う、その笑顔も輝きも素晴らしいって。その一瞬のために私たちにできることを、できる限りするという「おもてなしの心」が。
特別なことを伝えていたのではなく、ただ、基本的に人見知りであろうとなんであろうと「人」が好きなんだと思います。私は。
その、人の素晴らしさ。
今はたくさんのお弟子さんたちが理解してくれています。自分がシエルセラピーや講座で笑ったり癒されて輝く涙を流されたりする経験を通して。
私はいいお仕事、有難くて嬉しいお仕事をさせていただいているなぁと感謝しながら、今日もダイエットに励んでいます(*^-^*)笑
うそうそ☆
ダイエットは全然苦しくなくって、でもきっと一般的には相当ハードなものなのですが、「あのお洋服を素敵に着たい♪」の気持ちで楽しんでます(*^-^*)
いつも夜12時には眠っています。それくらいかな、シェアできることは(*^-^*)
時間に関係なく、睡眠不足はダイエットに向いていなくて、眠ると痩せるホルモンが分泌されて、眠らないでいると太るホルモンが脳から分泌されるように人間はできています。
ですので、痩せたいならよく寝る(*^-^*)
お弟子さん達も生徒さん達も、シフト制や夜勤がある職業のかたが多いので、眠る時間は一定ではないほうが多いと思いますが、「眠る時間」というよりも「どれくらい眠ったか」がダイエットにはポイントですので よければ参考にしてくださるとイイな♪ と思います(*^-^*)
もうすぐ夜の12時なので〜
おやすみなさい☆ (*^-^*)/

2.24
いつも報告が遅れ気味(^−^)
天使からのメッセージ2回目分です☆
「自分の限界を感じます。本当に幸せになれますか?」
この、ご依頼くださいましたかたのお気持ちが、すごーーーく!よく分かるなぁ☆と思いながら、天使に尋ねさせていただいていました(*^-^*)
絶対、と言ったら変かもしれないけれど、みんな同じようなことを思ったり、気持ちになったことがあると思うんです〜(*^-^*)
客観的だからわかりますが、すごく努力家さんで、ひたむきに「いいこと」がなくても頑張ってきたタイプだって手に取るようにわかる。
だからね、このかたの守護天使さんが言ってることと合ってるかどうかはわからないけれど、私はこのかた、ひとりで頑張ってきたんだと思いました(*^-^*)
ずっと。待ってたって、誰かに頼んだって、人生どうにもならないという経験もあったんじゃないのかな〜と自分と重ねて見てました。私は小学生の時に「自分の味方は、自分しかいない。」と悟りました。
悟ったと思っていたけれど、本当は違ってたんだよね。何かと言うと、「甘えられなかった(甘えられなくなっていた)」んだと思う。状況や環境が。それで精一杯自分にできる限りしてきた。 その結果が今で、もうどうしたらいいのか分からない(泣)みたいな心境の状態になったんじゃあないのかな〜って。
周りの人がみんな優しくて、いつも手を差し伸べてくれて、いつも笑っていて、何でも話せて、励ましてくださるような環境や状況で生きられていたら最高だったんだろうね。
だけどそうじゃなかった。自分がしっかりしなきゃいけないような状況を生きてきた。そんな結果なんじゃあないのかな〜と。
ある意味、人のせいにもしてなければ、他力本願で生きてきたわけでも、依存しながら生きてきたわけでもなくて、すごく立派だと思う。だけど、甘えていい時期の頃に「甘えられなくて」甘えることを学ばずに生きちゃった人なんだと思う。 私や(笑)、私の生徒さんに多いタイプよね?(*^-^*)
なんでもうまくいかないことを人のせいにできて、人だけじゃなく「タイミングが悪かったのよ」「クラスが悪いのよ、職場がよくないのよ、あの人がこうこうだから…」だとか、自分以外に原因があると思えるような思考だったなら、 きっと、もっと「鈍感」で、感じなくてよかったことも感じずに生きられたんじゃないかと思う。気づかなくていいことに気付いて、たったひとりで落ち込んで、その心の痛みを見せる場面もなく、日々の暮らしに追われるようにして生きてきたり、しなくてよかったんじゃないかとも思った。
なんかね。そう思ったら、天使が「20歳が0歳」、つまり20歳からが本当のスタートですよと語ってくれた意味がよくわかる。同じタイプの人って、みんな、20歳までが本当に長くて長くて40年くらいあった。という体感で生きてたんじゃないかな〜と思う。 いろんなこと、ひとりで抱え込みすぎて。
頑張ってきた分さ、ある意味こういうタイプに多い「全部捨ててもいい」という、怖くなる内容をあえて伝えてもらうことって、大事なんだとも思う。 私はミカエルの、ネガティブコードカッティングというエンジェルヒーリングさえ「母との間のコードを切ったら、母が本当のひとりぼっちになってしまう」と誤解をして泣いたもの。
ネガティブなコードは切れるけど、愛のコードは永遠に切れない…
それを当時の私は理解して、やっと母と繋がるネガティブなコードを切ることができたくらい。
それくらい、私は母のことも自分の人生のように抱えてた。罪悪感や後悔、できなかったこと、ふがいなかったこと、たくさん当時は抱えてた。
今は少しは荷物を降ろせたかな〜と思う(^−^)持っててもいいし、持ってなくてもいい荷物みたいな感じで。持ってたい時は持てるけど、今ちょっとしんどいな〜という時は降ろしとくね☆みたいな感覚で。 そういう「ラフさ(気軽さ)」が、昔の私にはなくて「それって、すっごくテキトーな人だと思います!」みたいな感じで自分の気づかない無意識な思考にがんじがらめになってた。自分が自分を縛ってるともわからずに。
けど、「透明人間」という表現には「すごいなぁ!天使!」と思った(*^-^*) いや、天使はいつもすごいんだけど☆
人に合わせて生きていたり、個性がない…つまりは感情や言葉や自分を表現して生きていないと「透明人間」とまったく同じなんだな〜と。感心しました。
私も、見えない人と結婚どころか恋さえできない(笑)から、そのとおりだなぁと天使が言っていたことにうなずくばかり。 個性って大事だね。そう思うと〜。無難に、荒波立てず、毎日を「たいら」に過ごして生きたいなんてやってたら「透明人間」になっちゃうんだね。 私の中でのアメリカ人は個性がみんなありすぎて、強烈キャラ、変人の集まりで(笑)、日本人はその真逆、みんな同じが大好きで、みんな同じだと安心する民族で、みんなと同じが流行して、みんなと同じになろうと苦労してる(努力する)イメージだったけれど、 なんだか、その「中間あたり」が一番よさそう(*^-^*) 中庸〜
日本人は没個性を目指しているし、没個性を教わるし、没個性でなければ攻撃されるというか、よってたかって「いじめ」みたいに裏で陰口言われたりしてるよね。または、見て見ぬフリといういじめ。 「みんな同じでないと自分が今度いじめられる側になってしまう」と恐れるから、みんないじめに加担する側になってる。それが日本人。というか人間。アメリカではティーンエイジャーがしてる幼い、幼稚な行為。
それで人生、うまくいってるなら、何も問題ないんだと思う。でももしそうでないのなら、根本から…
つまり、没個性を教わり過ぎて「没個性のプロ」になっちゃってる今を、元に戻していけばいいだけなんだろうね(*^-^*)
透明人間とさ、結婚しているところを想像すると、なかなか面白いね(笑)
ご飯作って「おいしい?」と聞いても何もお返事かえってこないし、「今度の日曜日、阪急いこっか〜?映画観ようか〜?」と誘っても何も返ってこない。おでかけしている時も「シーン」で、どこにいるのかもわからなくて、1人でおでかけしてるみたい。
何食べたい?と聞いても返ってこないから、カフェで1人っきりでご飯食べてるみたいで、でもそれが2人の週末のデートで。
いややん(笑)
一緒にね「ここはどうかな?」と考えながら決めたり、「おいしいね」って笑いあいたかったり、「まっずいね!」って、おいしくないカフェで2人でこそこそ爆笑してたり(笑)、したいな(*^-^*) 私なら☆
だってさ、「まっずい、まっずい」ってお顔しかめたり、つらそうにしてる姿… 笑いがこみあげてきちゃうでしょ(*^-^*) 可愛いな〜おかしいな〜って。
1人で食べても「すごくこのお店おいしくない。」だけで終わっちゃうところも、2人でいればおもしろネタに大変身しちゃう。「ありえないくらいマズイ」って、笑いが止まらなくなる(*^-^*)
そういうのも、「楽しい」って思うことじゃない?(*^-^*)
まずさも2人で分かち合えば、おもしろさに変わる〜
「もう二度と食べない」って怒ってたりするお顔見たら、真剣だからまた笑えてくる♪ 怒ってるのさえ、おもしろ〜い♪ 可愛い〜♪ おっかし〜♪ へーん♪ って(*^-^*)
…真剣につらそうにしてたり、怒ってる人を見て笑ってるさやかが変だと言われそうだけど、私はこういうタイプだから(*^-^*)
でもきっと、みんなわかると思う♪ だから講座でもしょっちゅう笑ってるから、何で笑ってるのか、今バレちゃった気がするけど(笑)(^−^)
「好きな人」「一緒にいて楽しい人」って、みんな共通してるのは「愛」なんだよね☆
愛で繋がってる。
愛に包まれていて、愛が2人の間にある☆
そこには「愛」の別のカタチである「信頼」だとかもあるし、「尊敬」「尊重」もあったり。そして「許し(赦し)」も。
それから「笑顔」も、ね♪ (*^-^*)
そういうのが「透明人間」でも。ガマンしっぱなしの人生にも。存在できないから、こんな風に天使はメッセージを話してくれたんだろうな〜と思いました(*^-^*)

週明けにね☆ CHANELで今日から発売されている4色アイシャドウを買いに行くの〜♪(*^-^*)
ベージュブラウンの優しいお色で、素敵ね☆と思ったから(*^-^*)
阪急のCHANELは絶対混むから、めずらしく阪神にお願いしちゃった☆
楽しみ楽しみ♪
あとはもう少し後に、ランコムからもう出ている新しいクッションファンデも買いたいな〜と思ってるの(*^-^*)
日本製だから(笑)
乾燥肌だから、つやつやぴかりん☆タイプを購入しても、塗って、正午には乾燥してマット系になってしまうお肌なので(笑)夏だけ楽しむアイテムにしよう〜と(*^-^*)
そしてレフィルだけ買うの(笑)節約(*^-^*)
イヴのオレンジ色のティント口紅は、普段阪急のイヴは午前中以外では1時間待ちが当たり前だから、今は何かよりお客様の数が増えているらしくて、しばらくは行くのやめよ〜と思って、買ってないの。 既存のオレンジ口紅を買って、それがなかなかよかったのもあるから、もしかしたらもうずっと買わないかもしれない(*^-^*)
買わないと言えば、少し前にCHANELのフレグランス専門のかたから、仲良くしてくださっているので、日本に20個くらいしか入荷してないミニサイズ10個くらいのデラックスセットが 入ってくるよとお電話いただいたのだけど、それ買わなかったの〜(*^-^*)
というのも。海外で、雑誌社や美容関係者に、そのデラックスセットをただで配布しているのを知ってしまっていたので(笑) CHANELはただであげるものを、4万円で日本人には売りつけちゃうんだな〜と思っちゃったから(笑)
フレグランスもね、また最近は1番大好きな「私の香り」にしているフレグランス以外ピンと来なくなっちゃって、まとわなくなったので、まぁいいかな☆と思って。 CHANELのそのセットのフレグランスは、CHANELにはめずらしい、天然香料系で作られているものだから、ゲランと同じで少し前まで好きだったんだけど、今は1本のフレグランス以外お鼻は「いらない」と 言うので(*^-^*)
趣味のお話も入れちゃったけど〜☆(*^-^*) 趣味も「not 透明人間」なことなんだろうね!
フレグランスもお化粧品も、自分が使う使わない関係なく、大好き(*^-^*)
でもそれは17歳の時からだから、病気の時はなにもできないし興味も出なくて当たり前だと思うけれど、きっとずっとこれからも好きなんだろうな〜と思います(*^-^*)
きっかけはね、母がとってもオシャレだったから(今でも♪)3歳の時にGIVENCHYの小さなフレグランスをくれたことや、MENARDの小さい口紅(サンプル♪)を2つくれて、大事に持っててキラキラ眺めてたりしたこと☆
母のドレッサーの上には50本くらい口紅が並んでいて、母も少ないお給料ながらも楽しみが1本1本お給料を貯めながら口紅を買っていたことなんだろうと思う(*^-^*)
母はねイヴの口紅が一番大好きだったよ、当時(*^-^*) 私は一番最初にもらったGIVENCHYに憧れて、大好きなオードリーもGIVENCHYの衣装を映画でいつも着てること知って嬉しくて、そして一番最初に購入したアイシャドウが、 お色が自分に合うことと粒子が最も細かくて肌が弱い自分のまぶたでも使えると選んだのがGIVENCHY。就職する時の面接でもそのアイシャドウを塗って行ったよ、水色なんだけど!(笑)
私の肌では水色を薄く塗ると、水色には見えなくて、目元が自然と明るい感じに見えるから、しっかり面接官の人の目を見て「働きたいんです」って伝えたいな♪ と思って(*^-^*)
もちろん合格してるのでホテルマンになる夢も叶えた「さやかヒストリー」でした(*^-^*)
好きなことのお話は楽しいね!天使もお化粧品も(*^-^*) 今日はこれでおわり〜



O L D




トップ
シエルセラピー
カウンセリング
講座
認定シエルセラピスト
プロフィール
営業日・アクセス
お申し込み
課題図書
シエルオイル
DIARY